フィグミュラー侯爵邸
「──貴族の屋敷ってのはどこも無駄にデカいよな」
フィグミュラー侯爵家の屋敷を見るなり失礼な発言を漏らすアルデバランを、ロゼアリアは若干睨んだ。
「ヘレナ様の邸宅を目の前にしてあんまりそういうこと言わないで。……でも、応じてくれてありがとう」
「ロゼの頼みだからな」
ずかずかと門をくぐっていくアルデバランの背を見ながら、ロゼアリアは彼の発言にある意味頭を抱えていた。
(私の頼みだから応じたって、そういうことをサラッと言わないでよ!!)
こっちの気も知らずに憎い男だ。深呼吸を一つして、ロゼアリアはアルデバランを追いかける。
フィグミュラー侯爵家は一言で言ってしまえば派手な屋敷だ。毎年春から秋まで色とりどりの花が咲き誇り、その香りは噎せ返るほどに強い。
まさにこの邸宅にすむフィグミュラー一家を現したような場所だ。
けれど今は、その派手さが半減しているように見えた。花の手入れはきちんとされているし、屋敷のどこも荒れていない。重くくすんでいるのは空気だ。濁っているとかではなく、くすんでいる。屋敷全体が元気を失っていた。
「ロードナイト伯爵令嬢様と魔塔の主様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました」
侯爵家に仕える執事が二人を迎える。彼の表情もやはり、元気がなかった。
「ただいま侯爵様と奥様をお連れいたしますので、今しばらくお待ちください」
律儀に一礼をして応接室を出ていく執事を見送る。程なくして、侍女が紅茶を運んできた。
「……ヘレナ様はなんていうか、苛烈な方なの。魔法使いに慣れてるわけでもないから、その、失礼なことを
言ってしまうかもしれないけど……えっと、私が言うことじゃないのは分かってるんだけど、気にしないで」
白薔薇姫に言っていたようなことをアルデバランが言われたら、気分を悪くするかもしれない。ここへ連れてきた身としてできるのは、先に謝ることくらいだ。
「分かってる」
隣に座るアルデバランと目が合う。たったそれだけなのに、時間も思考も止まってしまうのだ。人の家でドギマギしてしまうのは良くない気がした。
「ラウニャドールによる外傷を負わせた以上、何を言われても傷は治す。襲撃の可能性を知ってて国を離れた俺の責任だ」
「そ、そこまでアルデバランが負う必要はないから。それに、ヘレナ様に会えるかも分からないし」
「それもそうだな」
「……本当に、治せるんだよね?」
普通の魔法使いによる治癒でも駄目なら、もうアルデバランしか頼れないと思った。アルデバランならば、ヘレナの傷痕を治せるんじゃないかと考え、魔塔を訪ねた。
ヘレナに恩を売りたいわけではない。ロゼアリア自身がやりたくて勝手に動いているだけだ。
「治せるから、心配するな」
アルデバランが再びロゼアリアに視線を向けるが、ロゼアリアは手に持ったティーカップへと視線を落としていた。
「…………ロゼは──」
アルデバランが何か言いかけたその時、応接室にフィグミュラー夫妻が入ってくる。
(今、何を言おうとしたんだろう)
気になったが、それは後で聞くことにした。
侯爵と夫人を前に、ロゼアリアがすぐさま立ち上がる。珍しく、アルデバランも立ち上がった。
いつもなら国王相手でもふんぞり返って座っているのに。
「貴公がかの魔塔の主殿か。本当に、本当に娘の傷は治るのかね!?」
体面を気にせず取り乱すフィグミュラー侯爵もまた珍しい。さすがはヘレナの親。娘同様、余裕綽々に高笑いをするのがこの夫妻の強い印象だというのに。
(よく見ると、お二方共憔悴してらっしゃる)
格好は普段通り派手なほどに着飾っているのだが、夫婦はやつれていた。一見すると分からなくとも、細部を見れば彼らが消耗していることが分かる。
アルデバランに縋る様子を見れば、二人がヘレナのことが心配で仕方ないのが一目瞭然だった。
「ああ。治せるから落ち着け。そのために来たんだ。ロゼに頼まれてな」
「ヘレナを、娘をどうか助けてやってください! 金ならいくらでも払います!! あの子が元通りに過ごせるならどれだけ払ったっていい!!」
きっと眠れていないのだろう。化粧で隠した内側にうっすらと隈が見えた。
ヘレナがあれだけ奔放に振る舞うのだ。この両親は彼女が産まれた時からずっと溺愛してきたのだろう。
これも、白薔薇姫であった時は決して知ることのなかったヘレナの一面だ。
「娘の場所まで案内してくれ」
ヘレナに会わない限り何も出来ない。しかしこの状態の夫妻では難しいと判断したのか、代わりに侍女がヘレナの部屋まで案内してくれた。
侯爵夫妻は執事に宥められ、応接室で待っている。
「こちらが、お嬢様のお部屋になります……ヘレナお嬢様、お嬢様に会われたいというお客様がお見えです」
『…………誰』
扉越しにヘレナの声が聞こえた。
『まさか、アーレリウスじゃないでしょうね!!』
金切り声で叫ぶヘレナの言葉を聞いて、ロゼアリアはああ、やっぱりと確信を持つ。
ヘレナは、アーレリウスからの婚約破棄を恐れていた。
白薔薇姫がアーレリウスから婚約破棄を受けたのは、顔に傷を負ったからだ。もちろん他にも諸々理由はあったが、婚約破棄にいたるそもそもの原因は頬の傷だ。
その時と同じ状況になることをヘレナは恐れていた。
なぜなら、その好機にヘレナは白薔薇姫から婚約者を奪ったのだから。
(だからヘレナ様は、今度は自分が奪われる側かもしれないと恐れてらっしゃる)
それを「ざまぁみろ」とは思わなかった。アーレリウスとの婚約破棄に、既にロゼアリアは納得していたから。
そして今、それよりもっと恋焦がれる相手が隣にいる。
だから、躊躇うことなくヘレナを救う選択肢が出てきた。
「落ち着いてくださいお嬢様! ロードナイト伯爵令嬢様と魔塔の主様でいらっしゃいます!」
『は? なんであの女がわたくしを訪ねてくるのよ!! ああ分かったわ、わたくしの傷を笑いに来たのね!!』
「お嬢様!! お客様になんてことを!!」
『帰って!! 今すぐ帰ってちょうだい!!』
ヘレナのこの感情には自分も覚えがある。何もかも捨ててしまいたいと思った先で、感情に任せて言葉を吐いた。その結果、大切な友を傷つけた。
「ちょっといい?」
侍女に場所を変わってもらい、ロゼアリアがドアノブに手をかける。
(やっぱり、鍵がかかってる)
だが鍵くらい大した問題ではない。
「ヘレナ様? お元気そうでいらっしゃいますね。扉を開けてくださらないなら入りますよ」
「どういうことだよ」
アルデバランが冷静に突っ込んでいるが、それは今からやって見せるところだ。
『うるさいわよ!! 早く帰ってってば!!』
「入りますね。危ないので扉から離れていてください」
ロゼアリアも扉から一歩離れる。
「二人も離れて。あ、修理代はロードナイト伯爵家宛につけておいてください」
「え、あの」
「おいロゼ、まさかとは思うが──」
そのまさかだ。勢いをつけて身体を捻り、遠心力と体重を全て右足に乗せて扉を蹴破る。
バゴォンッと凄まじい音を立ててヘレナとこちらを隔てていた障壁は開かれた。
「は……?」
喚き立てていたヘレナすら呆気に取られてこっちを見ている。アルデバランと侍女も、急に開けた視界を眺めるばかりだった。
ロゼアリアだけが、「これでよし」と言わんばかりに腰に手を当てている。
「…………俺の魔法で鍵を開けようとは思わなかったのか?」
「たしかに」
その手があったか、とロゼアリアが手を打つ。言われるまで全く浮かんで来なかった。
さて、と気を取り直し、扉を蹴破った少女がヘレナを見る。
「ご無礼をお許しくださいヘレナ様。このままでは埒が明かないと判断し、強行突破させていただきました」
「強行突破がすぎるだろ」
「アルデバランはちょっと黙ってて」
さすがの騒音に心配した人が続々と集まってきていた。




