彼の代償
ジクターとカルディスに簡潔な報告を終えたロゼアリアは、アルデバランを探すために王城前の広場に来ていた。
(アルデバランのことだし、もう魔塔に戻ってる気もするけど……)
これでアルデバランが帰っていたら本当にあの男達を恨む。彼らがいなければ、防衛魔法の展開をもっとゆっくり見ることができたしその後アルデバランと話す時間もあったはずなのに。
(見当たらない……やっぱり帰ったよね……)
肩を落としたその時、建物の陰からよく知った声に名前を呼ばれた。
「ロゼ」
その声を聞いただけでたちまち元気が戻ってくる。声のした方を覗くと、アルデバランが階段に腰掛けてくつろいでいた。
「アルデバラン! まだいたんだ!」
「鼠の駆除を押しつけておいて黙って帰るのもな。それに、転移魔法が使えるほど魔力が回復していない」
よく見ると彼の左手には包帯が巻かれていた。まだ治癒魔法も使えないのだろう。
アルデバランの隣にロゼアリアもちょこんと腰掛ける。
「必要だったら、うちの馬車で魔塔まで送るけど」
「気持ちだけ受け取っておく」
拒絶ではなく遠慮だった。「これ以上ロゼに迷惑はかけられない」と彼の目が言っている。
(別に、遠慮なんかしなくて良いのに……)
けれど一度断られてしまうとそれ以上は押せなかった。ぐいぐい迫って、胸の内に秘めた感情に気づかれては困るから。
(ピアスを持ってたら今渡せたのに、なんでこういう時に限って置いてきちゃうんだろ)
アルデバランに会うと分かっていながら持ってこなかった。昨日の今日でまだ油断出来ない状況だと判断したからだ。もしまた激しい戦闘が起きて、その最中に失くしたら大変だ。
実際その判断は間違っていなかったが、今は持ってくれば良かったと後悔している。
馬車でアルデバランを送るなら、その道中で一度邸宅に寄れたのに。
「騒動が起きて、皆混乱してなかった?」
「そうでもないな。大半は何が起きたか分かってないんじゃないか。俺としては、その隙にあの場を立ち去れてなかなか都合が良かったが」
アルデバランの言う通り、何事も起きなければ間違いなく注目の的だっただろう。何を隠そうこの美貌だ。話題にならないはずがない。
それはそれで複雑だと思った。誰も彼も最近まで魔法使いを恐れていたくせに。
「手は、大丈夫?」
「ああ。後で治す。ロゼは」
「え?」
炎色の瞳がロゼアリアをじっと見つめる。散々暴れ回った後だ。髪や服が乱れているんじゃないかとロゼアリアは内心焦り始めた。
「怪我はしてないか? と言っても、今の俺には治してやれないんだが」
「あっ、ううん! 全然大丈夫! どこも怪我してない!」
心配してもらえただけで十分だ。だというのに、アルデバランはどこか疑わしそうな目を向けてくる。
「なら良いけどな。ロゼはすぐ危険に首を突っ込むから信用ならん。飛び出してったあの後、危ない真似をしたんじゃないだろうな」
「してないから」
じろりと睨んでくるその目には覚えがあった。せっかくカルディスの説教は回避できたのにアルデバランに詰められるとは。
敵が待ち伏せている倉庫に一人で入ったなど口が裂けても言えない。
「だいたい、俺は飛んできた矢の前に飛び込めなんて一言も言ってないぞ」
「任せるって言ったのはそっちでしょ」
「矢ぐらい自分で防げる。当たってたらどうする気だったんだ」
「もー、なんでアルデバランまでお父様みたいなこと言うの」
だが父と決定的に違うのは、こんなやり取りすら楽しいと思えることだ。アルデバランの説教を鬱陶しいとは思わない。
「ね、ずっとここで座ってて暇にならない? 何か食べに行かない?」
「なんだ、腹でも減ったのか」
「うん。動いてきたからお腹空いた」
アルデバランの脳裏に天陽市で延々と食べ続けるロゼアリアの姿が思い出された。この小柄な身体のどこにそんな容量があるのか、どれだけ食べても彼女はけろりとしていた。
「……まあ、俺もまだ時間がかかるしな。付き合ってやる」
「じゃあ、お気に入りのお店があるの! 全部美味しいんだけど、焼きたてのりんごのパイが一番美味しいから食べに行こう!」
ロゼアリアが立ち上がり、急かすようにアルデバランのローブを引っ張る。そんな彼女に苦笑しながら、アルデバランも立ち上がった。
「──主様」
魔力が回復してようやく魔塔に戻ってきたアルデバランに、ヴィタが話しかける。
ヴィタや他の魔法使い達は魔力に余裕があったため、アルデバランも共に転移魔法で魔塔へ連れ帰ろうと申し出たのだが。ロゼアリアを待つからと断られ、一足先に帰ってきていた。
「どうした? 疲れただろ。数日ゆっくり休んでくれ」
一番疲れているのは結界を展開させた本人だろうに、アルデバランは穏やかな表情でこちらを気遣ってくる。
「疲れなど。私達は貴方様の発動した魔法を増幅したにすぎません。主様こそお休みになられてください。あの大規模な魔法では、それこそ魔力を全て回復させるのに数日はかかるでしょう。それに……」
ヴィタが遠慮がちにアルデバランを見る。
「防衛結界は常に術者の魔力を消費します。グレナディーヌ全土を覆う結界を展開し続けるとなると、貴方様の負担は計り知れません」
「三割だ」
手の平の傷を確かめながらアルデバランが言う。傷口は完治とまではいかないが、ある程度塞がっていた。痛みがなければ構わない。あとは放っておいても治る。
「防衛結界の維持に、俺は常に魔力の総量のうち三割を払い続ける。大した量でもないだろ」
「そういう問題ではございません」
「そうか? 別に魔力が枯渇したからといって死ぬわけじゃない。ただ、せっかく張った防衛結界は切れるがな」
違う。ヴィタが聞いているのは、そういうことではない。
「……なぜ、母なる石の加護をお使いにならないのですか」
加護を得れば、自らの血を捧げる必要も魔力が枯渇することもないのに。加護があれば、大規模な魔法式を展開するのに他の魔法使いの協力を仰ぐ必要もないのに。
「私達が貴方様に協力することに苦言を呈しているのではありません。なぜ、自ら険しい道をお選びになるのですか。代償を払わずとも魔法が使える御身でありながら、なぜ私達と同じであろうとするのですか」
その理由をヴィタが知るはずもなかった。ロゼアリアにしか話していないのだから。
どう話そうかとアルデバランが悩む間に、ヴィタはさらに言葉を続ける。
「貴方様はこの国の管理者。その御身に流れる血と魔力は最も神々に近いもの。私達と同じであるはずがございません。それなのに主様は、常にご自身が代償を払おうとなさる」
「そんな寂しいことを言わないでくれ。俺はそんなに尊い者じゃない。神々に近い? 一体いつの話をしてるんだ。どの国の管理者も、今じゃ普通の魔法使いと変わらない」
自分で言って苦しくなる。言葉通り、他国の管理者は血が持つ特別性をほとんど失っている。けれどアルデバランは違う。アルデバランだけは、三百年分濃いままだった。
この世界で最も“普通”の魔法使いから遠いのが自身であると、アルデバランが一番分かっていた。
だからせめて、自分で選べるところだけでも他の者と同じでいたい。捨てられるものなら特別性など捨ててしまいたい。特別だったが故に、かつての自分は道を誤ってしまったのだから。
世界にとって自分が一番不要な存在でなければならない。ロゼアリアはそれを否定してくれたけれど、この願望はそう簡単には消えなかった。
犯した罪の責任は取る。けれど強大な力は使いたくない。ブレイズを同じ道を辿るのが怖い。母なる石の加護の代わりに自身の血肉で補えるのなら、喜んで捧げる。
それを、どう話せばヴィタが納得するかが分からなかった。守るべき魔法使い達に迷惑はかけたくない。
「今回は母なる石から多少魔力を借りれば済む程度だっただけだ。そこまで深い意味はない」
だからこれまでしてきたように、アルデバランはヴィタを優しく拒絶した。彼が何か言う前にその場からそっと姿を消す。全身を覆う黒いローブは、あっという間にアルデバランを闇の中へと溶かしてしまった。




