マヴァロの神殿
豊かに茂った緑。色とりどりの花。小鳥や蝶が優雅に遊ぶ様は、まさに楽園。どこからか聞こえる川音が心地良い。息を吸う度、瑞々しい大地の匂いが肺を満たした。
大自然の中に通された回廊を、全身に黒を纏った長身の男が歩く。
「マヴァロはやはり暑いな。それに湿気が多い」
「グレナディーヌの夏は穏やかな分、より暑さを感じますね」
暑い、などと言っておきながら涼しげな顔をしているアルデバラン。回廊の先には神殿と思しき建物があった。極彩色の中で眩い白がよく目立つ。
ここはマヴァロ共和国内の中心地。民を取りまとめる大司祭、つまりマヴァロの管理者の敷地だ。アルデバランが向かっているのはその中に在る建物の一つ。
不思議な場所だ。この庭そのものが一つの“家”となっていて、建造物は“部屋”として存在している。一応は全ての建物が回廊で繋がっているようだが、これだけの広さを足で移動するのは面倒だ。転移魔法を使った方が早い。
(庭、というよりもはや温室だな)
魔法使いだけが視認できるドーム状の結界。すっぽりと庭を覆うそれを少し見上げて、アルデバランは真っ白な建物へと踏み込んだ。
石で造られたからか、内部は随分と涼しくひんやりとした空気に包まれる。水路がすぐ傍を流れ、清らかな水音が反響する。聞こえるのは水音、それから自身の靴音だけ。
至る所で生命の活動を感じられた外側と反して、とても静かだ。アルデバランとしてはこちらの方が居心地が良い。短く息を吐いて、ローブに水光を揺らしながらさらに奥へと向かった。
奥へと進むと再び開けた場所に出る。生ぬるい風が吹き込み、陽光が二人を照らす。今度は本物の温室だ。
「お待ちしておりました、カーネリア」
出迎えたのはアルデバランと同じくらいの長身の男性。長い髪は雪より白く、灰褐色の肌は人離れした美しさを見せる。何より惹きつけられるのは彼の目だ。黄金を溶かしたような黄色い瞳。
この青年も、ドラゴンが人に化けたと思わせる美貌を持っていた。二人を前に、アルデバランに付き添っていた若い魔法使いは思わず息を呑む。
「……マヴァロの管理者は高齢の女性だと聞いていたが?」
「残念ながら私の祖母、マウチフチは三週間ほど前に二柱の女神の元へ旅立ちました。以後は私が、祖母の役目を継がせていただきます」
「そうか。彼女の冥福を祈る。できることなら会ってみたかったが、残念だ」
「ありがとうございます。案内いたしましょう」
マヴァロの管理者の後に続いて温室を進む。己の体力の低さを自覚するアルデバランはかなり疲れてきた。
「ご紹介が遅れてしまいましたね。私は──」
「ヘリオドール。それ以上の情報が必要か?」
先を歩く青年がアルデバランを振り返り、少し困った表情で微笑んだ。
「たしかに我々はこの世界に存在し続ける管理者の一つにすぎません。男女差はあれどいつの世も同じ顔。他者から見れば名前だけが変わったとしか思えない存在」
しかし、と彼が続ける。
「姿形以外の全てが違う。魂だって違う。祖母と父が、父と私が違う人であるように、私達は個人であることを望んでも良いはずです」
それは、管理者だからこそ抱える苦悩だった。特異な血と魔力を継いで産まれる管理者は全ての代で必ず同じ容姿をしている。現に、アルデバランとブレイズの外見に違いは無い。その上魂まで同じ。けれど、全くの同一存在ではない。
アルデバランはブレイズの生まれ変わりではあるが、ブレイズの生き返りではない。そういうことだ。
「……そうだな。今のは俺が悪かった。名前を教えてくれ」
「はい。私はエウルカ・ヘリオドール。マヴァロ共和国の管理者です」
「俺はアルデバラン・シリウス・カーネリア。よろしく頼む、エウルカ」
罪悪感から握手を求めれば、エウルカは嬉しそうに手を握ってきた。
彼の言う通り、どれだけ姿が同じでも本質が違う。かつてのヘリオドールはここまで前向きな人物ではなかった。
「……」
脳裏を掠めたのは、三百年前の記憶の断片。だがそれも一瞬。すぐに彼方へと消えてしまった。
やはり、一度忘れてしまったことを思い出すのは難しい。その上に膨大な記憶が積もってしまえば尚のこと。
エウルカに通されたのは温室の中央。用意された円卓には既に二名座っている。うち一人は知っている顔だ。
「あら、やっと来たのね」
「ソミンか」
翠緑の瞳がアルデバランを捉える。一度盲目になった彼女が光を取り戻したのはひと月ほど前。アルデバランによる治療のおかげだ。
「ロゼは元気?」
「ここのところ会ってないが、相変わらずだろ」
「そう」
ソミンが香浴殿で何度かロゼアリアに会っていることを知らないアルデバランは、彼女がロゼアリアを気に掛けたのが意外だった。
「お知り合いでしたか?」
「全然」
二人のやり取りを見たエウルカに尋ねられ、即刻ソミンが否定する。
「では、お二方は隣の席の方が良いですね!」
「知り合いじゃないって言ってるでしょう!」
ソミンの言葉は耳に入っていないのか照れ隠しとでも思っているのか、エウルカはにこにことアルデバランの席を用意する。この楽観的で能天気な人柄はマヴァロ人特有。ヘリオドールがよっぽどこの地に馴染んでいることを示していた。
特に断る理由もなく、アルデバランが腰掛けるとソミンはあからさまに嫌悪感を向けてきた。その様子がどう見ても猫が毛を逆立てて威嚇する様にそっくりで、むしろ微笑ましさすら感じる。
「ふん。いつまで待たされれば良いのよ。さっさと終わらせて帰りたいんだけど」
「その意見には同意いたします。わたくしも、暇ではありませんから」
椅子にゆったりと腰掛けた女性。艶やかな黒髪から除くのは、神秘的な薄暮の空を思わせる紫。
「初めましてカーネリア。あなたがこの会合に参加すること、心より嬉しく思いますわ」
親しげににこりと笑顔を見せる女性。だがその裏に滲むのは敵意。
「アメシストか。スモグランドも応じてくれて何よりだったな」
グレナディーヌ王国、マヴァロ共和国、ザジャ帝国、スモグランド王国。全十二ヶ国中、四ヶ国が早速この場に集まっていた。
「マリリアン。わたくしの名です。必要とあればお見知り置きを」
「そうか」
「ああ、そちらは結構でございます。カーネリアで十分でしょう」
明確な拒絶。マリリアンからそれを感じ取ったアルデバランは、「そうだな」と返すだけに留めた。
特に共通の話題も無い四人。会話が尽き、沈黙が流れ始めたところに新たな管理者がやってくる。
「いやいや、お待たせしてしまったかな?」
「クラーテス殿が遅刻するからですよ」
「それを言うなら、君も大概じゃないかシュディ。君達二人を待ったせいで、僕まで遅れてしまったよ」
賑やかな三人組にアルデバラン、ソミン、マリリアンが視線を向ける。エウルカは顔見知りなのか、立ち上がって三人を出迎えた。
「お久しぶりです! 三名とも、お元気そうで!」
「やあやあエウルカさん、とうとう管理者になられたか。報せてくれればいいものを」
クラーテスという管理者も背が高い。親しげにエウルカの肩を叩いた後、無遠慮に椅子に座る。
「うーむ。予想通り、シュヴダニアとその属国は不参加か。けど、パウベルクとギアニンは違うだろ? なんで来ない?」
「パウベルクの魔法使いは怪しい宗教にお熱だからだよクラーテス。僕でも知ってる話だ。彼らが信仰する神の名前には、キョーミ無いけどね」
他二人も円卓に加わる。現時点で七ヶ国が揃った。異様なのは、彼らの容姿。アルデバランを含め白い肌に黒い髪が四人、灰褐色の肌に白い髪が三人。各国から集まっているというのに姿は妙に似ている。違うのは、顔の造りと鮮やかな瞳だけだった。
エウルカがふむ、と自身と同じ肌色、髪色の管理者を見る。
「こちら側が少々集まりが悪いようですね。残り五名を待ちますか?」
「必要ありませんわ。どうせ来ないでしょう」
早く帰りたいと言わんばかりにマリリアンがエウルカの意見を否定する。エウルカは気を悪くした様子は見せず、彼女の言葉に同意した。
「そうですね。──では、管理者会議を始めましょうか」




