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皇帝の葬送

 クシャの死亡により皇位継承戦の最中(さなか)、例外的に葬儀が執り行われることとなった。ここまでの継承戦で命を落とした皇族も合わせて弔われることになる。

 だが、国中が喪に伏すのは三日間だけ。皇帝不在となった今こそ、一刻も早く次の皇帝を決めなくてはならない。


「束の間の平穏が葬儀とはな」


 雨を降らせる曇天を見上げながらジレンが独りごちた。葬儀用の質素な装いであっても、逞しい武人の風格は隠されていなかった。

 親子ほども歳の離れた異父兄をリエンは黙って見つめる。他の兄弟達は一言も発さず、何を考えているか分からない。


 皇宮に響くのは雨音のみ。まるでザジャ中から人が消えたかのように静かだった。


「そろそろ、陛下に最後の挨拶をしに行かなくては」


 ジレンの後に続いてクシャの子供達が斎場へと向かう。リエンが歩くのはその最後尾。


(遠いな……)


 先頭を歩くジレンと、最後尾を歩くリエン。兄弟が半分減ったところで、まだこれだけの距離がある。

 皇帝になるにはあの背中を越えなくてはならない。その道のりを考え、リエンはぎゅっと拳を握り締めた。


 重厚な扉が開かれ、一行が斎場へと足を踏み入れる。立ち込めた香がリエンの全身を覆った。皇宮中の武人が控え、祭壇には永い眠りについたクシャが寝かされていた。彼女の左右に並べられた棺桶には、皇位継承戦で命を落とした兄弟姉妹。先日リエンが打ち破った異父姉もそこにいた。

 ジレンが真っ直ぐクシャの元へと進んでいく。リエン達もそれに続き、クシャの眠る棺桶の前で立ち止まる。


「本当に穏やかな顔で眠られている」


 クシャを見て最初にそう零したのはジレンだった。リエンもそっと、棺桶の中に目を向ける。


(母上……)


 事ここに至ってもまだ実感が湧かなかった。目の前のクシャはただ眠っているだけではないのか。母の美しい寝顔が死化粧ゆえだと頭では分かっていても、にわかには信じ難かった。

 ついこの前皇位継承戦の幕開けを宣言した彼女が、こうして女神の御許に旅立つなど誰が想像していようか。


 どれほど経った頃か。リエン達がクシャとの別れを十分に惜しんだのち、静かに葬儀が始まった。


 クシャは、豪傑な女性だった。父である男の身分のせいで他の兄弟、姉妹から蔑まれていたリエンを、母だけは一人の皇子として扱ってくれた。決して我が子として愛でられることはなかったが、それを不満に思ったことはない。クシャにとって子供達は等しくザジャの武人、次期皇帝を目指す器で、誰か一人を特別視することはなかったからだ。


 クシャが見ていたのはいつだって戦績。戦いを求めてリエンがザジャを離れた時も、彼女は不敵に微笑んで「お前の好きにするといい」と言うだけだった。


 死者の安寧を祈るソミンの祭詞が斎場に響く。少女の声と共にリエンも母の冥福を祈った。クシャの死を今ひとつ受け取れずにいる心に、香の匂いが酷く鮮明だった。


「──では、陛下、並びに皇子殿下、皇女殿下を二柱の女神の元へ送り出します」


 ソミンが祭壇から降りると、親衛武官が皇帝の棺桶を担ぎあげた。どの武官も、長くクシャに仕えていた者ばかりだった。


 棺が運ばれた先は、屋外に設けられた火葬場。皇族を女神の元へ送る、ザジャで最も神聖な場所。


 母や兄弟姉妹の入った棺桶が並べられていく様を、リエンは黙って見つめていた。いつか自分も、その一つになる日がくるだろう。それが遥か遠い日になるか、もう間も無い日になるかは自分次第だ。


「……」


 不謹慎にもまるで物のようだと思った。五十年に渡りザジャを統治していた母すら、最期はこうも呆気なくこの世を去り。残った身体さえ今から灰に変わるのだから。

 ソミンが再び祭詞を唱え、最後に管理者(エリュプーパ)のみが許された魔法を放つ。


「破滅を招く再生よ。再生の為の破滅よ。太陽と月は永遠(とわ)に廻り、我が血は偉大なる二柱の理に還らん──女神の炎(アンジェラグニス)


 金色の神の炎が棺桶を舐めていく。それは目を見張るほど美しい光景で、同時にどうしようもない虚無感をもたらした。


 母はもういない。


 分かりきった現実を突きつける光景だった。けれど、この時初めてリエンはクシャの死を感じることができた。偉大な皇帝はもういないのだ。その事実が今になって喉元まで込み上げて。


 目頭が熱を持ち、溢れそうになる感情を必死で抑えた。


 泣くな。


 皇帝の座を狙うなら泣くな。誰よりよく分かっている。この手で人を殺めてきた自分が、母を死を泣く資格などない。

 ジレンや他の兄に目を向ける。彼らは目を閉じ、厳格な表情で祈りを捧げていた。死者を悼む心は見えても、その目に涙は見えなかった。そこに彼らと自分の差を感じることが、とても悔しかった。


 葬儀は淡々と進んだ。残った遺灰は、皇位継承戦が全て終了した後に新たな皇帝によって墓へと納められる。

 それがこの中の誰になるかはまだ分からない。そう考えながら、リエンは兄弟達を見た。


 共に葬儀に参列したとはいえ、お互い皇帝の座を狙う仲。いわば敵同士。元々仲が良かったわけでもなく、大した会話も無いまま兄弟達は早々に解散した。


(僕も部屋に戻ろう……)


 その場を離れようとしたリエンだが、しかし名前を呼ばれて阻止される。


「リエン」

「ジレン……兄上」


 第一皇子が自分を見ていた。なぜ声をかけてきたのか。心当たりは全く無い。足を止め、ジレンの方を向く。クシャから見た自分達が対等でも、身分で言えばジレンの方が遥かに上。将軍を務める彼は人望も厚く戦績だって多い。

 それに比べて自分はどうか。


 リエンが拳を握り締める。年の離れた兄を前にすると、いつだって惨めな気持ちになる。本物とはどんな人物を指すか、自分がどれだけ矮小な存在か、思い知らされるようで嫌だった。

 今も、顔や身体はジレンを向いていても彼から目を逸らしている。


「何用でしょうか」

「まさかお前がここまで残るとは想像していなかった。大したものだ」

「……ありがとうございます」


 感心を滲ませたジレンの言葉も素直に受け取れない。彼に褒められても、嬉しく感じるどころか皮肉にしか聞こえなかった。そこに自身の余裕の無さを感じてまた嫌気が差す。

 だから一度はこの国から逃げ出したのに。


「しばらく見ない間に大きくなったものだ」


 そう自分の見るジレンの目には、兄のような、父のような慈しみがあった。彼もまた、母同様身分や血筋で自分を見ない人間だった。実際ジレンが父親だったなら、彼を慕っていただろう。

 けれどジレンは兄だから。皇帝の座を狙う皇子として対等だから。お互いが地続きの線上に立っているから、どうしても好きになれなかった。


 リエンがこの世に産まれ、歩き方を覚えている間にもこの兄は戦場を駆け回っていた。埋められない経験の差に苦しみ、父親の身分の差に苦しみ、何度も理不尽に彼を呪った。彼の存在は劣等感そのものだった。

 ジレンや他の兄、姉が何人も将軍として戦地に赴いている以上、自分にその座は回ってこない。だからこそ国外へ飛び出し、公言できぬ組織に身を置いて人の殺め方をひたすらに磨いてきた。皇子と言う身分を一度捨てることにも躊躇いはなかった。元から大したものではなかったからかもしれない。


 全ては皇位継承戦で勝つために。一対一の戦いの中で勝率を上げるためだけに、多くを殺めた。


「……兄上は全くお変わりありませんね」

「そうだろう。まだ若く成長の途中にあるお前と違い、この先は老いる一方だ。全く羨ましい」

「……そうですか」


 くつくつと低く笑うジレンは母に似ていた。


「しかし本当に驚いた。相当腕を磨いたな? 弟よ」

「……」

「だからこそ言おう。リエン、皇帝の座は諦めろ」

「……は?」


 リエンがジレンの真っ黒な瞳を見つめた。

 諦めろだと? どれだけふざけたことを言っているのか、皇子であるジレンが知らないはずがない。


「……何を、仰っているのですか?」

「そのままの意味だ。皇帝になるのは諦めろ」

「そんなこと、できるはずがないでしょう」

「リエン、お前はまだ若い。ザジャを出た経験のあるお前なら、皇子という立場を捨てても生きていけるはずだ。皇位継承戦でわざわざ命を落とす理由は無い」

「馬鹿なことを!!」


 歴史上、皇位継承戦を棄権して平民に下った者はいる。だが、戦を祭りと称えるこの国で戦から逃げた人間に生きる場所は無い。

 そんな不名誉を背負うくらいなら、皇位継承戦で死ぬ方が遥かにマシだ。


「我が弟よ。ならば、お前が皇帝になってどうするつもりだ? 何の後ろ盾も無いお前が皇帝になれば、確実にザジャは不安定になる。ザジャの為を思うならば、皇帝の座は諦めろ」


 そんなこと、リエンも分かっている。だがそれが皇位継承戦を放棄する理由にはならなかった。そしてクシャなら、それを理由に「諦めろ」とは言わないはずだ。むしろ「それを覆してこそ皇帝」と、彼女ならそう言うに違いない。


(兄上は何の目的があってこんなことを……)


「リエン、哀れな末の弟よ。俺は親子程も年の離れたお前とまで殺し合いはしたくないのだ」


 なるほど、そうか。

 たしかにジレンは自分と殺し合いをしたくないのだ。こちらを思いやる言葉で包み込んだ奥底にある彼の真意は。


 怖いだろう。ずっと蟻ほどの存在だった異父弟が格上であろう兄、姉を次々破ってくるのは。

 ジレンがリエンに対し寛容だったのは、立ち位置に天地ほど差があったからだ。それが今、同じ場所まで登ろうとしているリエンに彼はたしかに恐れを抱いていた。


 そしてそれ知って初めて、リエンはジレンに好感を持つことができた。


「……いいえ兄上。それでも皇帝になるのはこの僕です」

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