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別れ

──遡ること四日前、ロゼアリアがまだ空の旅を始めたばかりの頃。

 ザジャ帝国では皇位継承戦が幕を開けていた。


 二戦目を終えたリエンの元に、ソミンが静かに歩いてくる。


「突破おめでとう、リエン」

「…………ああ」


 おめでとう。その言葉が果たして相応しいのか、ソミンにも分からない。

 リエンの全身は血に濡れ、あの独特の生臭さを放っていた。


 今し方異父姉を殺めてきた彼に「おめでとう」と声をかけるのが正しいのだろうか。しかし、皇帝への道は間違いなく一歩近づいた。

 生き残っている兄弟姉妹はもう半分もいない。だが悲しむことは許されない。ここはそういう世界なのだ。


「怪我は? すぐに治すわ」

「いいや。ソミン、君は中立でなければいけない立場だ。僕一人に肩入れするのは違う」

「それは、そうだけど……」


 リエンの言葉は正しい。その通りだ。ソミンだって分かっている。


(でも、私はリエンが統べるザジャを支えたいのよ……)


 魔法使いの最高峰である力を手にしても、祈ることしかできぬとは。それがどうしようもなく歯痒い。

 皇位継承戦はザジャの皇帝が定めたルール。人間の作った理に魔法使いが介入することはできない。


「……とにかく、おめでとう。今日はよく休んで。私は陛下の元に戻るわ」

「ありがとうソミン」


 リエンに背を向け、ソミンは控室を出た。


 皇位継承戦は帝国民にとってとても人気のある行事だ。高貴な身の者達が死に物狂いで王座を巡ってぶつかり合う気迫溢れる戦いに、誰もが熱狂している。

 ただ、魔法使いであるソミンは命を賭けた武闘会に少しも興味はそそられなかった。どの決闘を見た後も気分が悪くなる。リエンの試合など不安に襲われ、ろくに見ていられない。


(リエンの勝利を信じてるし、私はこの国の管理者(エリュプーパ)として見届ける義務があるのに……)


 短く息を吐く。しっかりしなければ。

 薄暗い階段を昇り、クシャのいる観覧席へ向かう。決闘場の中をもっともよく見渡せるこの特等席が、ソミンにとっては地獄だった。


 決闘直後の休憩時間。観客の興奮を一度落ち着かせるためでもあり、決闘場を整えるための時間でもある。今も、激しい戦闘の跡と血の痕を神殿の魔法使い達が片付けていた。

 リエンが葬った皇女の遺体は既に場外へと運ばれたようだ。それに、ソミンは少し安堵する。


 皇位継承戦の期間は皇族の遺体が多く出るが、毎度葬儀を執り行う余裕はない。防腐処理を施された彼らは安置所に一時的に置かれ、皇位継承戦の後、新たな皇帝によって女神の元へ送られる。


「リエンの所に行っていたのか?」


 決闘場を見下ろしたまま、こちらにクシャが声を投げてきた。


「……はい、陛下」


 彼女に隠し事は通じない。クシャの問いにソミンは肯定を返す。


「分かっているとは思うが、お前が仕えるのはリュイ家であり、ザジャを統べる皇帝だ。誰か一人に肩入れするのは相応しくない」

「はい……心得ております」

「しかしリエンとお前が兄妹同然のように生きてきたことは余も分かっておる。あの子を心配するなとは言わん。だが、どのような結果であっても恨むでないぞ」


 クシャの言葉がソミンに引っかかった。その言い方ではまるで、リエンが勝てないというようなものじゃないか。


「陛下は……リエン殿下が勝てないとお考えなのですか?」


 尋ねる途中で声が震えた。リエンが死ぬなど、考えただけで恐ろしい。だからこそクシャに否定してほしかった。この大国を統治する、絶対的な皇帝である彼女に「大丈夫だ」と言ってもらえれば安心できると、そう思った。

 だが、クシャはソミンが思うよりもずっと冷徹な女性だった。


「さあな。余の子供達はどの子も誇り高きザジャの武人。どの子が皇帝になっても申し分ない。故に皇位継承戦は先が読めぬ。だからこそ、民はこの戦いに心を躍らせるわけだが」


 クシャがゆったりと足を組む。自らが産んだ子供達が命の奪い合いを繰り広げるのを、彼女はなんとも思っていないようだった。

 それもそうだろう。かつてはクシャも、この戦いに身を投じて皇帝の座をもぎ取ったのだから。


「だがやはり特出しているのはジレンだな。幾度も軍を率いてきたあの子なら、今日皇帝の座を明け渡しても何の心配もないだろう」

「……」

「もちろん他の子供達も十分見込みはあるが、間違いなく最終戦の片方はジレンで決まるはずだ」


 第一皇子をクシャが気に入っていることは明らかだった。数々の遠征でラウニャドールを打ち破ってきた彼は、国民からも根強い支持がある。第一皇子が皇帝になればザジャの安定は約束されたも同然だ。


 それでも。


「まあ、武将として強ければ皇位継承戦で必ず勝てるか、と言えばそうとも限らぬ。継承戦は戦争ではあるまい。命のやりとりという観点で見れば、リエンにも望みはたしかにある」


 クシャの言葉は絶望をもたらさなかったが、希望ももたらさなかった。


 リエンが皇帝になる可能性は残されている。しかし、皇帝となった時の後ろ盾の少なさも否定できない。対する第一皇子ジレンは、後ろ盾も実績も十二分にあった。

 暗殺者としての実力はあっても武将としての経験値はない。そんな皇帝を、民は受け入れてくれるだろうか。


「結局のところ、最後まで見届ける他ならん。期待通りジレンが勝つも良し、他の子供達がジレンを打ち倒すも良し。余とて番狂わせは嫌いではない」


 くつくつと笑うクシャの口から、こぷりと血が溢れた。


「陛下!!」


 慌ててソミンや魔法使い、従者がクシャの元に集まる。


「ガハッ……ぐっ……」


 鮮やかな赤が皇帝の衣装を染め上げる。血は、今もまだクシャの口から流れ続けていた。


「今すぐ治癒魔法を!!」

「無駄だ……これはおそらく、呪いの代償、だろうな……」


 身体の若さを保ち続けることと引き換えに売り払った自らの寿命。その寿命が尽きようとしていた。治癒はできない。誰よりクシャが分かっている。元より覚悟のうえで選んだ呪いだ。死を間近に感じる今も、過去の選択に後悔は感じなかった。


 できることなら、もう少し持ってもらいたかったが。これでは、次の皇帝を自分の目で見ることは叶わないだろう。霞む視界の先で医官や魔法使い達が慌ただしく駆け回るのが見えた。自分以上に焦る彼らがなぜか可笑しく思え、意識を失う直前にもかかわらずクシャは口元を吊り上げた。


──皇帝が倒れたことで、皇位継承戦は一時的に中断された。


「母上!!」


 リエンを含め生き残った皇子、皇女達がクシャの部屋へと押しかける。大きな寝台に横たわるクシャの顔は変わらず美しく、だが生気は感じられない。


「ソミン、母上の状態は!?」

「大神官殿、一体何があった!?」


 一気に詰め寄られ、たじろきながらもソミンが口を開く。


「陛下は……呪いの代償として寿命を払っておられます。その寿命がとうとう尽きられているのが、倒れられた理由です」

「どうにかならぬのか!?」

「シンラ殿下、どうかご冷静に」

「冷静でなどいられるか!! 衰弱した陛下を前に、なぜ魔法使いは何もしない!!」


 何もしないのではなく、できないのだ。クシャの血を止めることはできても、失われた寿命を取り返すことなどできない。それは時間逆行を実現するに等しい話なのだ。


「ソミンを責めるでない……これは余が自ら選んだものであり、余に呪いをかけたのは先代の管理者(エリュプーパ)だ……」

「陛下!!」

「母上!!」


 目を開けたクシャの前に彼女の子供達が集まる。いくつもの切羽詰まった表情を見回して、クシャがわずかに笑った。


「ふ……お前達、皇位継承戦はどうした」

「陛下が倒れられたと聞き、一時中断としました」

「ジレン……随分と甘くなったのではないか」

「ザジャの皇帝はまだ貴女様です。陛下の御身を優先しておかしなことはありますまい」

「こんな最期を遂げるつもりではなかったがな……」


 皇位継承戦を勝ち抜いた皇族が最後に戦うのは現皇帝だ。皇帝を倒してこそ、自らが新たな皇帝に相応しいと民に証明できる。


「無念なことよ……我が選択に後悔などないが、お前達との誰とも刃を交えずに去らねばならぬことが、この上なく惜しい……」

「そう仰るならば、諦めてはなりませぬ母上!!」

「そうだな……余も、我が子の腕の中で最期を迎えるものとばかり思っていたが……人生とは、思った通りにいかぬものだ……」


 これまで歩んできた道のりのように、自分の最期はもっとも荒々しいものだと思い込んでいた。それが、全員でないとはいえ子供達に囲まれ、惜しまれながらだとはどうして想像できただろうか。


(先に旅立った子供達にも、合わせる顔が無いな……)


 生ぬるい。だが、決して悪くはない。自身がこんな平穏な終わりを迎えるとは、考えただけで可笑しかった。これでは、歴史に名を残す死に様とは言えないじゃないか。


「……母上?」


 もう何も話さなくなったクシャを、リエン達が不思議そうに見つめる。穏やかな笑顔だ。それでいて皇帝の威厳は損なわれていない。


「母上」


 呼びかけにクシャが応じることはなかった。彼女はとっくに、二柱の女神の元へと旅立っていた。

 ソミンがクシャの首に触れ、その鼓動が失われていることを確認する。


「大神官殿」


 ジレンに促され、ソミンは一度深く息を吸い。震える声で、皇帝の旅立ちをその場に告げた。


「陛下は、身罷られました」

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