カンパーニャの夜
窓の外にはカンパーニャの通りが見えている。目の前の街灯に群がる羽虫達をロゼアリアは眺めた。
巻き込まれたなんて思っていない。自分から飛び込んだのだから。
俯いた彼は今、何を思っているのだろう。
「カイヤナイトに向き合う覚悟なんてできてなかった。そのせいで結局、ロゼ達を危険に晒してしまった。本当にすまない」
「アルデバラン……」
「迷ったんだ。管理者としての力を使うべきか。いや、カイヤナイトに対抗するなら、使わなきゃいけなかった」
でも出来なかった。三百年前と同じことをしてしまうんじゃないかという恐怖が、強大な力を拒んだ。
「俺が優柔不断だったせいでロゼをあいつの前に立たせることになった。……今さら聞くが、どこも怪我してないよな?」
「うん。アルデバランがくれたピアスのおかげで大丈夫」
「そうか」
沈んだアルデバランを何とか励まそうとロゼアリアも言葉を探す。余計なことを言って怒らせたり傷つけないよう、慎重に。
(アルデバランは今、どんな表情をしてるんだろう……)
前髪に隠されたその横顔が気になり、アルデバランにそっと手を伸ばした。
(嫌がられる、かな……)
それでも、なんだかアルデバランが泣いているような気がして。彼の泣くところなど想像がつかないが、そんな気がして。もしそうなら、拭ってあげたくて。
指先で彼の黒髪を優しく払った。露になった美しい横顔は、それでもどこか苦しそうで。
炎がつっと向けられる。
「ん?」
「あっ、ううん。落ち込んでるのかなって」
アルデバランが落ち込んでいることなどとうに分かっているのに。結局変なことを口走ってしまった。
「ロゼが気にする必要はない」
優しい拒絶。こちらを心配させまいと表情を緩めてみせたアルデバランに、ロゼアリアはもどかしさを抱える。
気にするに決まっている。好きなのだから。
「気にするなって、言われても難しい……アルデバランは他人じゃないから、私にできることなら力になりたいって思う」
「気持ちはありがたいが、それでロゼが危険な目に遭うのは望まない」
「それは、気をつけるから。それにほら、このピアスだってあるし」
「言っただろ。躊躇いなく危険に首を突っ込ませるためにそのピアスをあげたわけじゃない」
「言われたけど……」
魔法使いでないロゼアリアは、自分の身で戦うしかない。それを無茶だと言われてしまうと、他にどうしようもなかった。
「アルデバランが悩んでるのは、管理者としての力を使えずにいること?」
「ああ」
たしか、星祭りの前もそう話していた。防衛結界を自分一人で貼ろうと思えばすぐに貼れるのに、それをしないことを。
アルデバランは人々の目に自分が救世主として映ることがないようにしている。力を使わないのはそのためだと思っていた。
「管理者の力を使わないようにしてるんでしょ? カイヤナイト卿との戦いでも、その信念を貫いただけじゃないの?」
「違う」
テーブルの上でアルデバランが拳を握り締める。
「今の俺は、母なる石の加護を使えないんだ」
使えないと聞いてロゼアリアが眉をひそめる。もしかして、生まれ直しの呪いの他に管理者としての制限をかけられているのか。
「母なる石から少し魔力を借りるくらいならできる。けど、その加護を得て強大な魔法を使うことが、できない」
「どうして? 月の女神様に制限されてるの?」
「いや、俺自身の問題だ。代償も魔力切れも無しに強力な魔法を使えるようになった時に……ブレイズと同じ過ちを犯すんじゃないか、また大勢を傷つけるんじゃないか。そんな考えが頭から離れない」
アルデバランの拳にグッと筋が浮き上がる。
「怖いんだ。俺が強大な力を持つのが」
だから使えなかった。
アルデバランが吐き出したのは、彼の心の奥に巣食う恐怖。
「……自分がブレイズみたいになるかもしれないって思ってるの?」
ロゼアリアの問いに沈黙で肯定した。
自身がブレイズと同じ道を辿らないとどうして言い切れよう。アルデバランとブレイズは地続きに等しいのに。
「私は、アルデバランをブレイズと同じだって思ってない。強い力を手にすることを恐れてる貴方を、私は信頼してる」
アルデバランがいたずらに力を振るう魔法使いではないと分かっているから。
「前にも言ったでしょ。貴方が人間を殺そうとしたら、私が止めるって。だから、えっと……一人で悩まなくても大丈夫。管理者の力も、使いたくなかったら無理に使わなくてもいいと思う」
ロゼアリアなりの精一杯の励ましだった。アルデバランが母なる石の加護とやらを使えなくても、ロゼアリアは少しも気にしないから。
そんなものが無くともアルデバランがすごい魔法使いだということは知っている。
「ありがとう。だが、俺のせいでロゼ達が危険な目に遭うのは違う。どうにか恐怖を払拭できるよう、やってみるつもりだ」
「アルデバランがそう言うなら、私は応援する。でも恐怖は払拭しなくても良いと思う」
アルデバランを信頼しているのは、彼が強大な力に怯えているからだ。その恐怖を払拭してしまった方が、彼が危惧する黒い魔法使いに近づいてしまう。
「怖いままで良いと思う。その感覚は大事だから」
「そうか」
「うん」
それから、二人でバスケットのパンを齧った。すっかり冷めていたが、柔らかくて美味しかった。
ジャムも貰ってくれば良かったかもしれない。
ふと盗み見たアルデバランの横顔は、先程よりも明るく見えた。ロゼアリアの思い込みかもしれないが。
「ねえ、次カイヤナイト卿に会ったらどうするの? また戦いになったら?」
尋ねれば、アルデバランが少し考える。
「そうだな……徹底的に魔法を無力化させて戦意を折る方向で対処したいと考えてる」
それはなんともアルデバランらしい。その答えが返ってくる時点で、アルデバランはきっと大丈夫だ。二度とアルタイルの好きにされることは無いだろう。
満足しながら、ロゼアリアは残りのパンを口の中に押し込んだ。
「そういえば、どうしてアルデバランとカイヤナイト卿は同じ顔をしてるの?」
ふと気になっていたことを尋ねる。肌や髪の色は違うが、アルデバランとアルタイルの顔の造りは瓜二つだった。思い返せば、声や背丈も似ていた気がする。
血縁者、と言うには遠く、全くの他人と思うには似すぎている。
「それは……──」
アルデバランが口を開いた時、誰かがこちらへ走ってくる足音が聞こえた。何かあったのかと二人が顔を見合わせる。
「どうしたんだろ」
「さあな」
席を立つと同時に駆け込んで来たのはオロルック。
「お嬢! カーネリア卿! ここにいたんスね!!」
「オロルック、どうしたの? 何かあった?」
血相を変えた彼の表情を見れば、ただごとじゃないことは分かる。
「たった今報せが入って、ザジャのクシャ帝が崩御したらしいっス!!」
「えっ──」
皇位継承戦最中の皇帝の崩御。
ザジャが、揺れる。




