カイヤナイトの魔法使い
ふわり、と真っ白な魔法使いが降りてくる。重力を感じさせない軽やかな足取りで地面を捉える様は、彼が月の女神から地上に送られた使者かと思わせた。灰褐色の肌がことさら人離れした存在だと見せつける。特に目を引くのはその両眼。まるで深海を覗き込んだように惹きつけて離さない。
そしてやはり、見覚えがある顔をしていた。ここまで特徴的な魔法使いは一度見れば忘れない。彼と会うのは間違いなくこれが初めてであるはずなのに。
「カイヤナイト……」
アルデバランの呟きで、彼こそがシュヴダニアの管理者なのだと確信する。自国の管理者の登場は騎士達も知らされていなかったのだろう。戸惑った表情で真っ白な魔法使いを見つめる。
「──驚かせてしまってすみません。別に、危害を加える意図はなかったのですが」
口調こそ物腰柔らかいが、その声は薄氷を纏っていた。
「魔導長官様、どうしてこちらに」
「ただの野暮用ですよ。あなた方にも、それからそちらの小国の使節の方々にも用事はありません。用があるのはそこの男です」
スッと華奢な指が向いた先はアルデバラン。深海が細められ、薄ら笑いを貼りつけた顔は何を考えているか分からない。
ただ、アルデバランに対し敵意を持っていることは明らかだった。
「敬愛なる我が君の統べる地に、大罪人の血筋が踏み入ることを見過ごすわけにはいきませんから」
深海と炎が、白と黒がぶつかる。同じ管理者でありながら、彼らが対極の位置に在ることは一目瞭然だった。
「彼は一体?」
ロドニシオが皇国騎士の一人に尋ねる。
「あの御方は皇国魔導庁長官を務められる我が国の管理者、アルタイル・ポラリス・カイヤナイト様です」
アルタイルの目がこちらを見た。くるりと人差し指を回すと、ロゼアリア達と皇国騎士達を分断するように鉄の牢が現れる。
「な、なに!?」
「邪魔をされては困りますからねえ。人間を巻き込むのは本意ではないので、しばらくそこで大人しくしていてください」
ロゼアリアが鉄格子を掴むが、当然びくともしない。完全に閉じ込められてしまった。檻の外にいるのはアルデバランとアルタイルのただ二人。
──何を、するつもりだ。
アルタイルと向き合うアルデバランの横顔を見つめる。その顔に滲むは罪悪感。
「さて。大罪人の血筋がよく姿を現せたものですね。貴方の先祖が私の先祖にしたことは分かっていますか?」
「……ああ」
「では──」
アルタイルの後方で無数の氷が形成される。それらは鋭い棘となり、先端をギラギラと輝かせた。切先は全てアルデバランを向いている。
「アルデバラン!」
氷槍が一斉に彼へと降り注ぎ、ロゼアリアが鉄格子を掴んだ。もちろん氷がアルデバランに触れることはなく、見えない壁にぶつかって溶ける。
アルデバランのことだ。ロゼアリアが心配するまでもないことは分かっている。それでも、嫌な予感がしてならなかった。
あの白い魔法使いも、当然のように無言詠唱を使うからかもしれない。
一瞬でその場は平穏を失った。風の刃が地面を抉り、雷撃が空気を切り裂く。いとも簡単に木々はなぎ倒され、林だった場所はだだっ広い大地が先まで続いていた。
ありとあらゆる自然災害を一度に目の当たりにしていると言っても過言ではない。ロゼアリア達がどうにか巻き込まれずにいるのは、この災害をもたらしているのが魔法使いだからだ。
管理者同士の戦いを見るのはザジャ以来。しかし、あの時とは様子が違う。相変わらずアルデバランはその場に立ち、アルタイルの魔法を打ち消している。だがその表情に余裕は見られなかった。
「俺の存在が気に食わないならこの場から立ち去る。けど、他の管理者には協力してほしい」
「自身がこの場から立ち去れば済むとでも?」
銀の光を身体に帯びたアルタイルは、一層月の女神の使者に見える。放たれる威圧は凄まじく、檻にいるロゼアリア達も足がすくみそうだった。
氷の隕石が無差別に辺りに落ち、大地を凍てつかせる。それがロゼアリア達のいる檻にも注がれるのに気づき、アルデバランが咄嗟に砕く。
「お前……っ!!」
「おっと、つい気を抜いてしまいました」
アルタイルがニヤニヤと浮かべる嫌な笑顔が彼自身の言葉を否定している。今の攻撃は間違いなくわざとだ。
(だから、自国の人間とロゼ達の檻を分けて……!)
皇国騎士と馬車を閉じ込めた檻は安全地帯。だが、ロゼアリア達は人質だ。
「カイヤナイト!! お前の狙いは俺だろう!! あの子達まで危険に晒すな!!」
「へえ、カーネリアのくせに貴方は随分甘い考えをお持ちなんですねえ」
アルタイルが深海を細める。その奥に青い憎悪がじわりと滲んだ。
再び檻へ氷槍が襲いかかり、それをアルデバランが振り払う。三百年存在する魔法使いにとって、それは造作も無いことだった。
相手が、普通の魔法使いであれば。
「母なる石の加護も無しに私と渡り合う気ですか?」
「俺はお前と争うつもりはない」
「ならば大人しく殺されてください」
細かな氷刃を孕んだ竜巻がアルデバランを囲う。それも、アルデバランに触れる前にフッと消滅した。
アルタイルが望むならこの場で死ぬこと自体は構わない。それで彼の気が晴れるなら、いくらでも命を差し出したっていい。だが、生まれ直しが露呈するのは避けなければ。
それに。
ロゼアリアはアルデバランが死ぬのを望まないだろう。
(どうする……)
場を収めるには防戦に回るのを辞めなければ。それは分かっている。分かっているが、今の自分にはアルタイルを攻撃することはできない。
だって彼の先祖を殺したのは、他でもなく自分なのだから。
その罪を背負っておきながら、アルタイルからの憎悪を力でねじ伏せる資格などあるはずがない。
(けどこのままだとロゼ達まで巻き込まれる……)
「この状況で考え事ですか? まだ余裕があるようで」
押し固められた空気が左右から迫る。それも魔法で相殺。アルデバランが傷一つ負うことはない。
「気に食わない男ですね。大罪人の血筋でありながらこうして平然と生きていることも、私に対して手を抜いていることも」
「手を抜いてるわけじゃ──」
空気中に舞う氷の粒子が視界を妨げ、アルタイルの姿を隠す。一瞬の隙をついて眼前に迫る、氷の刃。
「くっ……」
先端から刃が蒸発し、冷たい風がアルデバランの頬を撫でた。続けざまに次の刃が至近距離から放たれる。
「この距離なら、私が魔法式を組み立てるのと同時に私の魔法式を解かなければ間に合わないでしょう。同時に彼らを庇うとなれば、いつまで持ちますかねえ?」
アルタイルが嗤う。母なる石の加護を使う彼は、魔力が尽きることはない。対して、加護を使わないアルデバランの魔力は有限だ。いくら魔法式を効率化しようと、このまま魔法を使い続ければいずれ魔力は果ててしまう。
とうとうアルデバランがアルタイルの魔法を避けた。少しでも魔力の消費を抑えるなら、躱せるものは躱すしかない。
これはアルタイルからの挑発だ。アルタイルと本気で戦うか、彼に殺されるか。今のアルデバランが中途半端だとアルタイルも見抜いているのだろう。
けれど。決心がつかない。黒い魔法使いが再び強大な力を手にするのを、誰よりアルデバランが恐れていた。
「私は構いませんがね。自ら勝ち筋を失くす理由もありませんし」
「俺はお前と話をしに来ただけだ」
「シュヴダニアにとってラウニャドールは脅威ではありません。何故我々が他国の面倒を見る必要がありますか?」
「いいや、世界規模で見ればラウニャドールはこの星を侵蝕しすぎている。だから管理者の協力が必要なんだ」
「元はと言えばラウニャドールは貴方の先祖が撒いた種でしょう。私達はその尻拭いを押し付けられているに過ぎません」
氷槍が、アルデバランの耳元を掠めていった。




