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第二十一話

 弐の国へと向かう道中。最初は確かに順調だった。けれど次第に、弐の国と参の国の国境が近付くにつれて、不穏な空気が漂い始める。

 馬車の窓から覗く参の国の景色は、美しい、豊かだとはとても言い切れなくなってきていた。然しそれでも十分に整えられ、平均以上は程度はあっただろう。

――だが。段々とそれらは綻びを、寂れを見せ始める。

 街中は賑わいを失い、店は構えてあるものの、閉店しているのか。長い事開かれた様子はない。間にある田畑は荒れ果ててまではいないが、所々に枯れた作物や草木が目立つ。

 弐の国に近付く程それは顕著となり、シヴァと悠木は揃って顔を見合わせ、眉を顰めた。シェラすら少し驚いた顔をしていたというのに、然しただ一人セラだけは顔色すら変えずにいて。

 予想していたのか。だとしたら如何して予想出来たのか、とシヴァは悠木と額を突き合わせて、ひそひそと話し込む。勿論、結果なんて出やしなかったけれど。

 そうしているうちに、気が付けば馬車は弐の国に入っていた。車窓から見える景色は――やはり、散々たるもの。


「……それほど距離がある訳でもないのに」

「国と国の間には、見えざる結界がありますから」


 外を見て。思わず溢れた悠木の声を拾ったのは、意外な事にセラだった。酷い有様を目の当たりにして重暗くなった馬車の中では、不釣り合いな笑みをその顔に浮かべながら言うその姿に。悠木は、得体の知れぬ恐怖を覚える。

 先の一件の事もあり、尚更思うところがあるのだろう。過剰反応してるといえば、そうなのかも知れない。けれど、如何してもセラを信頼する事は難しそうに感じた。


「結界……それは、音獣を防ぐ?」

「そうですね。音獣を弾き、彼らに豊かさを喰われることを阻止する為の結界です。ユウキ様は、ラフィーネを演奏なされたでしょう? あれで奏でた音が集まり、結界を作り上げる。ラフィーネとは、音獣が嫌う音で結界を作り出す為のもの。だから、たとえ豊かな国が近くにあろうとも、その豊かさが他国に移る事も、逆に貧した国の貧しさが移る事はないそうです」

「……じゃあ何故、国境付近の参の国の町は、貧していたんでしょうか」

「ありていに言えば、わたしの力不足……ですね」


 表情も、声のトーンも。少しとして何も、変わらない。いっそ気味が悪いくらいに。

 普通自分で自分を卑下する時は、悲しみか、苦しみか、自虐か。或いはそれに通ずる何かを纏うもの。けれどセラには、それが一切ないのだ。

 淡々とただ事実を述べるだけのその姿に、思わず悠木とシヴァはこっそりと目を合わせる。如何してそんなに飄々としていられるのかと、言わんばかりに。


「わたしの力では、国全体に強固な結界を張る事は不可能に近いのです。ですから、遠くなればなるほど、結界の力は弱まり、そうして音獣は豊かさを音と共に食べれてしまう。だからといって、遠くまで響かせようとすれば――……国全体が、緩やかに死んでいく。わたしは、多くの為に少ない人を見捨てる事を、決めました。共に、全てが死に行くよりはずっと良いのだと、自分に言い聞かせて」


 けれど、それに気付いたのか否か。分からないが、セラは言葉を続ける。それは如何しようもなく重たい言葉で、目を合わせていた二人はセラへと視線を向けた。

 そこに宿るのは、同情だったのだろうか。シヴァも悠木も自分たちの事ながら、良く分からない。ただ如何しようもなく、今初めてセラという人間が、人間に――同じただの“ヒト”なのだと、実感出来たような気がした。そうして、悠木たちよりももっと先を、様々なものを見てきたのだと。

 一層重々しくなってしまった空気に、けれど誰もそれを払拭する事は出来ず。馬車が止まるまで、馬車の中はどんよりとした暗い空気に包まれていた。


 * * * * *


「……凄い落差」


 出てきた料理を見て、思わず悠木は小さく呟く。

 弐の国に入って初めての町。そこは先から予想出来た以上に、見て分かる程貧しかった。

 だからある程度は分かってたいた筈なのだけれども。腹拵えをする為に訪れた店で出された、目の前にある膳の上の物を見て。思わず、比べて呟いてしまう。悠木の予想なんか、悪い意味で遥かに上回っていたから。

 パンは、これでもかと固いカチコチの黒パン。もう何日も放置されていたかのように、乾燥している。

 メインデッシュは、何かのスープなのだと思う。然し余りにも具材が少ない。大皿に小さな干し肉が一切れ。そうして野菜が少し入っているかどうか。見た目だけで言えば、ただの水煮にしか見えない。実際食べてみても全体的に、味はあまりついていなかった。

 もてなせとも思わなかったし、今までの待遇が当然とも感じなかったけれど。それにしてもあの半分でも此方に分ければ良いのに、と思ってしまうのは仕方ないだろう。無論、無理な事ぐらい悠木には分かっていたけれど。

 同じ奏者がいるはずなのに、国が違うだけで此れ程までに差がある。それは悠木にとってとても可笑しなものに映ると同時に、けれど仕方のない事にも見えていた。

 悠木が元いた現代社会でも、国が少し違うだけでやれ紛争だ、食糧困難だ、なんて。関心がなく、関わりがなかっただけで、当然のようにあったのだから。

 目の前にあるスープをスプーンで掬い、口に運ぶ。一口目に食べたときと変わらず、味を感じる事はない。いっそ水を飲んでいる方が、まだマシだと思う。

 それでも、悠木はパンもスープも、残す事はなかった。それはシヴァやセラたちも同じだったようで。一行が立ち去った後の机の上に並んだ食器は、何れも綺麗なものだったと言えるだろう。


 * * * * *


 それから、もう少し馬車を走らせて。支柱に辿り着くまでに幾らか町を通ったけれど、やはり何処もかしこも似たり寄ったりだった。

 参の国のように、中心地に行けば、なんて事もない。ただただ、同じ景色が広がるのみ。

 であれど、まだ人々の生気が途切れていない事は、唯一の幸いと呼べるだろう。もしそうなっていれば――悠木が演奏して、結界を張り直した所で。如何にもならない。というより、出来ないというべきか。

 少しだけホッと胸を撫で下ろしつつ、先陣切って馬車を降りた悠木は。出迎えた男の風体に、少しだけ眉を顰める。


「お待ちしておりました。救世主様」


 頭を下げながらそういう男は、この貧した土地に不釣り合いな程、太っていた。とはいえ、普通ならば平均より少し肥えている程度だともいえるのだけれども。

 然し今まで通ってきた道にいた、或いはほんの僅かにでも関わったこの国の人間は、皆平均以下の体型。それだけで男の異常さが分かるというもの。

 悠木の後ろから降りてきたシヴァも、同じように眉間に皺を寄せて。ただ、やはりセラだけは少しも表情を変える事はない。


「……出迎え、感謝します。早速ですが、奏者の方にお会いしたいのですが」


 不快感や疑問を押し殺し、普段より幾分か低くなってしまった声で、悠木は問い掛ける。


「そんなに急がなくとも。会う前に如何です? 一杯……と、言いたいところなんですがねえ」


 いないんですよ。奏者――そう続いた言葉に、生まれかけた嫌悪感は吹き飛び、悠木は勿論、セラまでもが目を瞬かせた。


「……いないって、如何いうことですか?」

「如何もこうも……死んだんですよ。確か、一ヶ月くらい前に」


 何て事がない風に男は言ったが、それは重大な事だろう。奏者がいなければ、結界は保たない。偶々今回は悠木が喚ばれていたから良かったものの、そうでなかったら、一体如何したというのだろうか。

 一ヶ月の間だけであったから、まだ如何にかなったのだと思う。だが、これから先も奏者不在では如何にもならないではないか。

 何より、たかだか一ヶ月前の出来事――それも人が亡くなった、その正確な日付すら覚えていないとは。悠木は怒りの感情を通り越して。ただただ、呆れる。


「まあ、元々積極的ではない方でしたからねえ。中央に取り替えを頼んではいたんですが。……ああ、もしや奥にいる者がその予定だった者ですかな。遅かったですなぁ。然し救世主様がいらっしゃった今では無用の長物ではありますが」


 豪快に笑うその男の声が。悠木にとっては下品で、穢らわしくて、聞いている事すら不愉快だった。

――目の前の男は、否。或いは先の国や本体の付近で出逢ったいけ好かない連中は、シヴァやセラは勿論。悠木ですら“人”ではなく“自分に都合の良い道具”としか見ていないに違いない。そうでなければ、取り替えとか、無用の長物などとは口が裂けても言えぬだろう。

 何処か確信めいたその気持ちを抱きながらも、悠木の中に怒りが生まれる事はなかった。怒るだけ無駄だ、というより同じ人間だとは到底思えなくなったと言う方が正しいか。きっと男は、悠木たちとは違う、同じような姿形をしただけの別のナニかなのだろう。

 ただ、シヴァは悠木とは同じ考えではなかったようだ。その顔を怒りに染め、今にも殴りかからんばかりの勢いで、悠木の横を通り過ぎて行こうとした。然し、悠木はそんなシヴァの肩を掴み、行動を止める。

 なんでだよ、と抗議の目線を投げ掛けるシヴァ。けれど悠木はただ首を左右に振り、我慢しろと言外に伝えようと試みた。


「僕の横にいるのが、中央の奏者、その奥にいる蜂蜜色の髪の女性が、参の国の奏者です」

「ええ、知っていますよ。これでも一国を預かってるものですからな。私が言ってるのは更にその奥――其処に立ってる女の事です」

「……彼女は侍女だと聞き及んでおりますが」


 嫌味の一つや二つぶつけてやろうかと思った。だが、慣れない事はするものではない。相手にはその意図が伝わる事がなかったどころか、思いもよらぬ言葉が返ってくる。

 だから思わずたっぷりと間をあけてしまった挙句。信じられない、と感情を声に乗せた言葉を発してしまう。


「ですから、替えなのですよ。ほんの僅かでも力があるものは、侍女或いは従僕として召し上げて、万が一に備えるのが通例です。……まあ、これは本人と一部の者しか知らない事ですが」


 男はちらりと、シェラに視線を向けた。そうだろう、と言わんばかりに。シェラがそれに応えることはない。ただ、黙って俯いている。

 沈黙は肯定ともいう。それがきっと、シェラの答えなのだ。悠木は突如降ってきた事実に、どう対応していいか分からなくなった。

 悠木が来た以上、シェラが亡くなった奏者の代わりになる事は、ない。絶対。それでも。今まで、代替え品として長く過ごしてきた事実は変わらないのだ。それは一体、どれほどの負荷だっただろうか。

 確かに奏者となった方が、負担は大きいだろう。セラを見ても、この国の亡くなった奏者の扱いを見てもそれは一目瞭然。勿論セラやシヴァだって、きっと代替え品として過ごした時間も、ある筈だ。然し、シェラとの間には怯えて生きてきた年月の差というものがある。

 何方の方が良いかだなんて、一概には言えない。むしろ何方でもない方が本来は望ましいのだ。そしてその望ましい位置の人間が、悠木。はたしてそんな人間が、慰めても良いものか――答えは否。持つべきものが、持たざるものを慰めることなんて出来やしない。それが悠木の経験に基づいた、持論。

 結局悠木は男の言葉に、はあ、とかそうですか、なんて。差し当りのない言葉しか、返せなかった。 それに、シェラの顔ををまともに見ることも叶わなくて――なんとなく、気持ちが塞ぎ込んでしまう。

 そのまま、なんとなく全体に気不味い雰囲気が流れ。だがそれに気付かなかった男が、のんきに屋敷の中に招き入れた。

 一同男の後について歩いているが、得意げに屋敷の調度品などをぺらぺらと話す男に対し。一同の空気は重く、お通夜のよう。ようやくそれが解消されたのは、個々に部屋を割り当てられ解散した後のこと。

 息苦しさから漸く解放された悠木は。生まれた気持ちを吐き出すかのように、息を出す。


「流石のわたしも知りませんでした」


 備え付けてあったベッドに寝転がる。天井を眺め、一人ぼんやりとしていたところに聞こえてきたノック音。驚き、少し上ずった声で返事をすれば。姿を現したのは予想外な人物――セラだった。慌ててベッドから飛び起き、セラを迎え入れる。

 来客用に備え付けてあるのだろう。テーブルを挟み、二脚あるソファのうちの一つを勧め、飲み物の準備を始めた。

 普段はシェラが、こういったことをしてくれている。勿論今回も例外なく、そうしてくれようとしたのだが――気まずさ所以か。悠木はその申し出を、少し前に断ったばかり。ただ手順だけは教えてもらっていたので、その通りに進めていく。

 用意が終わり。テーブルまで運べば、それぞれセラと悠木の前に置く。既に座っていたセラの向かいに悠木も座り、話を促せば――何処か言い訳染みた言葉が、セラの口から零れた。

 だからどうしたんだ、というのが悠木の率直な感想だったのだが――


「なので、あなたが気にすることではないと思います」


 如何やらセラは、悠木のことを気遣ってくれたらしい。予想だにしなかったことに、思わず目を見開く。そんな悠木を見ても、セラは不服そうな顔をすることもないまま、目の前に出された紅茶を飲み干し。立ち上がる。


「わたしがいいたかったのは、それだけです。……紅茶、ありがとうございました。でも、少し蒸らし過ぎだと思います」


 相変わらず、表情は変わらない。人形のようだと思う。けれどこうして悠木を気遣ってくれたことや、少し前にセラの言葉で聞いた話を思い出せば――感情がないわけでは、ないのだろう。

 否、ちゃんと感情はあって。けれどそれをどうやって出すのかを、知らないだけなのかもしれない。傾向は違えども、なんとなく、少し前の悠木と似ているような気がして。部屋を出て行くセラの後ろ姿を座ったまま見送りながら、紅茶に手を伸ばす。

 初めて入れた紅茶は、確かに味が濃く。舌に苦味が残るものだった。

長らく更新が止まっていて申し訳ありません。

どれだけ時間が掛かろうと、必ず完結はさせます。後5話程度の予定ですので、お付き合い頂ければ幸いです。

(書き直したくなってるなんてそんなまさか)

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