証拠は隠滅しないものって話
もしも何か悪いことをするなら、必ず証拠を残すべきだ。そうすればきっと、誰かがそれを見つけてくれる。そうすれば叱ってもらえる。やり直せる。だからそうしなさい。
それは、今はもう死んだ父がよく言って聞かせた言葉だった。だから僕は、衝動に任せて人を殺した時だって、その言いつけをよく守った。
殺したのはバイトの先輩で、今はフリーターをしている鈴木という男だった。読みはスズキではなくススキで、いつもこんがりと肌を焼いていたから、みんな心の中では煤木と呼んでいたと思う。
彼はもう四十を過ぎたのに、僕と同じ時期にバイトにはいった川島さんに懸想する、現実と妄想の区別をつける能力か、はたまた自分を鑑みる能力が不足している面があった。
僕は川島さんが可哀想に思ったけれど、こっちにまで飛び火したら敵わないので、どうにか穏便に済ますためにそのことから目を背けていた。
だからきっと、川島さんは罪悪感がわかなかったのだろう。僕に好意を向けることで、鈴木のヘイトを僕に向けさせた。僕には憎悪を愛情と呼べるような懐の深さはないので、なんてこったと頭を抱え、川島さんを殺してやろうかと考えた。
結果的に、彼女はあれで結構な強かさを持っていて、というか僕をこんな目に遭わせた時点でそれは察してしかるべきだったのだけれど、まぁとにかく警戒心が強くて隙がなかったので、諦めて対象を鈴木に変えたのである。
僕は鈴木が退勤後に通る道を須らく調べあげ、その中で最も邪魔が入りにくそうで、それでいてしっかりと監視カメラに僕の犯行が映る地点を導き出すと、その場で身を潜め、後ろから彼を滅多刺しにした。
彼はもがき、苦しみ、そして死んだ。その必死の形相は、僕が想像していたよりもずっと大きな罪悪感と、それより大きな高揚をもたらした。カラスはガァガァと騒ぎ立て、僕は浮き足立つままに凶器のナイフを放り捨てるとその場を去った。
これで数日もすれば遺体は見つかり、証拠を並べ立てた警察が、僕をつかまえに来てくれるはずだ。
そう思っていた。
次の日は、普通にバイトをして過ごした。大学はしばらく講義を入れていなかった。店長は無断欠勤した鈴木に電話を入れたけれど、当然に繋がらなくてイライラと心配とを折半したような表情で貧乏ゆすりをした。
喜んだのは川島さんで、これで今日は不快な思いをしなくて済むとご機嫌だった。それにあかせて僕をデートに誘ったりなぞもした。鈴木がいなくなったというのに、熱心なことだけれど、彼女はその事を知らないのだから、やはり用心深く僕を騙そうとしているのだろう。
「しばらく用事があるんだ」
僕はすげなく断った。バイトもまた今日で終わりかと思うと少し寂しさを覚える。けれど、僕には今後15年ほどの予定があった。懲役というやつが。
「困るよ、もうほんの少しもいられないの?」
店長は渋った。鈴木は意外にも真面目で、少なくとも無断欠勤かつ、その後の連絡だってないという状況は、店長に今後も休まれるのではないかという疑念を抱かせたらしい。そこで僕まで辞めさせる訳には行かないと、バイトが終わってからもしばらくゴネられて、僕は気が気ではなくなった。
バイト先に迷惑をかけるのは本意ではない。警察がここへ来たらどうするのだ。僕は叫びたかったが、それをぐっと堪えて家路に着いた。アパートの前にもパトカーはなかったし、見える範囲に隠れている人も見つけられなくて、僕はそのことに、自分で捕まろうとしていたくせにほっと胸を撫で下ろす。
「それにしても遅いな」
僕はたった一日、昨日と何も変わらない日常を送っただけだというのに、もう精神的に参ってしまっていた。だって人を殺したのだ。この手で、この意思で。
「もう寝てしまおう」
僕は努めて穏やかな声でそう宣言した。普段は独り言なんて滅多にないのに、今日はそれがやけに多かった。これもまた、人殺しによる影響だろうか。
昨日の夜はなんてこと無かったのに、僕はその日うまく寝付けなくて、酒を浴びるように飲んだ。泥酔した。
起きたのは昼頃だった。ぴちゅぴちゅと鳥の囀りが頭に響いて、頭が痛んだ。久しぶりの感覚に呻き、トイレでゲロをして、腹に水を入れればやっと少し落ち着くことが叶う。
テレビをつければ、鈴木についての報道がやっていた。地方番組で、見出しは通り魔への警戒を促すものだった。四十代男性が刃物で刺殺されたという内容だ、間違いはないだろう。
「とうとうか」
しかし、それでもわからないことも多かった。もちろん、警察がすべてを正直に打ち明けて犯人に情報を与えるヘマなんてしないはずだが、それにしたって監視カメラの映像くらいは入手できていておかしくはないし、或いは犯人の特徴としてそこから得られたものを論うこともできたはずだ。それがなかった。
結果として、僕は悶々とした1日を過ごすことになった。逃亡はもとより考えていなかったし、すぐにでも捕まるだろうと確信していたのに、警察はてんで来ないのだ。
三日も経てば限界だった。目の下のくまはくっきりとして、鏡に映る僕は明らかに数日前から痩せている。正直、外を出歩く気にはならなかった。
僕はスマホを手繰り寄せると、110の番号に連絡をした。出頭を願い出た。
パトカーに乗るのは、なんだか新鮮な気分にさせられて、こんな状況でなければもっと楽しめたのに、こんな状況だから乗っているんだと思うとやはり憂鬱になる。
警察署で僕はいくらかの質問をされた。
「殺した動機は?」
「どうやって殺したの?」
「どこを刺したか覚えてる?」
それらへの回答は、彼らにとって芳しくないもののようで、彼らは首をひねり議論を重ねた。
「凶器はなかったんだ。カラスのやろうがそれらしきものを持ち去ったという証言はあったから捜査はしているが、それがほんとかも怪しいもんさ」
刑事の一人が忌々しげに吐き捨てる。何より決定的なのがこれだった。僕が使ったナイフは、わざわざその為に用意したものではなく、大学生活を始めるより前から使っていたものだった。そっちの方が指紋もびっちり着いているし、きっと特定しやすいだろうと思ってそうした。
けれど、そもそも指紋を採取しようにも、それその物がなければどうしようもなく、それならせめて直近の購入履歴でも用意している方が証拠となるほどだった。
「あの、カメラ!カメラはどうなんですか?!」
刑事たちはポカンとした。それから、首を振った。もはや僕を疑う気はほとんど無さそうだった。
「よく知ってたね。でも、あれはダミーなんだ。誰もわざわざあんなところを撮っちゃいない」
僕は念の為にもう少し話を聞きたいということで、任意の取り調べに同意すると、しばらくその部屋で過ごすように言われてそうした。形ばかりのものなのか、本当に疑っているのかはわからなかった。
やがておかしなことを聞かれる。
「川島穂乃果さん、ご存知ですよね?」
僕は頷いた。
「彼女が出頭しました。状況的に鑑みて、我々は彼女が犯人である可能性が極めて高いとみています」
僕は目をぱちくりとさせて、首を傾げた。言葉が渦を巻いて文字の羅列に変換される。それはやがて解読もできないぐにゃぐにゃの記号となる。僕はその内容が理解できず、気付けばそんなはずはないと取り乱していた。
刑事さんは僕がすがりついてもどこ吹く風で、言った。
「あと少しの間はここで過ごしてもらいますが、恐らくこれで決定でしょう。もう彼女を庇う必要はありません。本当のことを話してください?」
僕は頭が真っ白になって、何度も何度も事実を話した。けれど、それは結局のところ信じて貰えなくて、どころか、三日間が経つと正式に川島さんが犯人となって、僕は釈放されてしまった。
やっぱり殺すなら、彼女にしておくべきだった。




