第四話 持田
私はその日、今まで生きてきて何度も何度も経験してきたどうしようもなく抑えることのできない苛立ちと焦燥感に苛まれていた。
今の自分は何処か普段の自分とは別人で、とてつもなく攻撃的になっていた。
私の周りにいるスタッフ、客、全ての人間が敵だと思っていた。
いつもは我慢できることが我慢できなくなるとか、何気なく言われた一言に噛みついたり、何もしていない時も過去にあった許せなかった出来事を思い出してそれに関わった人間の一人一人の顔を思い出しては呪いの言葉を放った。もしかしたら口に出ていたかもしれない。
もちろんスタッフにも愛想なんて振りまける状態になかった。
「持田さん、顔色がすごく悪いですよ。医務室行った方がいいです」
「大丈夫です」
(あぁうるさい黙れ話しかけるな)
相田さんを見ていると私が惨めに思えて仕方がない。
入社して3ヶ月、もう会社になくてはならない存在にまでなっている。
プライベートでは旦那さんがエリートの高級取りのイケメン、子供も3人いて健康にすくすく良い子に育ち、義父母との仲も良好だと言う。
相田さん自身も頭が良く品があり、いつも身体中から自信と余裕が溢れ出ていて私はその光が眩しくて、羨ましくて、それから消えて欲しかった。
きっと私が嫌っていることを相田さんは分かっていたと思う。だけど、こうして私の体調を気遣い、機嫌の悪さを敏感に察知し声をかけてくれる。
私がどんなに頑張っても到達できない人間性の優れた大人。
私は時より赤子になってしまう。
人の親切も苛立ちの対象にし攻撃する。
こうなったらもうどうしようもない、自分でも制御することができないし、治す方法も分からない。
「全然大丈夫なようには見えないです。今日は平日でスタッフも4人いるから比較的余裕ありますし休めるときに休みましょう。ね、あぁ危ない!フラフラしてる」
他のスタッフも何か言っているみたいだけど何を言っているのかは分からない。ここ最近は左耳だけがなぜか完全聞こえなくなっていた。
あぁ、頭が痛い・・・。苛立ちが収まらない。
「大丈夫ですから、ちょ、ちょっと静かにして!!!」
その言葉に周りにいたスタッフの口は動かなくなり相田さんだけが反応する。
「え、やだ、ごめんなさい。声大きかったですか?でも本当に無理しないで、なんかあったら直ぐに言ってください」
は、はは。私、今めっちゃ惨めじゃん。
「いらっしゃいませ」
朝イチの客が来た。
(あ、クレーマーだ)
そう思うと同時に体が勝手に動く。
今日は私が責任者だから私から入らなきゃ、そうしないとまた木宮が余計な問題を起こしてロスタイムが発生してしまう。休憩回しのことも考えなきゃ。
それから、それから・・・、客を通しながら考える。
「今日はどうしますか?」
「あー、1ヶ月分」
椅子に踏ん反り変える客。
「周りは何ミリにしますか?」
「あぁ?だから1ヶ月って言ってるだろ。あーだから女は・・・ねぇ、今日店長いないの?」
横柄な態度。
「申し訳ありません。本日店長は他店舗に出勤しており出勤しておりません。それと当店は指名制度がありませんのでご了承ください」
わざとらしく大きなため息をする客。
「もういいからさ、早くやってよ・・・あとさ〜あんたいつも愛想ないよね。接客業なんだからさ〜もうちょっとどうにかできないわけ?女は愛嬌よ」
「・・・・・」
「おーい、無視かぁ?」
シャキッシャキッ
「・・・・・」
シャキシャキシャキシャキ
「・・・・・」
シャキシャキシャキシャキシャキシャキ
「・・・ねぇ、ちょっとこれ前髪切りすぎでしょ」
「1ヶ月分とおっしゃられたので全体を1センチから1・5センチ切らせていただきました」
「いやいやいや、俺はこんなに切られると思ってないから。あーあ、どうしてくれんの?これじゃ会社恥ずかしくて行けないよ、お金返して」
こいつはいつも決まって若手や女性スタッフが接客に当たった時だけ、なんやかんやクレームをつけ最終的に返金を要求してくる。
未だに”客は神様”と思っているコンプラ違反の化石ジジイ。
(舐めんなよ)
その時、急に私の体内に異常を知らせる警告音が鳴り響いた。
胃のなかのものが逆流してくる気配を感じ私は急いで口を押さえた。
その瞬間、唐突にものすごく良い考えが思いついて、その後はもうその考えで頭が支配されていた。
ずっと前から私はこれがしたかったのかもしれない。
次の瞬間、その客の頭に向かって盛大に嘔吐していた。
その後のことは何がどうなったか正直うまく思い出せないけど心も身体もとてもスッキリして生まれ変わったような気がした。
✳︎
「急な報告ですが持田さんは、今月付けで退職することになりました。持田さんの代わりとして来週から本店の方がしばらく出勤してくださるそうです。報告はこんなところかな、じゃ今日も1日よろしくお願いします」
「店長、あの常連客どうなったんですか?」
「後日、僕とマネージャーと持田さんで謝罪に行ったけど許してはもらえなかったね。でもその後、本社のクレーム対応に引き継いでなんとか丸く治ったみたい」
「持田さん今回の件で辞めることになったんですか?」
「あ、今回の件とは関係なく自主退職なんだよ。持田さん有休消化でもう出勤しないから言ってしまうけど、ご懐妊みたい」
「え、マジっすか?あ、だから最近めっちゃ具合悪そうだったんだ」
「そうだね、かなり顔色悪かったもんね。僕も心配して声かけてたんだけど大丈夫の一点張りで・・・」
「てか、産休じゃなくて退職なんですね」
「うん、僕も産休制度があるって勧めたんだけど、出産後は専業主婦になって子育てを頑張りたいって。それと年齢のこともあるから2人目も考えてるらしいよ」
「なるほど、てか持田さん別に働かなくても良いんじゃないですか?旦那さん、大手企業の部長さんらしいですよ」
「そうなの?じゃ心配しなくても大丈夫だね」
✳︎
フッフフ〜ン♪
会社を退職して1ヶ月が経った。
最近の私は生まれ変わったように朝の7時に起きて夜は22時前には寝ている。
医者の言う通りに1日3食食べて散歩もしているので体調も気分もとても良いし、目の下の隈もどんどん薄くなってきている。
「今日はどんなお洋服着て行こうかな〜」
お腹をさすりながらスマホに耳を当てる。
【お掛けになった電話番号は現在使われておりません】
「あ、大変もうこんな時間!早くお弁当を届けにいかなきゃ」
旦那の会社までは電車で1時間弱、それを週5日。
「たくさん会えて嬉しい」
昨日買ったハイヒールを履いて、玄関にある備え付けの姿見に映る自分の姿を見る。
「もっと早くこうしていれば良かったんだね」
鏡に映る自分に同意を求めたが鏡に映る彼女は何も言わず、能面のような表情で私を見つめるだけだった。




