第三話 木宮
「ただいま〜」
「ええ?!きょうちゃん!どうしたのその服?!!」
「あー、ちょっとね」
あずさは急いで俺から服を脱がし躊躇いなく汚れに鼻を近づけ「え、なにこれ、ぶどうジュース?ワイン?いやそんなことより染み抜きしなきゃじゃん!」そう言って急いでまだらに染まった俺の服を持ってバスルームに向かう。
俺もこのベトベトになった頭と全身から発する腐った果実の甘ったるい匂いを今すぐ取り去りたかった。
「あずさ良いよそれ、捨てるから」
「え、もったいないよ!大丈夫、頑張って落としてみせる」
あずさの張り切りようがおかしくて思わず笑ってしまう。と、同時に全身の力が抜けて疲れきった体に力が湧いてくるのを感じる。一瞬で今日あった胸糞悪い出来事の全てが浄化されていく。
あずさを抱きしめようとしたが自分は今汚れていることを思い出し、また一気に最悪な気分に戻ったので急いで浴室に駆け込んだ。
風呂から上がるとテーブルには唐揚げが皿一杯に積み上げられていてその山の一番上の唐揚げを手づかみで取って口に放り込む。
「あずさ、また料理の腕をあげたね。この唐揚げ、店の味がするよ」
腹一杯の胃の中に無理やりにでもぶち込む。ぶち込みたい。全然苦では無い、大好きな人の作る唐揚げは別腹だ。
「えへへへ〜分かる?隠し味を入れてみました!」
得意げになっている彼女がとても愛おしく可愛い。
「ごめんないつも遅くなって、前も言ったけどまじで俺のこと待ってなくて良いから。あずさも仕事で疲れてるんだしさ」
「うん、ありがとう。でもね、きょうちゃんとの時間を大切にしたいから・・・もしかして迷惑?重いかな?」
「違うよ、シンプルにあずさの身体が心配なだけ」
「じゃ私のことは気にしないでよ。今日だって唐揚げが上手にできたからきょうちゃんに食べて欲しかったの」
あずさはさっき落とすと言って、はりきってシミ取りをして干したTシャツを眺めている。
シミは薄まったがやはり完璧に取るのは難しかったようだ。
「・・・きょうちゃん、お仕事最近どう?」
あずさは少し心配している表情をしながら俺の顔を覗く。
「うん、すごく楽しいよ。この前の面談で今度の査定で昇進して店長やってもらうかもってマネージャーに言われててさ」
今日一番の他所行きの笑顔を向ける。
あずさの表情が一気に明るくなる。
「わあ〜すごいね!やっぱりきょうちゃんはカリスマだ!」
俺はこの笑顔のためならなんだってやってやる。
他の奴らがどうなろうと知ったことではない。
✳︎
「この前は本当にすいませんでした!!」
謝罪と共に渡してきた茶封筒には1万円札が入っていた。しかもご丁寧に新札だ。
「あぁ・・・別に良いよ。服も安物だし」
予想していなかった対応に面食らい、用意していた言葉ではなく反射でつい許しの言葉が口を滑らせた。
「それと・・・これは母からです」
渡された箱はケーキ屋でホールケーキを買うと、ほとんどがその箱に収められるであろう箱のソレだった。
ギョッとした。嫌な予感に顔が歪む。
まさかな。
「これ、何?」
「母の手作りケーキです。あ、生物なので今日中に食べてくださいね」
そのまさかだった。
普通、謝罪に手作りケーキなんか渡してくるか?親子揃ってイカれてんのか。
「あの、これはちょっと・・・」
「母の!気が済まなんです!!もらってくれますよね?!」
急な大声にあの日の記憶が蘇る。
金を受け取った手前強く拒否は出来ない。
「・・・わ、わかったよ」
俺が了承すると鬼の形相をした目の前の女はすぐに満面の笑みを浮かべた。
「すんごく美味しいですよ!母の手作りケーキ!」
もしかしてこいつヤバい奴かも。
そう思って、もう関わらないようにしようと決めたが手に持った茶封筒を見て俺は受け取ってはいけない金を受け取ってしまったかと少し不安になった。
バックルームにある小さい冷蔵庫にどうにかケーキを詰め込みながら帰りどこのゴミ箱に捨てるか考えていた。
小山と会うのは俺が小山にカシオレをぶっかけられて服を台無しにされた日以来だった。
あの後、俺はキレて小山を置いて店を出ていった。
そういえば出ていく俺に、あいつ大声でなんか叫び続けてたな。マジで恥ずかったし、もうあの店には行けない。
てかあの日アイツ急にキレてきたけど何にキレてたのか俺には全く分からなかった。
「木宮くん、小山ちゃんと何かあったの?すごい勢いで謝られてたね」
店長が小山の死角から耳打ちをしてくる。
くそ、印象悪くなんじゃねぇかよ。
「いやいや大したことないっすよ〜・・・ちょっと言いづらいんすけど実はこの前、店に小山ちゃんのお母さんが来て、小山ちゃん1時間くらいお母さんと喋りながら施術してて、俺その間一人で客捌いてたんで、その時のお詫びみたいな感じです。小山ちゃんのことは責めないであげてください」
小山には聞こえないよう小声で店長に話す。
秘密を打ち明けるように、俺が被害者と思われるように。
「そうだったんだ、大変だったね〜。で、お詫びにケーキ?」
「・・・みたいっすね」
「あはは、すごいね、誕生日みたい」
これで今回の件で俺がマイナスになることは一先ずないだろう。
能天気な店長で助かる。
「じゃそろそろ朝礼しよっか。えーと、今日から三連休てこともあって客数は多くなると思うので休憩回しも臨機応変に対応してければ良いなと思います。あとはまぁ、元気にスマイルを忘れずにってとこかな。あ、それとそろそろシフト組むから希望休のメールは忘れずに。それで来月は持田さんが月初めに夏休みを取る予定なのでそこはなるべく避けてもらえるとありがたい・・・それくらいかな〜、じゃ今日もよろしくお願いします」
「持田さん夏休み取るんすね」
「そうみたい。長期休暇はいらないって毎年言ってたのにね。なんか今年は恋人と旅行行くみたいよ」
「えぇ!持田さん、恋人いるんですか?!」
「え、そんなに驚くこと?そりゃいるでしょ」
「いや・・・そう、ですよね」
「木宮くんは?あのめっちゃ可愛い彼女とどっか行くの?」
「店長、それセクハラです」
「え、これもだめ?わぁごめ〜ん、気をつけなきゃな。あ、開店放送始まった!みんな店の前に並んで〜」
持田さん、恋人いたんだ。
俺この前、友達紹介したんだけど。
「いらっしゃいませ!!」
急な甲高い声にその声のする方を見て目を疑った。
そこには小山が立っていた。
いつも何故か怯えていて猫背のせいなのか声も小さくて一日中ウジウジしているあの小山が、別人のように背筋を伸ばし大きな声を出し笑顔で挨拶をしている。
「おおぉ、小山ちゃん元気でいいね〜」
「えへへへ」
その日の営業は生まれ変わったような小山が大活躍をしていた。
普段怯えまくった態度で接客するせいで客が困惑しているのをよく見ていたが今日は客と楽しそうに会話をしていた。元々技術は丁寧で早いし上手かったのでこれで接客に自信が持てたらね、と店長や持田さんに言われていたが、それをクリアしようとしている・・・。
これってマズくね?
小山が出来の悪い後輩でいてくれないと俺の存在が薄まるじゃん。
俺は対抗するようにいつも以上に客に愛想を振り撒き、誰よりも多くの客を捌いた。
「今日は二人とも活気があってとても雰囲気が良かったよ〜ありがとう。小山ちゃん、お客さんに凄い褒められてたね」
「いえ、もっと頑張んなきゃです!お客さんのためにも
店長が小山を見る目が変わったのが分かった。
なんなんだよ、急に。
「じゃお先です。お疲れ様でした」
「お疲れ様、木宮くんもありがとね〜」
くそ、いつも以上に疲れた。
一服しようと喫煙所に向かう途中で後ろから俺の名前を呼ぶ声がして振り向くと今最も会いたくない奴がこちらに向かって走ってくるのが分かって苛立ちがぶり返す。
「木宮さん、これ忘れてます」
すっかり忘れていた四角い箱が今朝のままの状態で俺の目の前に現れた。
「あーごめん。じゃお疲れ」
乱暴にそれを受け取る。その箱は鉛のように重く感じた。
「待ってください木宮さん。このあとご飯行きませんか?この前のお詫びもしたいので」
何回詫びたら気が済むんだよこいつ。
「今日はパス、またね」
お前とは二度と行かねぇよ、ばーか。
まだ何か言いそうだったのでその場から逃げるように立ち去る。
くそ、タバコ吸い逃した。
家にあずさがいるのでいつも外で吸ってから帰るようにしていた。
手に持った白い箱に目をやる。
これもどっかで処分しないとな・・・今この瞬間にどこかに放り投げたい衝動に駆られるがそうもいかない。
考えた末、ケーキは駅のゴミ箱に捨てることにした。
ゴミ箱の穴に入るか不安だったが箱を潰したら入った。
箱を潰した時に中身が潰れた感触が箱から手に伝わってきて鳥肌が立ちその瞬間に生クリームの甘い匂いが鼻をかすめ吐き気がした。
自宅の最寄り駅にある居酒屋で急いでビールを煽り煙草に火をつけ一気に吸い、体内に溜まったヘドロをビールで流し込み胃液で溶かし、煙草の煙で苛立ちの全てを吐き出しやっと正常の自分に戻る。
そうしてやっと空腹を覚え、つまみでも注文しようとタブレットに手を伸ばすと、その真っ黒な画面にあずさの笑顔が浮かぶ。
きっとあずさは今日も手の込んだ飯を作って待っているのだろう。
早く家に帰らなきゃ・・・。
そう思うが腰が上がらない。
最近職場から家までの帰り道がすごく長く遠く感じ、こうやって途中で休憩を挟まないと動けない。
何度も立ちあがろうとするが、いうことを効かない。
それを何度も繰り返しているうちにいつの間にか閉店時間になっていた。
*
「・・・この箱、何?」
冷蔵庫を開けると白い四角い箱が一段目のスペースの半分の面積を占領していた。
「それね手作りケーキなんだって!先月くらいから週一でヘッドスパをしにきてくれるお客さんがいて、差し入れでくれたの。これからもよろしくお願いしますって」
手作りケーキと聞くとあの忌々しい小山の母親が作ったケーキやお菓子のことを思い出す。
最初にケーキを貰った日を境に俺とシフトが被る日にあいつは母親が作ったとゆうお菓子を持ってくるようになった。
洋服を汚した詫びのケーキを貰った次の日に味の感想を促され、こう言う時例え不味かったとしても「美味しかった」と言う以外の答えがあるのかよ、と思いながらもお手本通りに「美味しかった」とゆう嘘を吐いたのがいけなかった。
あの時、周りにいるスタッフのことなど気にせずに「俺は甘いものが苦手だからもういらない」とか最もらしい理由をつけて断れば良かったと後悔しても、もう遅い。
お菓子を貰うたびに駅のゴミ箱に捨てている俺の気持ちも考えてほしい。
駅のゴミ箱に食べ物を捨てて7回目を迎えた時に、あずさの「いただきま〜す、ん〜美味しい!」と言って頬に手を当て恍惚としている顔の幻覚が見えた頃に他のスタッフがいない所で小山に丁重に断ったらあっさりと持って来なくなっので拍子抜けした。
元々俺は他人が作ったものが苦手で少し潔癖なところがある。
それを嫌いな奴の遺伝子でもって繋がってる人間が作ったものなんかゲボと同等だ、だから・・・。
心の中で舌打ちをする。
この家の中であいつのことを考えたことを後悔する。
話を変える為、次の休みに予定している箱根への一泊旅行の話を持ち出した。
あずさは目をキラキラさせて「あ!私ね、SNSで行ってみたいところ見つけたの!きょうちゃんも気にいるかな?見てみて〜」
そのSNSの画面を見せながら一生懸命プレゼンを始める。
そんなにプレゼンしなくたってあずさが行きたいところならどんなとこだってついていくよ。
はしゃぐあずさを見ていたら唐突にキスがしたくなって目の前にあったまんまるな綺麗なおでこに軽くキスをした。
あずさは「なんだよ〜もう」と言っておでこに手を当てながら照れて頬を膨らます。可愛い。
俺を上目遣いで見る目がキラキラからウルウルに変わっていくのを確認すると今度は唇にキスをして、それから俺たちはお互いがどれだけ愛しているかを囁き確かめ合った。
*
「えっと、夏休みどうでした?・・・休めましたか?」
休み明けに見る持田さんの目は休み前よりも虚だった。
俺が紹介した美容師仲間の樹との事を聞こうと意気込んでいたがその空虚な表情を見てこれ以上の会話を躊躇うくらいだった。
しかし樹とのことを確認しなければならない。
紹介した相手が既に恋人がいたなんてことが判明したら俺と樹の関係は崩壊すると思い、急いで樹に連絡をしたところ「え、紹介?あぁー・・・そういえば連絡来てないよ」と言っていたので一先ず2人は何も始まっていないことが確認できて安心した。
樹は、あずさとも知り合いなので対応には充分に気をつけなければならなかった。
「やすみ・・・あーうん凄く楽しめたよ!お休みありがとうね!良かったらお土産食べて!あ、小山ちゃんもどうぞ」
虚だった目に無理やり光を戻し正気を保とうとしているようだが眼の下の隈
が痛々しくて見ていられなかったし、奇妙なくらいにハキハキと話しているのが怖い。
しかし持田さんにも一応樹とのことを確認しておきたかった。
「あの持田さんに聞きたいことがあって、店長から聞いたんですけど持田さん恋人いるんですよね?俺が紹介した人とはどうなってるんですか?」
少し声のトーンを抑えて話す。
「え?紹介・・・」
持田さんは目を丸くし口を開けたまま停止した。
しばらくして何か思い出したかのようのに
「あ!あーそうだったよね、えーと・・・実はあの時、丁度彼と喧嘩してて別れ話が出ている時だったから、それで・・・。本当にごめんなさい、でも相手には連絡してないから・・・大丈夫」
「それなら良いですけど、一応相手の連絡先は消しといてくださいね」
話が終わると持田さんは何をするでもなく休み前には付けていなかったような気がする左手の薬指に光る指輪を能面のような表情で見つめそれをもう片方の指でずっと触っていた。
その丸まった背中に、何か黒い影が纏っているように見えたが瞬きをした次の瞬間にはもう何も見えなかった。
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