5.侯爵令息オーウェン・ランカスター
オーウェンは、はたから見れば恵まれた人間だった。
王宮騎士団長である父、ガレス・ランカスター侯爵は、国王の剣として勇名を国内外にとどろかせている。
軍系だが、名門の大貴族である。
侯爵家では長女アイリスの生まれた四年後にオーウェンが誕生し、ほかに弟妹はいない。
次期侯爵であり、少年時代から剣術の才を見せ、騎士団長の座を継ぐことも期待されていた。
だが、彼自身の中に棲まう闇は、誰にも知られていない。
ガレスには双子の弟、ガウェインがいた。双生児ゆえに後継者争いが起こり、家庭内の不穏な空気は、幼いオーウェンの心に影を落とした。
最終的には嫡男のガレスが家を継ぎ、ガウェインは領地へ隠棲の身となった。
オーウェンにとって不幸だったのは、最初に剣を教えてくれたのが、彼には優しい叔父だったことである。
「お前は筋がいい。きっと、王宮騎士団長にもなれるだろう」
そう言って頭を撫でてくれた叔父の笑顔を、オーウェンは忘れない。
その叔父が、父と争い、敗れ、王都を去った。
母はそのころ、心労からか病を患い、亡くなった。
名家ゆえに、最も近い血を持つ相手と手を取り合うこともできず、生き別れとなった。
父もオーウェンも、領地に戻ってもガウェインと会うことはない。ガウェイン自身が、孤城での暮らしを望んでいるためだ。
父は叔父を憎んでいるわけではないようだが、死ぬまで会うこともないと思っているらしい。
そしてオーウェンは、父を騎士としては尊敬しつつ、侯爵としては評価を避けた。
強く優しく慈悲深いと称えられる立派な領主であろうと、叔父の犠牲の上にある地位なのだ。
オーウェンには幸いにして、争う相手はいない。
だが、侯爵家を継ぐことを疎んでしまうのは仕方がないだろう。
十三歳を過ぎたころには、父の部下である騎士とも対等にやり合えるようになっていた。
社交界にデビューする前から有名となり、オーウェンには男女問わず人が寄ってくるようになった。
そんな相手に分け隔てなく話し、よく笑う。ただ、時に皮肉を言っては、「侯爵令息らしくない」ふるまいをする。
それでも、十五歳になり神殿で祝福を受けた年には、自由に過ごせる時間もあとわずかだと諦めるほかなかった。
「オーウェン、今日も遅かったわね。
どこへ行っていたの?」
姉のアイリスは、家にあまりいない弟を心配してそう問うてきた。
「友人と、剣術の鍛錬をしていただけですよ」
「そう……あなたももうすぐ、名誉あるオルディニア学園に入学するのだから、行動には気をつけてね」
「もちろんです」
王立オルディニア学園は、貴族の子弟でも優秀な者が入学する学び舎である。
十年に一度ほどの周期で現れる「聖女候補」は、身分を問わず入学する。
聖女は当然、女性だけだ。
どれほど優秀でも聖女ほどの神聖力を持てない男子では、平民は入れない。
「くだらないな……」
姉が去ったあと、オーウェンは独り言ちた。
騎士団長を何人も輩出する、誇り高き名家。
それが、なんだというのだろう。
いっそ、侯爵家など捨ててしまいたい。
自由に、王都を――国さえも捨てて、飛び出していきたい。
逃げられはしないのに。
そんなことを考えて、苦しさを振り払うために剣を振るう。
王太子レオニードとは、相手の誠実さゆえに友人になれた。
だが、父のように王家に仕えて、ランカスター家の名声をさらに挙げることなど、望まない。
いつまでも、子供のままではいられない。
しかし大人になって割り切るには、まだ若かった。
王立オルディニア学園に入学後、家に帰るより友人と過ごし、あるいは一人になりたくて、よく裏庭で時間を過ごした。
王太子に「騎士団長にも迫ると呼ばれる君の剣技を教えてほしい」と請われて、断ることもできず相手をした。
思いがけず楽しい時間となり、最近は王太子の都合がつけば、必ずと言っていいほど裏庭で木剣を用いた訓練をしていた。
そんなある日、気配を感じて目の端で確認すると、意外な人物が自分たちを見ていた。
シルヴィアーナ・アシュフォード公爵令嬢。
王国の二大公爵家のひとつ、アシュフォード家の姫君だ。
公爵令嬢の名に相応しい、「貴族らしい貴族」で、「令嬢らしい令嬢」。
オーウェンからすれば、最も離れていたい相手だ。
それが、一年と少し前、聖女候補になったと神殿から告知された。
……身分の低い者を歯牙にもかけないような、あの令嬢が聖女候補?
神は相変わらず、残酷で気まぐれだ。
その令嬢が建物の陰から、こちらを凝視している。
なんだ?
……王太子を、見ているのか。
聖女は、王太子妃になることも歴史上少なくない。
国を護る結界を維持する神聖力は、民にも慕われる。神殿だけのものとすると、王家にはやや不都合となることもある。
そのために、王家に囲い込むわけだ。
しかし、社交界でも高慢さを噂されるアシュフォード嬢が、聖女になった上、王太子妃、いずれは王妃になるなど……
それこそ、王家に仕える気持ちを木っ端みじんにしてくれる話だ。
オーウェンは手を挙げて、王太子に「見物人がおいでです」と小声で告げた。
王太子もアシュフォード嬢に気づいて、剣を降ろして声をかける。
「やあ、アシュフォード公爵令嬢」
一瞬気まずそうな顔をしたように見えたが、すぐに笑顔を作って令嬢が近づいてきた。
「王太子殿下には、ごきげん麗しく。
ランカスター卿、失礼いたしましたわ」
優雅な所作で、お辞儀する。
「公爵令嬢が、こんなところにどういったご用で?」
オーウェンが尋ねると、目を逸らした。
「帰る前に少し、散策していただけですわ」
裏庭に、公爵令嬢が散策? 無理がある。
訝しむオーウェンと王太子に、ハンカチを差し出してきた。
「汗を掻いておいでですわ。
お使いになって」
貴族令嬢がハンカチを渡すときは、相手への好意を示すことが多い。
王太子は笑顔で断り、オーウェンも辞退した。
アシュフォード嬢はしばし固まり、さっとハンカチを戻す。
「そう、ですか。お邪魔いたしましたわ。
……ジェイク、帰りましょう」
ジェイクというのは、アシュフォード嬢の護衛騎士だ。オーウェンも長身だが、同じぐらい背が高い。
珍しい黒髪をしていて、人目を惹く。だが気配の消し方といい、かなり強い騎士と思える。
騎士はこちらに深々と礼をして、主人のあとをついていった。
二人が立ち去ったあと、王太子が不思議そうな顔をした。
「アシュフォード嬢と親しくなったのか?」
「まさか。ああいうご令嬢は、苦手です」
「僕も、あまり親しくはないのだが……なぜ、ここに来たのだろうな」
聖女候補は三人おり、神聖力では平民が一番だが、まだ決定的な差はついていない。
やはり、王太子妃の座を狙って……?
「聖女候補となり、王太子妃候補にも挙げられていると聞きました」
「ああ、そんな噂があるな。父上には、何も言われていないが」
「――お気をつけください」
レオニード王太子は、賢王となるに足る方だ。
だがあの令嬢は、その隣に立つべきではない。
王家に仕えることがないとしても、王太子の幸福は守りたい。
オーウェンは、そう思った。
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次回一行予告:護衛騎士は見ていた。
※第6話は明日18:50頃更新予定です。




