外伝2・2.王女フランシス
春の眩しい陽射しの中、隣国からの客人が王宮にやってきた。
すでに花嫁の行軍のごとく、数台の馬車に王女、侍女たち、王国への貢ぎ物が乗せられて到着した。
王宮の中庭で出迎えたのは、レオニード王太子と、ロゼッタ王太子妃である。
馬車が止まり、降りてきた王女はハイネックで、幾重にも重ねられた重そうなドレスに身を包んでいる。鼻先から顔の下半分はベールで覆われた上に、扇で隠している。
胸の下まであるはちみつ色の髪と同じ色の瞳は美しく見えるが、目元しか見えないため顔貌ははっきりしない。
背が高く、ロゼッタよりレオニードのほうが身長が近いほどだ。
「ようこそ、フランシス王女」
レオニードが作り笑いの微笑で声をかけると、王女はそのすぐ前で扇を降ろさずに頭を下げ、側近くにいる侍女に耳打ちした。
「お出迎えありがとうございます、との王女様のお言葉でございます」
「……フランシス王女は、声が出ないほど具合がお悪いのか?」
レオニードが眉をひそめると、侍女は哀しげに目を伏せた。
「大変申し訳ございません。王女様はご自分のお住まいを出たこともほとんどなく、身近な者としかお話することに慣れておりません。
ご無礼かと存じますが、どうかお許しくださいませと申されております」
レオニードとロゼッタは顔を見合わせた。
その後ロゼッタも王女に話しかけ、国王とも謁見したが、フランシス王女の声は侍女以外誰も聞けなかった。
フランシス王女が客用の宮殿に入ったあと、瞬く間に王宮内にその話は広まった。
どうやら、王女もこの縁談には乗り気でなさそうだ。
それはそうだ、正式な王太子妃ではなく側妃なのだから……
と、貴族から下働きの者にまで、無礼な王女だ、いや可哀想だ、とさまざまに噂された。
✦ ✦ ✦
レオニードは立場上、招かれざる客でも相手をしないわけにはいかない。
王宮内を案内していると、侍女に王女が扇の向こうで話しかけた。
「恐れ入りますが王太子殿下、王女様が騎士団を見学させていただけませんかとご希望でございます」
「騎士団ですか。いいでしょう、騎士団長は私の友人でもあります」
――側妃でなく貴族の相手でもいいという話だ、オーウェンの顔を見ておきたいのか。
レオニードは複雑な心境で、騎士団の詰めている訓練場へ案内した。
側で警護しているメリーアンも、一瞬面白くなさそうな顔を見せたが、すぐ無表情に戻った。レオニードはメリーアンの様子に気づき、騎士団員にとっても敬愛する団長に「白い結婚」などしてほしくはないだろうな、と心の中で嘆息した。
訓練場に一行が入った時、オーウェンが第一部隊長のナッシュ・カーライルと手合わせをしていた。
ナッシュはオーウェンより一歳下で、騎士団では二番目に強いと言われている。
しかし一見いい勝負をしているように見えて、オーウェンが手加減しているだろう。学生時代からオーウェンと打ち合っていたレオニードには、彼の強さは身に染みている。
しかも、あれから十年経っているのだ。オーウェンの剣技はますます冴え、おそらく国内どころか周辺各国でも、彼に並ぶ強者はそうそういない。
……ああ、王国内にひとりいたな。今はあまり剣を振るうことはないだろう、侯爵となった元騎士が。
レオニードがそんなことを考えながら王女を見ると、彼女は食い入るように剣を合わせる二人を見つめている。
そんなにオーウェンに興味があるのか?
側妃よりも、侯爵夫人のほうがまだいいということか?
レオニードが訝しんだ時、ナッシュがオーウェンに剣を飛ばされていた。
「参りました、団長」
「腕を上げたな。一本取られるかと思ったが」
「ご冗談を」
ナッシュが苦笑いしながら、剣を拾い上げる。
見守っていた騎士団員たちが拍手を送り、レオニードも手を叩こうとすると、先に王女の侍女が拍手していた。王女は扇を手にしたままで、手は動かさない。
……他人と話し慣れないというより、扇が外せないかのようだ。
視線は相変わらず、オーウェンたちに向かっている。
オーウェンがレオニードたちに気づき、こちらを向いた。
その場で胸に手を当てて一礼し、騎士団員のほうへ歩いていって何か指示をしている。
「まだ見学しますか?」
レオニードが尋ねると、王女は首を振った。
「素晴らしい試合でした、とのことです」
侍女が語り、レオニードは肩をすくめた。
「……それでは、戻りましょうか」
レオニードは王女たちとともに、その場を去った。
その後ろ姿を、オーウェンが見ていた。
✦ ✦ ✦
翌日の夜は、王宮内で舞踏会が開かれた。
フランシス王女を歓待する宴という名目である。
有力貴族も多く招かれ、騎士団は王女警護を任務としている第五部隊以外も、王宮の内外で警備に当たった。
騎士団長のオーウェンは、会場内で談笑しつつ見回りをする。
王女は来賓の席に座り、横に控える侍女にだけ話をして、ほかの貴族と交流を持とうとする様子がなかった。
「相変わらずですね。私もご挨拶した時から今日まで、お声を聞いたことがありません」
メリーアンが王女を見ながら、オーウェンに小声で言った。
「……そうか」
オーウェンは王女を見て、なんとも言えない表情になる。
――フランシス王女、か。
昨日、騎士団の訓練場にレオニードとともに見学に来ていたのは気づいた。視線の強さが気になり、見ている当人の姿を見て、オーウェンは少し驚いた。
自分を見ていたのが、フランシス王女とは思わなかったのだ。
しかし、あの王女は……
オーウェンの思考を遮断するように、人々がざわめいた。
「アシュフォード公爵様と、アシュフォード・コルト侯爵様ですわ」
「相変わらず、仲がおよろしいこと」
「せっかくの機会だ、商談ができればいいが……」
シルヴィアーナとジェイクが現れると、場の空気が変わる。
女性の地位向上に貢献し、貴族社会も平民の生活も変えたアシュフォード女公爵と、元騎士ながら侯爵かつ公爵の夫となったコルト卿。
長い黒髪を束ねた長身の夫と、輝くブロンドをハーフアップにした公爵は笑顔で囁き合いつつ、人々の中を歩いていく。
オーウェンが顔を見るのは久しぶりだが、ふたりが多忙なために王宮主催の舞踏会でもなければ出席しないからである。会っても、あまり話すこともない。王宮内では騎士団長はいかなるときも王族の警護を忘れてはならないし、彼らの事業と関わる必要もないのだ。
……幸せそうな姿を見るだけで、なんとなくこちらも心温まる。
オーウェンがそう思ったとき、シルヴィアーナが小さく声を上げた。何かに、驚いた顔をしている。
見ているのは――フランシス王女?
なんだろう?
王女が来ていることは、公爵が知らないわけもないのだが。
しかし、話しかけに行くのも難しい。公爵夫妻は人に囲まれているし、オーウェンは王女の周辺を気にしなければならない。
その時、音楽が流れ始めた。楽団がダンスの演奏を始めたのだ。
レオニード王太子と、ロゼッタ王太子妃が最初に踊りだす。ほかの貴族たちも、次々にダンスに加わる。
フランシス王女を見ると、見たことのある貴族令息が話しかけに行ったが、侍女が何か話して追い払われた。
あの男は、社交界では女性関係で評判のよろしくない、さる侯爵家の次男坊だ。どうやら、ダンスを申し込んで断られたのだろう。
「王女は、ダンスもされないようですね」
「扇を手放さないのだから、ダンスなどできまい」
メリーアンはオーウェンの言葉にうなずきかけ、小首を傾げた。
「なぜ、頑なに扇をお持ちなんでしょうか。人嫌いにしても不思議です」
「さてな」
メリーアンは任務に忠実で、無駄話をするタイプではない。その彼女がこうまで言うのだから、側で警護しているとなおさら気になるのだろう。
「……アシュフォード公爵が、王女のところに」
驚くメリーアンの言葉に、オーウェンも注視した。さっきまでジェイクと踊っていたシルヴィアーナが、ひとりでフランシス王女のもとへ近寄っている。
優雅にお辞儀をして、自らも扇を広げ、王女に囁きかけた。
――王女が、驚いている?
オーウェンには、そのように見えた。
✦ ✦ ✦
夜が更け、舞踏会も終盤となった。
すでに帰途についた貴族も少なくない。気づくと、アシュフォード公爵夫妻もいなくなっていた。
――このまま、何事もなく終わればいいが。
嫌な予感がして、オーウェンは王女がよく見える場所から少しずつ距離を詰めていた。
メリーアンにも命じて、王女を囲む形で騎士が配置されている。
……シャンパングラスを乗せたトレイを手にした給仕の男が、王女と侍女に近づく。
すかさず、メリーアンが間の進路を塞いだ。
驚き、引き返そうとした男の前に、オーウェンが立つ。
「何者だ? 王宮内に私の知らない者はいないのだが、見たことのない顔だ」
オーウェンが冷たく笑って言うと、男はトレイを投げつけて逃げようとした――が、軽くトレイをかわしたオーウェンがその腕を後ろ手に捻り上げた。
「うあっ!」
「メリーアン、王女様方をお部屋へ! お前はこっちだ」
たちまち騎士団に囲まれ、侵入者は何もできずに捕縛された。
オーウェンが確認すると、王女と侍女は慌てて去っていくところだった。
「オーウェン、何事だ」
「殿下、王女が狙われたようです」
「わかった、舞踏会は終了とする」
先に退出していた国王夫妻に代わって、王太子の号令によりその夜の舞踏会はお開きとなった。
騒ぎには一部の貴族しか気づいておらず、幸い混乱はなく貴族たちも広間を出ていく。
ほかに怪しい者がいないかを見回るオーウェンのもとに、メリーアンが戻ってきた。
「客室にお帰りいただきました。部屋は隊員が内外で見張っております」
「ご苦労」
「――団長、本当に王宮に勤める人間全員のお顔を、覚えておいでで」
「そんなわけがないだろう。人を寄せつけない王女に舞踏会終盤になって近づくなど、普通ではないからな。
それに、王女が狙われるだろう気はしていた」
メリーアンは眉をひそめた。
「……なぜです?」
「ま、あちらにも事情がありそうだったからな。誰かしら、暗躍する者がいてもおかしくなかったということだ」
オーウェンの含みのある言い方に、メリーアンはさらに眉を寄せたが、それ以上何も聞いてはこなかった。
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※外伝2・最終話は明日18:50頃更新予定です!




