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母と娘 The Mother And Her Daughter

 貴美が家に帰りついた時、アロンダはちょうど夕食の支度を終えたところだった。貴美に気がねして、これまでこの家に来る時にテレポーテーションを使ったことはない。昨日、和解した後に貴美から家の鍵を受け取っていたのである。少しばかり母親らしいことをしたいと願い、いそいそと料理を作ったのだが、柄にもない役回りとは微塵も感じなかった。

 異例に長い冬眠に入る前、わたしは皆と同じ第二世代だった。過去生の記憶とは異なり、現世の記憶だから言語も知識もそのまま使える!

 料理の知識と経験を蘇らせて、自分でも上出来と思える夕食の出来栄えにすこぶる満足気だった。


「タクもキャットもサンクチュアリだから、しばらく二人きりね」

 アロンダが言った。例によって伽耶が雲隠れしたため、独りシーダハウスにいても退屈するばかりだ。貴美との関係が深まった今、この家で一緒に過ごす時間も勢い増えそうだった。

「そうね。CIAに目をつけられているから、わたしはテレポートも迂闊にできないわ。ところで、すごいご馳走ね!驚いたわ」

 貴美はずらりと並んだ地中海料理を感心して見つめた。アロンダは照れたように肩をすくめて言った。

「明日、様子を見にサンクチュアリに跳ぶわ。タクの訓練もあるもの。今日は少し疲れたから、ここでゆっくりしたくて寄ったの」

「慣れない料理をしたからじゃないの、ママ上?」

 貴美がからかうと、アロンダは朗らかに笑った。正確には当時の養母にして叔母だが、ママ上と呼ばれると気持ちが休まった。現生では貴美が年上だが、何ら違和感は感じない。

「失礼ね~、これでも頑張ったのに!昼間だって、あなたの後方支援に回っていたのよ」

「やっぱり、あの火災報知器は偶然じゃなかったのね?それじゃ、私があの機動歩兵と面接したのも知っているわけね・・・でも、その話は後でいいわ。おいしそうね~。ちょっと待ってて。着替えて来るわ!」

 貴美はさもありなんとうなずいた。とっくに察しはついていたのだ。しかし、蚊帳の外に置かれたと怒りがこみあげることもない。わずか一日でこうも変わるものかと内心驚きを感じるほど、リラックスしてアロンダに接している自分がいる。千年前の確執から解放された今、当時のマヤが抑圧していた寛容で愛情深い性質が表に出てきた。和解による深いカタルシスがもたらした賜物だった。


 食卓につくと、貴美はいつも通りに手を合わせ、命を捧げてくれた動植物に祈りを捧げた。神に感謝を捧げる西洋のキリスト教文化よりも、生命すべてを慈しむ日本の仏教文化の方が、新人類にはしっくりくるのである。

 今夜はアロンダにも感謝しなくてはと思う。過去生の養母が腕を振るった料理に舌鼓をうちながら、我が家での憩いの時間をこよなく満喫している自分自身に、貴美は少しばかり戸惑ってもいた。

 こんな状況なのに、今を楽しんで幸せを噛みしめている。このやすらぎをすっかり忘れていたわ・・・


 敵はついに大滝を職場にまで送りこんできた。以前なら抑えきれないほど動揺したに違いない。ところが、今は取り立てて心を強く持とうとも思わなかった。深まる謎に頭を悩ませてはいても、怒りや恐怖はこれっぽっちも感じない。マヤと貴美が抱えてきたやるせない孤独感も薄れ、安心感に取って代わっていた。

 もう独りで抱えこまなくてもいいんだわ!

 アキラとの出会いとアロンダとの和解が、情緒不安定だったマヤの意識に、揺らぐことのない(はがね)の芯を形成してくれたのである。同時に、貴美が漂わせていた都会人特有のひ弱さも綺麗さっぱり消え失せて、第三世代特有の精気に満ちている。

 愛と信頼が心の拠り所とはよく言ったものね・・・

 貴美は改めて実感していた。


 それはアロンダとて同じだ。二人の間には、互いに正直に向き合いたいと願う情愛が着実に育まれつつあった。他愛のない会話を交わしながら、ひとしきり食欲を満たした後、アロンダが口を開いた。

「カミ、大滝はどうしたの?」

 誘い水を向けられた貴美は顔を輝かせた。決しておしゃべりな性格ではないのに、今夜ばかりは話すのが楽しくてたまらない。かいつまんで大滝と共体験した二つの明晰夢について語った。

 少年時代のサウロンが人食い熊に追われて川に飛びこんだ下りでは、ニムエの昔に返ったアロンダの声は生き生きと弾んだ。

「覚えてるわ!兄がヒグマを倒したの。信じられる?まだ十歳そこそこの少年だったのよ!」

 実の娘アルビオラ、現世のキャットに対するように、母娘の気の置けない会話をマヤとかわす日がくるとは想像していなかっただけに、感慨もひとしおだ。

「そうでしょう、ママ上。でも、聞いたら驚くわよ。あの日、サウロンはテレポーテーションで川岸に戻ったの!」

「えッ!?そんなことってあるの?」

 仰天したアロンダはハシバミ色の目を見張って叫んだ。

 そう言えば、サウロンは下着姿でずぶ濡れだった。あの時は兄が巨大な熊を仕留めたと興奮していたから、他のことは気に留めなかった。でも、あの当時は誰ひとりテレポーテーションはできなかったのに・・・

 すると、心を読んだかのように貴美が付け加えた。

「テレポートしたのは、エメラルドフォールズから落ちて、シンクホールにのまれた後よ」

「帰らざる滝」から落ちたの!?

 アロンダは両手を口に当て息を呑んだ。


「そうなの!サウロンは暗い洞窟の中で目を覚ました。その後、正体不明の人工物の中に落下したの。部屋のような場所だった。電子機器に似た照明がいくつもあったわ!」

「えッ、人工物?それに電子機器って・・・だって、中世なのよッ?」

 アロンダはあっけにとられた。明晰夢でなければ一笑に付すところだ。

「不思議でしょう?でも聞いて!その後が肝心なの。その部屋には何者かが眠っていたわ。あれは、そうね、サンクチュアリの冬眠用カプセルに似ていた。その何者かがオーブを発して、サウロンにコンタクトしたの。その時、サウロンはメッセージを受け取った。同胞に何かを伝えるよう告げられたの。男の声だったわ!」

 アロンダには分かっていた。

 いかに突拍子がなくとも、貴美の言葉に疑いをはさむ余地はない。新人類は脳を介することなく、オーブから(じか)に記憶を呼び起せるからだ。当時の言語や知識を自動的に使えるようにはならないが、新人類が見る過去生の明晰夢は、脳に依存する旧人類のあてにならない記憶とは訳が違う。


「あの日、兄は何者かのオーブとコンタクトしたの!?しかも男だったの?・・・変ね、新人類の男性は匠が初めてのはずなのに・・・」

「そうなの!誰も近づかない場所だから、当時は知りようもなかったけれど・・・その後よ、大滝の記憶がブレたと思ったら、突然、わたしの首を掴んだ。こんなふうに」

 貴美は左手で首の直下を挟むように掴んで見せた。

 アロンダは何が起きたか一瞬で理解した。米軍時代に格闘技訓練で得た知識が脳裏に蘇ったのだ。

「左右の頸動脈洞を押さえたのね。血圧が上昇したと誤った信号が脳に送られる・・・」

 貴美はうなずいた。

「異常な速さで避けようがなかった。耳鳴りがして気持ちが良くなって、あっと言う間に意識が薄れたわ。でも、気を失う直前に見たの!大滝の目の色がブルーに変わって、右手はオーブに包まれていた・・・でも、その後、何が起きたかはわからない。火災報知器の音で目覚めたら、寝椅子に転がっていた。大滝も三日月刀も消えていたわ!」

 気道を塞がずに頸動脈の血流も遮断しないが、頸動脈洞圧迫は、早ければ数秒で脳の虚血性失神をもたらす。ほとんど苦しまず「落ちる」。格闘技の()()()()()ホールドは、この頸動脈洞反応にちなんだ命名だ。人によっては性的な絶頂に至るほど快感を伴うが、低酸素症を来たせば脳細胞が損傷するため、悲劇的な事故が後を絶たない。極めて危険な締め技だ。


 アロンダは事の次第を呑みこんだ。

 伽耶がグリーンハウスに舞い戻り、カミを救ってから火災報知機を鳴らしたんだわ・・・でも、大滝はどこへ消えたのかしら?

 と、貴美が不意に真剣なまなざしを向けた。

「ねえ、今度こそ教えてほしいの!わたしを覚醒させた人物が、今日の出来事にも関わったんでしょう?」

 予想通りだわ。カミが知りたがるのは当然だ・・・

 アロンダは唇を噛んで肩で大きく息をした後、思い切って口を開いた。心の準備はできていたのだ。

「その通りよ・・・あなたにナラニがいるように、わたしにもメンターがいるの。今日も彼女と一緒に動いた。わたしは外でガーディアンを監視していた。面談を盗聴しようとしたから排除したの。ただ、その後、彼女から連絡がないから、何が起きたか知らないの」

 貴美の表情に失望の色が浮かんだが、アロンダはすかさず言った。

「でも、約束する!彼女が戻ったら、事情を確認してあなたに伝えるわ」

 すると貴美はつとアロンダの手を取って言った。

「わかった・・・あなたとキャットとタクのメンターなのね?わたしもナラニの存在をタクにひた隠しにしていた。自分が新人類ということも・・・だから、ママ上の気持ちもわかるわ。それに、メンターに秘密が多いのも理解できる。ナラニもそうだから!」

 案に相違して、あっさりアロンダの言い分を受け入れた。以前に見せた敵愾心はもはや微塵も感じられなかった。

「・・・ありがとう」

 ほっとして貴美の手を握り返したアロンダの目に涙が滲んだ。幼い養女マヤの姿が眼前の貴美に重なり、ひとしお愛しく思えてならない。が、感無量の思いを振り払って口を開いた。

 大滝の明晰夢には、見過ごしにできない重大な謎が秘められていた。

「あの男がサウロンの生まれ変わりなのは間違いない。でも、人工物や電子機器や男性のオーブの使い手は、新人類の伝承のどこにも残されてないはずよ!」

 途轍もなく重要な発見なのではないだろうか?

 アロンダの声が熱を帯びた。ところが、貴美はまったく別の事に心を奪われていた。

「そのことで話があるの・・・昨日、サウロンは村の娘たちを手にかけていないと思う、と言ったのを覚えてる?」

 アロンダがうなずくと貴美は続けた。

「でも、大滝に首を絞められて、わたし、分からなくなったの・・・サウロンは光の血族じゃなかったのかも知れない・・・」

 貴美は訥々と複雑な胸のうちを打ち明けた。

 汚染地帯で自分のオーブが大滝の身体に広がった時、サウロンは「光の血族」に違いないと貴美は考えたのだ。そこには、父親は村娘を襲ったりしていない、とひたすら信じる幼いマヤの切ない願望が投影されていた。ところが、明晰夢を探っていた最中、不意に変異した大滝に襲われたため、貴美の仮説は大きく揺らいでいた・・・

 アロンダは貴美の手を握ったまま聞き入った。

 あの当時、兄の悪行を悟って、わたしはひどいショックを受けた。増して幼いマヤはどれほど辛かったことか。父親は連続暴行殺人者で、母親からは捨てられたのだもの・・・

 当時の心境が(おもんばか)れて痛ましい。貴美の中のマヤの意識とすれば、明晰夢の謎より、サウロンの正体の方が気がかりなのは当然だ・・・

 アロンダは言った。

「そうね・・・光の血族は新人類のソウルメイト同士だから、互いを攻撃するなんて考えられないわ」

「そうでしょう?・・・村の娘を襲ったのは、洞窟での出来事のせいかも知れないわ。襲った理由はわからない・・・ただ、襲って殺したのは間違いないと思うの・・・」

 貴美は伏し目がちに言った。アロンダは素早く貴美に目を走らせた。失意のほどは容易に察しがつく。

 幼いマヤの願いは、結局、打ち砕かれたのね・・・

 戦場で抱えこんだ心の闇ではなく、何者かの暗示だったとしても、兄が娘たちを手にかけたと思うと、当時と同じ言いようのない脱力感が蘇ってくるようだった。


 ところが、目を上げた貴美の表情はこれまでになく落ち着いていた。明るいと言っても良いほどだ。

 両手でアロンダの手を包みこんで、きっぱり言った。

「・・・でもね、ママ上、わたしはもう大丈夫よ!サウロンが光の血族ではなかったとしても、今のわたしにはあなたとアキラがいるから。それに、タクとキャットとサンクチュアリの仲間もいるわ」

 もう過去の暗い想念の虜になることなく自分を保てる。だったら、マヤの願望とは異なる現実でも直視しよう!

 貴美はそう思い定めたのである。


 アロンダは言葉もなくうなずいた。肩の荷が降りるとはこのことだろう。

 過去の遺恨も悔恨も、もはやわたしたちを分断することはできない。大きな謎にも強大な敵にも、皆で手を携えて立ち向かえる!

 揺るぎのない自信が湧いて来るようだった。


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