二度目の戦闘 The Second Battle
「新しいクライアントさんの件、電話で聞いたわ。今日よね?」
「シティ政府の紹介状があるわ。委託職員よ。大滝光法。みつのりと読むのね。ミドルネームのイニシャルがM。年齢28歳」
一週間ぶりに職場復帰した貴美は、早速、レセプショニストの北上有希と今日の予定を打ち合わせた。
新規クライアントはシティ保安部の関係者らしい、と貴美は察した。保安要員のカウンセリングを自治政府から依頼された例は過去にもある。ミドルネームの記載があることから、海外出身者に違いなかった。
浮き浮きした気分に流され、新人類として、またCIA諜報員として培った警戒心が緩んでいた。
大滝という名前にも心当たりはなかった。
大滝がシティで匠を襲撃した直後、アロンダの手で匠の記憶が消されたため、フーバーCIA長官の推測に反して、貴美は最初の襲撃を把握していなかったのである。(*)
また、大滝が機動歩兵と知るアロンダもキャットも、伽耶の指示で貴美と匠にはその事実を伝えていなかった。
今の貴美は少しでも気を抜くと、アキラと交わしたキスの感触を思い出してしまう。切なく甘くやるせない口づけは、千年の時を超え、マヤの想いを余すところなくダニエルに伝えたのだった。
上気した頬を目にして、有希は即座にピンときた。
カミは恋をしてるんだわ!それで生き生きと輝いているのね?相手は誰?久しぶりにガールズトークで盛り上がりそうね!
自分まで浮き浮きしたのだが、今は仕事中だ。おくびにも出さず貴美に伝えた。
「大滝さんは十時よ。初回だから二時間枠ね」
初回面談はスムースに進んだとは言い難かった。
上品なライトブラウンのスーツに身を固めた大滝は、汚染地帯で死にかけたことを含め、軍事機密に関する話題には一切触れなかった。たとえ守秘義務のあるカウンセラーでも、セキュリティ・クリアランスのない日本の民間人に打ち明けるわけにはいかない。
悪夢を見るとだけ伝えたが、その後は貴美がいくつか質問をしても答えを渋った。
けれども、貴美は焦らなかった。
自らカウンセリングに赴いて来るクライアントでも、打ち解けて心の内を吐露するには時間がかかる。
企業や組織の指示でカウンセラーと会うとなると、頑なに自己防衛の壁を巡らせるクライアントは珍しくない。理解のない上司や同僚から、精神的に弱いと見なされるのを恐れるからだ。
そこで、面談は早めに切り上げ、心身両面からのアプローチを提案した。
「いかがでしょう?退行催眠を試してみては?過去の記憶やイメージを蘇らせて、トラウマの原因を探り当てる方法です」
「先生、それは記憶探査のように検査機器を使うのでしょうか?」
大滝は流暢な日本語を操るが、相手が医師や先生となると、慣れないせいで過度に丁重で堅い言い回しになりがちだ。
我ながら柄じゃない、と背中がむず痒くなるのは致し方なかった。
「いいえ、言葉で暗示をかけます。心身ともにリラックスした状態で、自然に浮かんでくるイメージについて話していただきます。危険はありませんが、心電、血圧、脳波をモニターしながら行います。心身がくつろぐと、体調指標にもポジティブな変化が起きるのです」
大滝は黙りこんだ。
カウンセリングに関心などこれっぽっちもない。
目的は眼前に座るこの深山貴美だ!逆に、こちらから聞き出したいことが山ほどある!
あの大学生の姉なら、相次いだ謎の出来事について何か知っているに違いなかった。折を見て行動を起こそうと、虎視眈々と狙っていた。
逃亡したガーディアンの中村から匠の身元を伝え聞いて以来、大滝は独自に調査を続けてきた。汚染地帯で会った女が匠の替え玉となれば、自ずと貴美の存在もリストアップされる。そこへ、当の貴美からカウンセリングを受けるチャンスが転がりこんだのである。
背後に軍上層部の思惑が絡んでいようがいまいが、敢えて挑みかかるのが大滝の気性に合っていた。
しかし、汚染地帯で見た明晰夢が大滝を悩ませているのもまた事実だった。あれ以来、頻繁に同じ夢を見る。決まって不思議な光を目撃したところで、目が覚めるのだった。
思案してからぶっきらぼうに答えた。
「そうですか・・・物は試しだ。その退行催眠とやらをお願いします」
貴美はうなずいて丁重に言った。
「では、上着と靴は脱いでベルトなども緩めてくださいね。ホログラスとイヤーモジュールも外してください。その寝椅子に仰向けになって、楽にしてお待ちください。モニターを用意します」
貴美は機器室に入り、退行催眠の準備にかかった。記録メディアを装着すると、ロボティック体調指標モニターは自走して部屋を移動して、大滝の寝椅子の脇で自動停止した。
まず、手首に血圧測定用のパッチを貼ろうと、寝椅子に横たわった大滝の右手に触れた瞬間、貴美はハッと息を呑んで身体を強張らせた。瞬時に、大滝の正体を体感したのである。オーラ検知器とも言える新人類の異能力だった。
この男、あの機動歩兵だわッ!!
反射的に左手がスーツのブレザーに伸びた。アロンダの助言通り、貴美は三日月刀を隠し持っていたのである。
しかし、貴美が上着の懐から短刀を抜き出した刹那、大滝は右手で貴美の手首をしかと掴んでいた。目にも止まらぬ鮮やかな早業だった。
やはり、あの時の女かッ!声で気づかなかったのは、汚染地帯では全面マスクで声がこもっていたからだ。あの不気味な短刀も持ってやがった。冷や汗をかいたが、こうなればこっちのものだ。とっちめて吐かせてやる!
紳士然とした仮面が剥がれ、特殊部隊員の戦闘的な気迫が全身に漲った。大滝の力なら、屈強な男の腕を万力でも使うように楽々と掴み止めておける。女の腕を押さえるぐらい、文字通り赤子の手を捻るに等しい。大滝は勝利を確信した。
ところが、ジリジリと大滝の右腕を押し返して、貴美の左腕が伸びてくるではないか。しかも、その顔は無表情で力んでいる風にも見えない。
バ、バカなッ!
大滝は驚愕した。
予備バッテリーをもぎ取ったのは伊達じゃない!この女はゴリラ並みの筋力の持ち主だ!
大型トラックのタイヤを二つに折り畳めるほどのパワーを感じる。だが、それにも増して、大滝を震撼させたのは、女の全身を包む虹色の光だった。
何だ、この光はッ!?あの夢と関係あるのか!?
思わず瞬きして見つめ直した。その間にも、三日月刀の切っ先がじわじわと喉元に迫って来る。寝椅子に仰向けになった体勢では短刀をかわす術はない。
「おのれッ!」
切羽詰まった大滝は、とっさに貴美の首筋に左手刀を打ちこんだ。女の恐るべき力量を悟って、手加減抜きで痛烈な打撃を叩きこむ。大の男をあっさり悶絶させる必殺の一撃だった。が、信じ難いことに、女は大滝の手刀を巧みにかいくぐった。
次の瞬間、空を切って伸びた左腕の肘を、大滝自身の右腕を畳みこむ形で押さえつけていた。自分の左手首を掴んだ大滝の右手を、グイッと強く圧しつけて左腕の肘を固定した。一瞬で両手の自由を奪い、そのまま体重をかけて大滝にのしかかり押さえつける。三日月刀の刃が右の首筋すれすれまで迫った。
鮮やかな返し技だった。
攻撃をかけた左手に俺の意識が集中した隙に、手首を掴んだ右手を意のままに操りやがった!
大滝は悟った。
こいつはカウンセラーなんかじゃない、特殊工作員だッ!
両腕の自由を取り戻そうとして右手を放せば、眼前に迫った三日月刀に切り裂かれる。あの筆舌に尽くしがたい激痛は、脳裏にしかと刻みこまれていた。
この短刀だけはゾッとするほど恐ろしい・・・
だが、大滝の反応には瞬時の躊躇もなかった。右手を放しざま貴美の顔面目がけて拳を突き上げ、自由になった左腕で左手首を払う。同時に左膝で貴美の腹に蹴りを入れていた。自動的に身体が動いた。
貴美は不意を突かれた。右ストレートは顔をそむけて辛うじて避けたが、振り払われた左手から三日月刀が吹っ飛んで、壁際に並ぶ観葉植物の間に消えた。連携して繰り出された膝蹴りは右太腿でブロックしたものの、衝撃で体勢が崩れて後ろにたたらを踏んで後ずさる。
その隙に、大滝はバネのように一瞬で寝椅子から跳ね起きた。サスペンダーを使っているから、ズボンのベルトを締め直す必要もない。
「これで互角だな!」
貴美と正対して身構えた大滝の顔には、人を食った笑みが浮かんでいる。戦いの高揚感と強敵を前にした緊張感ほど、機動歩兵を奮い立たせる情動は他にない。
「やるわね!」
貴美は大滝の手強さに舌を巻いた。素手でも第三世代の不意を突くほど素早いとは、正直思っていなかったのである。
でも、この男はまだ覚醒していない・・・そこがわたしと違う。
ともにビジネススーツ姿の二人は睨み合った。
貴美が口火を切った。
「ここで騒ぎを起こすと仕事を失うわ。それは困るの」
と、落ち着いた口調で言った。
「俺は困らないぞ。日本政府もシティ当局も俺には手が出せないんでな!」
この状況で仕事の心配か?ふざけた奴だ!
大滝は余裕の笑みを浮かべてせせら笑った。あの気色の悪い短刀さえなければ、互角以上に戦えると踏んでいた。シティで騒ぎを引き起こそうが知ったことではない。この機会を逃すつもりなど毛頭なかった。
今日こそ、頭を悩ませてきた数々の謎を解き明かしてやる!
引き下がる気がないと見て取ると、女は品定めでもするように大滝を眺めてから、やおら口を開いた。
「お前がアンタッチャブルなのは、軍の最高機密だからね・・・でも、これはどうかしら?」
突如、貴美の姿が大滝の視界からかき消えた。
な、なんだッ!!
大滝は目を疑ったが、直感的に背後を振り向き敵の姿を追った。汚染地帯で突如として背後に回られた記憶がフラッシュバックしたのだ。
「こっちよ!」
何だとッ!
背後からの声に慌てて反転した瞬間、激しい衝撃を浴びて全身が痺れた。全神経に電流が走ったような異様な感覚とともに、強烈な脱力感に襲われる。膝から崩れ落ちかけたが、両手を床に着いてよろめきながら辛うじて立ち上がった。
く、クソっ!他にも武器を隠し持っていやがった!あの時と同じだ。大学生を暗殺し損なった時、俺を倒したのはこの女か!(**)
しかし、眼前に立つ貴美は武器を構えていなかった。大滝は半ばうめくように叫んだ。
「貴様、いったい何を・・・」
ふらつきつつも朦朧とする頭を振って、渾身の力を振り絞った。歯を食いしばり必死で立ち向かおうと一歩、二歩と踏み出す。
俺としたことが迂闊だった・・・
戦地を遠く離れてはや一年近い。緊張感が薄れて、無意識に敵を過小評価する過ちを犯した、と後悔の念が頭をかすめた。
検査の厳しいシティに武器を携帯して入市はできなかった。ガーディアン本部に立ち寄り、レーザー銃を持ち出すべきだったのだ・・・
貴美は広げた左手を真っすぐに伸ばして静かにつぶやいた。
「お休みなさい、サウロンアテナイア」
次の瞬間、大滝は真正面からもろにあの不気味な衝撃を受けた。最初の一撃で動きが止まった大滝には、もはや攻撃をかわす余力はなかった。意識が途切れる直前、女の全身を覆う虹色の光が煌めいて、左手が燦然と輝きを放つのがわずかに目に入った。
貴美は素早く動いた。大滝が床に倒れる前に駆け寄り、身体を支えて巨体を寝椅子に横たえた。
衝撃波の直撃を受けると、生身の人間は完全に脱力する。強靭な大滝は最初の衝撃に耐えたが、二度浴びれば無防備に頭を床に打ちつける恐れがあった。脳を損傷すればコンタクトもできなくなる。
昏倒した大滝の耳元に、顔を寄せてささやいた。
「闘志は見上げたものね。さすがだわ・・・パパ上」
マヤの意識が本格的に目覚めた今、アロンダの指導を受けた貴美が、衝撃波を習得するのはさほど難しくはなかったし、大滝の変異にも目敏く気づいていた。
今生はアフロアメリカンなのに目の色が青く変わったわ。血は争えないと言うことね・・・
けれども、一部始終を天井の換気口から見つめる目に、大滝はもとより貴美も気づくことはなかった。第三世代の貴美でさえ感知できないほど、完璧に気配を消していた。
* 「青い月の王宮」第30話「束の間の休息」
** 「青い月の王宮」第28話「ワンマン・アーミー」




