ミユキ・コウサカ Miyuki Kousaka
パッチリした黒い目に、長いまつ毛が印象的な細面の顔を目にする度に、フーバーCIA長官は、映画に登場するステレオタイプな美人スパイを思い出さずにはいられない。エキゾチックな美貌の持ち主で、東洋系の風貌に西洋風の化粧が絶妙にマッチしている。
もっとも、極東支部の新支部長に任命されたばかりのミユキ・コウサカは、ビジネスパーソン然とした無駄のない行動が信条で、外見で判断されるのを嫌っていた。フーバーも心得たもので、中年上司にありがちなセクハラまがいの発言はもちろん、ミユキの美貌にもお世辞ひとつ口にしたことはなかった。
首都メガロポリスを震撼させた燃焼爆弾攻撃を辛くも逃れ、ミユキの視力もすでに回復した。
CIAの車両二台を巻きこんだテロ事件は、日本政府が組織暴力団同士の抗争に仕立て上げたが、現場にいたミユキは。政府が偽装工作に乗り出すと事前に予想していた。フーバーが虎部隊のスパイと考えていた実行犯二名が、統合参謀本部のダレス補佐官子飼いの工作員と割り出したのもミユキである。
しかし、その功績を評価して自分を新支部長に任命したフーバーが、裏でダレスと手を組んだことは把握していない。と言うより、敢えて詮索しなかったと言うのが正しい。キャリア志向の強いミユキは、上司と適切な距離を保つコツを心得ていた。
「カミーユドレフュスですが、当人の報告通り、脳心理研究所の記憶探査を受けていました。そのデータを基に、精神科医は短期記憶の喪失と診断しています。本人と面談しましたが、これと言う怪しい点もありません。ただ、PTSDの影響は軽微と思われます。と言うのは、ドレフュスはいたって元気で、悩んでいる様子もまったく見受けられないのです」
極東支部長自らシティに出向いて聞き取り調査を行なったのは、フーバー長官直々の指示だった。
ミユキは腑に落ちないという表情をチラッと見せた。
カミーユこと貴美とは初対面だったが、CIAの履歴や精神鑑定のデータから想定した人物像とは、およそかけ離れた印象を受けたのである。生来の大らかな性格の裏に、神経質で几帳面で繊細な一面を漂わせる分析官には見えなかったのである。行動的で闊達な気性が前面に立ち現れ、凄みを感じさせるほどの精気がみなぎっていた。
言ってみれば・・・そうね、まるで野生の肉食獣のようだった。
その時、溢れ出んばかりのエネルギーに圧倒されると同時に、ミユキはふと感じたのである。
もしや、貴美は激しい恋に落ちているのでは?
その直感は当たっていた。
「長官、ドレフュスは何者かに真剣に恋をしているようです。私の直感だけではありません。いくつか質問して反応を見ました。プロファイリングデバイスの分析です」
「例のコンタクトレンズだな。微表情を読んだか?なるほど・・・確認するが、ドレフュスは汚染地帯での出来事を思い出せないでいるのだな?」
ダレスが密かに使ったデバイスに激怒したものの、抜け目のないフーバーは早速CIAでも導入を進めた。その甲斐あって、早くも有益な情報が得られた。ドレフュスに恋人がいるとすれば利用できる、と計算高く頭を巡らせていた。
例えば、ノヴァと思しいメガロポリスの若い女と、ドレフュスとヒダノの姉弟を捕らえるのが困難でも、彼らの交友関係には一般人がいくらでもいる・・・
愛する者の存在は敵の最大の弱点だ。レバレッジとして使える。端的に言えば「人質」として利用できる。謀略と暴力にまみれた諜報工作員の世界に、一般人の良識が入りこむ余地はない。相手の弱点に容赦なく付けこんだ者が勝利を収めるのである。
「現時点で記憶は戻っていません。記憶探査は信頼できます。激しいショックを受けた結果、記憶を喪失したのは間違いなさそうです」
ミユキは控えめに意見を述べた。
貴美が汚染地帯に入った当日、中型軍用カーゴが米軍イワクニ基地と汚染地帯を往復した事実は把握していた。例の燃焼爆弾攻撃を受ける直前にも、同じく貨物トラックに偽装した中型軍用カーゴを目撃している。
トラックから降ろされた若い女は、裏組織プラウドの幹部の車ごと燃焼爆弾で跡形もなく消されたわ・・・
すべてフーバーに報告済みである。だが、当然ながらフーバーがミユキに多くを語ることはない。ただし、危うく難を逃れたミユキには、ダレスが陽動作戦としてCIAを巻き添えにしたとだけ伝えている。
常識で考えれば、味方の手で危うく焼き殺されかけたミユキと部下たちは、烈火のごとく怒り狂って当然だった。しかし「捕虜になっても、政府があなたを知らないと言っても構わないか?」という質問に「イエス」と答えなければ、現地工作には関われない。しかも、軍事行動に準じる非合法工作においては、部下は上官の結果責任を追及する権利がない。
ダレスの部下は、燃焼爆弾を発射する前にこちらに姿を晒した。プロにあるまじき失態ではなく、攻撃の事前通告と承知しているミユキの関心は、むしろ別のことに向いていた。
なぜ、ダレスはあの女を狙ったのだろう?
ノヴァの存在を知らされていないミユキは、合衆国上層部の背後で大掛かりな計画が進んでいると推測した。しかし、フーバーが知らぬはずはない。言わないだけと的確に判断して、やはり一切詮索は控えている。
「非合法組織幹部の若い男だが、動きはあったか?」
フーバーはこのビジネスライクな部下を高く評価していた。感情的な反応を排して目的本位で動ける部下は重宝する。その上、日本人は概して組織への忠誠心が極めて高く信頼できるのである。
「いいえ。燃焼爆弾の一件で警察の大がかりな家宅捜索が入って以来、まったく姿を見せません。逮捕されたという情報もありません」
「シンとか言ったな?重要な手掛かりを握る人物だ。シティに居るドレフュスとヒダノは監視が困難だが、首都なら必要な人員を送りこめる。引き続き行方を追ってくれ」
「承知しました」
と、答えたミユキは、有益な情報を付け加えた。
「もう一点、真珠湾の海軍病院での出来事に関連する情報をお伝えします。人工知能プライムの設計チームに、ミヤザキ海軍大尉の父親がチーフエンジニアとして関わっていました。担当した部門など詳細は不明です。なお、カメレオン迷彩の開発チームにも加わっています」
シティの創設は黎明期まで遡れば約百年前になるが、人工知能プライムの導入は十五年ほど前のことだった。その後も人の手で改変されると同時に、自ら進化を遂げていると言われている。
すると、ミヤザキはトップガンの一員という以上に、プライムやノヴァと繋がる重要人物と見て間違いなさそうだ。
フーバーは満足気に小さく首を縦に振りながら、腹心の部下を労った。
「よくやった、ミユキ!報告書がまとまり次第送ってくれ」
必要な情報を端的に聞き出した後、フーバーはホログラムを切り替えて、ノヴァに関連した情報を網羅する相関図を映し出した。
アナログ時代であれば、黒板や壁に情報や写真や記事を書き出したり貼り付けたりするところだが、時代は代わっても原理は同じである。
画像を含む様々な情報を網羅、俯瞰して全体像を浮かび上がらせ、問題解決の糸口を掴む試みだ。とりわけ、人脈や婚姻関係など人物の繋がりを把握するにはうってつけだ。
ただし、今回は人物相関図の作成に取り掛かってまだ日が浅く、新旧の情報をその都度書き加えてはいるが、アップデートが間に合わずにいる。
スタイラスを手にしたフーバーは書き加えた。
若い女はノヴァ?マグレブと西の都に出没。非合法組織幹部と接触。燃焼爆弾を逃れた方法?
ドレフュスもノヴァ?シティ潜入員に推薦したメトカーフの意図は?
ドレフュスの恋人とヒダノの交友関係。レバレッジ。
ビアンカスワンは生存?所在?米軍時代に日本の首都を数回訪問。ダレスの追尾装置を無効化。非合法組織幹部が関与? (*)
ハワイ海軍病院のミヤザキの病室へ潜入した女はスワン?東洋系女性看護師の正体?
プライムの設計チームにミヤザキ海軍大尉の父。カメレオン迷彩の開発にも携わる。
曼荼羅のようにも見える入り組んだ相関図を、腕組みをしながら遠目に眺めているところへ、秘書の声がホログラムから響いた。
「長官、国防総省のダレス補佐官からお電話です」
「ありがとう。つないでくれ」
ホログラムを映像電話に切り替える。高級テイラーメイドのスーツ姿のダレスが映し出された。
* 「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第20話「ストリート・ファイター」




