軍曹の秘密 Keep It Between Us
イワクニ基地のとある地下室で、ロペス軍曹が大滝のデータをまとめていた。軍に提出する報告書ではない。軍曹個人の備忘録だ。仕事にまつわる情報がこまごまと書き記され、厳重な暗号化も施している。
軍曹には尋常ではないこだわりで詳細に記録を残す癖がある。記録魔と言っても過言ではないが、実はデータを失いはしないかという神経症の強迫観念に囚われていた。
神経症とはとどのつまり恐怖脳だ。特定の物事に対して異常に強い恐怖を感じる。
大津波に襲われたら、人間誰しも日常生活など放り出して逃げる。しかし、多少海が荒れたからと言って、生活を放り出して避難などしないし、その必要もない。
ところが、神経症の脳は日常生活の中でも、戦場にいるかのような恐怖を感じるため、普通の波が津波に見えてしまうのである。
たとえば、感染症がまん延してでもいない限り、大多数の人は手洗いやうがいで済ませてそれ以上対策などしない。身体には一、二キロの常在菌が存在していると知れば、何だ、それなら大丈夫だ、となるものだ。
ところが、不潔恐怖や感染症恐怖に囚われた神経症者は、手を千回洗ったり、引きこもったりと、様ざまな防御策を講じずにはいられない。日常生活に支障をきたすこともある。二十世紀を代表する億万長者のアメリカ人実業家ハワード・ヒューズもその一人だ。
神経症は、対人恐怖、広場恐怖、疾病恐怖、尖端恐怖、異性恐怖など様々だが、いずれも余人には理解し強い恐怖を、特定の対象や状況に感じる脳が原因だ。
個人差や他の要因も絡み一概には言えないが、偏桃体の機能に問題が生じて過度の恐怖を感じるうえに、前頭葉の働きである理性的に考えて「腑に落ちる」という現象が起きにくいと見られている。
架空の恐怖に打つ手はない。対策は不可能だ・・・対策を立てると悪化するだけだ。無駄な対策はあきらめて身体を動かし、目の前の雑用でもやっているうちに、恐怖を解消する方法を探してグルグル回りして止まない思考も自然に止まる・・・
そう気づいてから数年後、ロペス軍曹の天性の繊細な性格は、最先端技術を駆使した軍事装備品を調整する仕事で、類いまれな才能として開花したのだった。
汚染地帯から帰還した大滝のモビールスーツは黒焦げで、左脇には鮮血がこびりついていた。しかも、どうした事か予備バッテリーが緩んで埃まみれになっていた。
当の大滝はというと、元来無口で戦闘での出来事を吹聴する兵士たちとは一線を画していたが、今回の単独任務では輪をかけてダンマリを決めこんでいる。
もっともロペス軍曹とすれば、機動スーツの補修と再調整に戦闘状況の情報など不必要で、取り立てて大滝を問いただす気もなかった。
これまでは・・・
しかし、フル装備を身に着けた機動歩兵が負傷したとなれば事は重大だ。
一介の軍曹が独断で報告を差し控える訳にはいかない。
ところが、大尉の身体には傷ひとつない・・・血の滲んだ救急パッドが張られていたが、その下には傷跡さえなかった!
精密検査で判明した事実に軍曹は絶句した。
この矛盾をいったいどう説明すれば良いのか?
整合性を欠いた報告書は提出できない。今度ばかりは本人に尋ねなければならないのだが、大滝の秘密主義をよく知るだけに、問いただそうにもつい腰が引けてしまうのだった。
頭を悩ませているところへ、機動スーツに装備する神経反応伝達装置の専門家、民間人のジャッキー・ラウがハイヒールを響かせて颯爽と入って来た。
「頼まれた血液の分析結果よ!」
ジャッキーは持ち前の弾んだ声で言うと、A6サイズの薄いシート型メモリを軍曹に手渡した。大容量の小型メモリは紛失の恐れがあるうえに、アクセスしなければ内容が分からない。その点、シート型メモリは目につきやすく、個別データの管理に重宝する。昔の紙のファイルと同じように、ラベルやタグ貼って個々のデータファイルをまとめて整理して置くには持ってこいだ。
「ラウさん、助かったよ。ありがとう」
軍曹が礼を言うと、ジャッキーは黒い瞳でじっと見つめ返した。
「何も聞かないわ。知らなければ守秘義務もないもの・・・それから、ジャッキーよ!いい加減、他人行儀は止めてよね。中国人よりよっぽどあなたの方が礼儀正しいわ。でも、わたしは堅苦しいのはイヤ!」
能率を重んじるビジネスパーソンらしく、ちゃきちゃきとはっきりものを言う。
「はい、ラウ、じゃなくってジャッキー、あの~、気を悪くしないで下さい、僕は生まれつき・・・」
「もういいわ。忙しいから、わたしは行くわね」
ジャッキーは話を遮ったかと思いきや、いきなり軍曹を抱きしめて耳元にささやいた。
「フリオ、あなたは天才よ。自信を持ってね!」
いきなりハグされた軍曹はうろたえた。
目をシロクロさせている間に、ジャッキーは手を振って地下室を出て行ったが、その顔は懸命に笑いを噛み殺していた。
マイクは世界最強の兵士で、女はメロメロ。フリオは天才エンジニアで女には超奥手・・・対照的だけど、プロ中のプロ同士のいいコンビよね、あの二人は!
同じプロとして二人を高く評価しているがゆえに、ビジネスライクなジャッキーでさえ、時に一線を越えて励ましのエールを送りたくもなる。
フリオは悩みごとがあると顔に出るもの。マイクは謎が多いから無理ないわ・・・
軍曹はクルーカットの頭を掻いて、はにかんだ笑いを浮かべジャッキーを見送った。ああ、ビックリした、と思った。ドギマギしたが、魅力的な女性にハグされてもちろん悪い気はしない。
ジャッキーは生産性第一主義だ。仕事に私情を持ちこまないし、気が強くて容赦ない。でも、実は僕の繊細な性格を気遣ってくれてたらしい・・・
生身の女性の暖かいぬくもりに、取りつく島もないキャリアウーマンの隠された素顔を垣間見た気がした。
気を取り直して、受け取ったデータに目を通す。
基地に帰還した後、機動スーツを完全洗浄する前に、こびりついた血液のサンプルを採っておいたのである。予備バッテリー取り付け部分からも血液を採取した。
その用心深い性格が、新たな謎を招き寄せる。手渡された分析結果に目を通した軍曹は、驚愕の事実を確認した。
「付着していた血液は、血球も血小板もDNAも破壊され、ほぼ解析不能!?・・・アジア系アフリカ人男性とだけ確定。何てことだ!」
やはり、大尉は致命傷に近い負傷を被ったとしか考えられない!どうして、身体に傷ひとつ見つからないのだろう?
幸い、ロペス軍曹の悩みは長くは続かなかった。小一時間もしないうちに、休暇中の大滝が地下室を訪ねて来たのである。
「フリオ、俺はいったんシティに戻る。心理療法を受けろと言う上から指示でな」
大滝は開口一番ぶっきらぼうに言った。
虎部隊のアジト襲撃と同じく、今回の作戦行動でも統合参謀本部の担当官が来日して、大滝の報告書を元に事情聴取する予定だった。同盟国での破壊工作は異例中の異例で、軍事機密の漏洩を恐れての措置である。
ところが、いち早く提出した機動装甲管理報告書の中で、ロペス軍曹がこう書き記して、補足事項として大滝大尉の休養を進言したため、聴取は延期されたのだった。
「体調指標は分析が済み次第、追って報告する。外部装甲の損傷具合から、現時点では大尉の心身への影響は否定できない。傷病休暇を許可されたし」
もっとも、当の大滝からは汚染地帯の戦いで受けたはずのダメージなど、これっぽちも感じられない。軍曹がどう切り出したものか迷って言葉を探していると、大滝が機先を制した。
「フリオ、お前は本当に気が利くな!上には報告しないでいてくれたんだな」
「な、何のことでしょうか、大尉?」
軍曹がうろたえて口ごもると、大滝はニヤッと笑った。
「とぼけるな。わかっているだろう?俺はあのいまいましい汚染地帯で死んだんだ。それが、どういうわけか生き返った。生体反応のチェックはお前の仕事だ。当然、気づいたはずだ。そうだろう?」
「はッ、確かに気づきましたが、大尉からお話がないので・・・」
見抜かれていた・・・
軍曹は顔をこわばらせたが、大滝は鷹揚にうなずいた。
「いずれお前には話すさ。だがな、今は何が起きたのか俺にも説明がつかない。カウンセリングは必要ないが、シティには謎を解明できる手掛かりがある。渡りに船だ。で、お前に頼みがある。俺が戻るまで、今回の負傷の件はこのまま伏せておいてくれ」
「承知しました!」
肩の荷が降りた思いで答えると、大滝はニンマリ笑って軍曹の肩を叩いた。
「助かるよ、フリオ」
ロペス軍曹は、大滝のお伴で世界の戦場や汚染地帯を転々としてきた。ハプニングや秘密には慣れっこである。現場の部下には、上司に明かさない秘密は付き物だ。何も軍隊に限った事ではないし、独立独歩の気性に富む機動歩兵となれば尚更である。虎部隊のアジトから連れ出した娘を密かに解放した時も、軍曹は大滝の指示通り自分の胸に納めていた。
軍曹自身もまた、大滝に言うべきか迷い続けている秘密を抱えている。
以前、アイシールドの点検中に不思議な現象に気づいたのである。体調指標の詳細なパラメータを確認していた時だった。一定しているはずの虹彩のRGBが突然大きく変動する。その後、同じ現象が何度か起きたため、これまでの戦況やバイタル・データを比較した結果、軍曹はある結論に達したのである。
「感情が昂ると、オータキ大尉の目の色は深い青に変わる」
だが、装備を解いた大滝の目の色が変わる場面は、目撃したことはなかった。確証が持てないため、参謀本部への定期報告にも記載せず秘密にしてきた。本人もあるいは気づいていないのでは、と軍曹は考えていた。
大滝が立ち去ると、軍曹は椅子に腰かけて腕組みをした。考えごとに集中する時の癖である。この数か月、不可解な謎が重なってどうにも頭がスッキリしなかった。
この基地に赴任する前、シティで大尉の身に何があったのか?逃がしたあの娘は何者か?大尉は死んで生き返ったと言った。データがその言葉を裏づけているが、傷ひとつないのはどうしてだ?機動歩兵を倒した敵は何者で、どんな武器を使ったのか?それと、大尉の目の色の変化だ。そう言えば、あの娘の目の色も青だったが・・・
このところ、説明のつかない奇妙な出来事が重なる。
科学は複雑な事象を扱えない。正確には、統計や確率の範囲でしか複雑系の因果関係を捉えられない。複雑系を分解すればするほど、全体像が見えなくなるためだ・・・惑星の軌道計算や相対性理論は、常人には到底理解し難いが、それでも変数は極めて限られ、精密な定義や計測や観測が可能だ。だからこそ緻密な理論を構築できる。
しかし、たとえばこの部屋に立ち、一メートルの高さから一枚の紙を手から離した場合、どこに落下するかは、AIでも正確に予測するのは困難だ。計測できない変数が多過ぎるからだ。まして生命活動や経済活動となると、精密に把握するのは不可能だ。変数という概念が馴染まないほど複雑だ・・・
その限界は重々承知していたが、科学的思考に馴染んだ軍曹としては、未知の深淵を覗きこんでいるようで、不気味な予感が胸をざわつかせるのだった。
オータキ大尉の身に、いったい何が起きているのか?・・・




