運命の口づけ Sweetest Kiss Ever Again
アキラの言葉に女は目に涙を浮かべ、突然、思いがけない行動に出た。
吸い寄せられるように顔を寄せ、アキラの唇に自分の唇を優しく合わせる・・・
その刹那、成熟した女に成長したマヤ王女の面影が、アキラの脳裏に鮮やかにフラッシュバックした。それは幻影と認識するはあまりにリアル過ぎたが、放心状態に陥ったアキラは、突拍子もない出来事を抵抗もなく受け入れる。
香しい大人の女の甘い口づけに目を閉じて応えた。
二、三秒とも永遠ともつかない時が流れ、二人は運命の再会を祝福するかのように、無心に互いの想いと温もりを伝え合う・・・
トランス意識状態に陥ったアキラは、病室の外から響いた「待てーッ!」という男の怒声に、ぴくッと反射的に目を開けた。慌ただしく廊下を遠ざかる足音に続いて、派手な金属音と女の微かな悲鳴が遠く響いた。
女の姿は幽霊のようにかき消えていた。
な、何だッ?今のは・・・幻覚か?
夢と現実の狭間にいるかのようで事態が吞みこめないまま、狐につつまれたように辺りをキョロキョロと見回した。
いったい、どうなってるんだッ!?
病棟の廊下では、ちょっとした騒動が起きていた。
不審者を追った警備兵が、廊下の角を曲がった瞬間、折り悪しく看護婦が押すワゴン車と正面衝突したのである。
ガッシャーンと盛大な音を立てて、腰まである台車に突っこんで派手にすっ転んだ。突き飛ばされた台車からタオルや入浴用の備品が転がり落ち、辺り一面に散乱した。白い制服とマスク姿の看護婦も巻きこまれて転び、「キャっ!」とくぐもった悲鳴を上げた。
相方の後方を走る警備兵の反応速度は尋常ではなかった。アイシールドに捉えた侵入者の後ろ姿を見据えたまま、瞬時に軽々と跳躍して、散らばる障害物を鮮やかに跳び越えた。と、思いきや、運悪く立ち上がりかけた看護婦の肩に片足を引っかけ、空中で大きくバランスを崩して頭からつんのめって床に這った。
「いや~ッ!」
甲高い悲鳴を発して看護婦が再び転倒するのを尻目に、男はバネが弾けるように楽々と立ち上がった。ところが、一歩踏み出した途端に、今度は身体が前方にクルリときれいに一回転して、背中から床に叩きつけられてしまう。気づくと仰向けになって、廊下の天井を目にしていた。
一瞬、何が起きたのか理解できなかったが、転んだ看護婦が寝返りを打った拍子に、右手が折悪しく警備兵の踏み足をすくったのである。敏速の反射神経を以てしても、自らの慣性で身体が回転しては、脳は後頭部を打たないよう顎を引く反応で手一杯だった。
「痛いッ!」
看護婦は右手を抱えて反対側に寝返りを打ったが、運悪く台車に右足の爪先を引っかけた。
一人目の警備兵は駆け出した瞬間、不意に動いた台車にまたも行く手を阻まれた。今度は台車の上に乗り上げ、跳ね起きた相棒の背中に勢いよく突っこむ。台車が床に倒れる派手な金属音とともに、二人はもつれあって無様な恰好で床に突っ伏した。
ドタバタ喜劇さながらの珍妙な光景だった。三人して転んでは起き、起きては転ぶという滑稽な展開に、駆けつけた病院のスタッフはあっけに取られた。誰もが笑いを噛み殺すのに精一杯で、手を貸すのも忘れて目を丸くして見詰めていた。
二度も激しく転倒したにもかかわらず、二人の警備員はうめき声一つ漏らさなかった。不気味なぐらい終始無言だ。ようやく態勢を整えるや否や、うつ伏せに転がった看護婦も周囲の好奇の目も意に介さず、あたふたと侵入者の後を追った。
しかし、風のように廊下を駆け抜け、エレベーターホールに達した時には、陽炎のような侵入者の姿は、アイシールドからいち早く消え去っていた。
「走って移動する者は見当たらない。あいつに赤外線捜索は効かないらしい。見失った!」
周辺を確認した警備兵が口走った。
「出口はすべて監視している。屋上にも仲間がいる。逃げられっこない!マグレブとメガロポリスでは逃がしたが、今度こそ捕えてやる!」
「いや、背丈からしてあの時とは別人だ。畜生ッ、とんだ邪魔が入った!今どき、手押しワゴンなんか使いやがって、鈍くさい看護婦めが!王元、警備員が来る前に撤退だッ!」
兄、王龍の言葉に弟はうなずいた。二人は人間離れしたスピードで、非常階段を抜けて姿をくらました。
病室に残されたアキラは外の騒ぎが気が気でなかった。
マヤ様が追われているのか?いいや、そんなバカな!マヤ姫は過去生の出来事だ。それじゃ、あの女性はいったい誰なんだ?
ついに我慢できなくなり、廊下の様子を見ようと、身体に取り付けられたモニターの類を取り外そうとした時、クリスがあたふたと病室に入って来た。
「大尉、異常ありませんか?」
「ああ、僕は大丈夫だ。いったい何が起きているんだ?」
「それが、変なんです。警備兵が二人、いきなり駆け出してワゴンに衝突したの!でも、誰も逃げてなんかいないのに・・・この部屋に誰か入って来ませんでしたか?」
「・・・いや。誰も来てないよ」
アキラは咄嗟に嘘をついて誤魔化したが、憤っていた看護婦は上の空だった。
もうすぐ、ナラニが面会に来るというのに、なんなの、あの警備兵たちは?頭がおかしいんじゃないの!
アキラもまた頭がいっぱいだった。
間違いない、あの指輪は夢で見たのと同じ物だ!CIAの身分証もあった・・・
カミーユドレフュス?
シティを尋ねた折に、アロンダから聞いた話が脳裏を過った。
すると、あの女性は飛騨乃匠の姉か?深山貴美だ!母の旧姓と同じ苗字が気になっていたが、道理であのコンバットスーツに見覚えがあるわけだ。僕がカメレオン迷彩と赤外線遮蔽を仕込んだアロンダのスーツじゃないか!
・・・もしや、彼女が母の言う運命の相手なのか?
アキラは愕然となった。女の口づけに触発された強烈な意識の変化は、アロンダと初めて交わしたキスの時と同じだったのである。(*)
ただ、あの二人と自分の過去生は明晰夢で見ただけで、事実かどうかまではわからない・・・でも、アロンダは夢に現れたニムエに生き写しで、カミーユ貴美はあの指輪を持っている・・・
現在と過去、現実と白昼夢が交錯して頭が混乱したアキラは、ついにふぅッと深いため息をついて天を仰いだ。
こりゃ、ダメだ!今考えるのはよそう。頭が変になる。いや、もうなっているかも・・・超音速の垂直上昇と猛烈な機体の振動、生存限界高度からの脱出と与圧ピットの破断、極寒の蒼暗い虚空に投げ出された記憶だけでも、とっくにPTSDになっていたっておかしくないのだから・・・
「侵入者はカメレオン迷彩と赤外線遮蔽を使っていました。ワンフーチームが、パイロットの病室から忍び出る不審な影を感知して、後を追いましたが途中で見失いました。出口は監視していたのですが、奇妙なことに敵は現れていません。出入りした者をスキャンしましたが、全員が病院関係者です。敵はまだ中に潜伏しているはずです」
ペンタゴンの執務室で、タオの報告をセルフォンで聞いたダレスは、苦虫を噛みつぶしたように顔をしかめた。
「病院内の捜索は取り合えず警察に任せろ。モデルの面会でマスコミが外にたむろしている。くれぐれも勘づかれるな。窓から抜け出した者はいないんだな?」
「はい。カメレオン迷彩対応の小型ホークアイカメラで監視中ですが、不審な動きはありません」
「軍事警察を動員して病院をくまなく調べさせる。それまで徹底して監視を続けろ。メディアには物好きな見物人が侵入したと情報を流す。以上だ。フェノストル」
通話を切ったダレスは怒り心頭に発して、ギリギリと歯を食いしばった。
虎部隊にスパイとして潜入するほど、並み外れた身体能力と技能を備えたエージェントが、またしてもノヴァを取り逃がすとは。しかも不審者として捜査対象になるなど、とんでもない失態だ!
とは言え、予想通りノヴァが現れたのは収穫だった。侵入者はビアンカスワンか?いずれにせよ、ミヤザキは格好の囮に使えるとはっきりした。
ダレスは状況の進展を睨んで、早くも次の一手に思いを巡らせていた。
それからほどなく、パイロットとの面会に引き続き行われたナラニの記者会見も、滞りなく終わり、警備に当たった地元警察は、ほっと胸をなでおろした。病院内に見物人が侵入してちょっとした騒ぎになったが、今日のイベントに支障は出なかったのである。
「しかし、偽警備兵に偽看護婦とはな・・・何の酔狂だ?いくら熱狂的なファンでもそこまでやるか?今どきの連中のやることときたら、さっぱりワケがわからん!・・・ところで、あのモデルのサインは手に入ったのか?」
「バッチリです。警部の分ももらいましたよ!いや~、小柄ですが傍で見ると、ほとんど女神でしたッ!笑顔で快くサインしてくれたんで感動しました。一緒に写真を撮らせてもらえばよかったんですが、思わず見惚れてすっかり忘れっちまいました」
超ラッキーだ!病院内の騒ぎを受け、念のためナラニを車までエスコートできた上にサインまでもらえた!
年若い警察官は、ポリス帽の上から頭を掻いた。
現場の指揮を執った警部も、地元に移り住んだナラニの大ファンである。直筆サインが手に入るとは、ついてるな!と相好を崩した。
「いいぞ、気が利くな!・・・だが、何だって海軍憲兵隊が病院を捜索するんだ?たかが追っかけの見物人が入りこんだぐらいで、大袈裟な連中だ!」
管轄の地元警察を追い払いやがって、ムカつく連中だ!
憲兵隊の強引なやり口を警部は腹に据えかねていた。
「さあ、何を考えてるんですかね~」
警察官はのんきな声で生返事した。
憲兵隊のおかげで病院の捜索からも解放され、今日はとことんついてる!
ナラニのサインを眺めながら、ゲットしたぜ、と、意気揚々とハング・ルースの指サインをした。
*「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」 第13話「きのうの夜は」




