海軍病院 Naval Health Clinic
英語圏での生活が長いナラニは、「カミ」という呼び名が「ケィミ」とフランス名のカミーユに近い発音になる。その柔らかな響きを耳にする度にナラニのそばにいると実感して、貴美の心は決まって穏やかに静まるのだった。
それなのに、今はナラニのそばにいても妙に心がざわつく・・・
心身に抑えがたいほどの情動とエネルギーがみなぎって、今にも溢れ出んばかりだ。目覚めたマヤの意識にダニエルとの再会が重なり、貴美はすっかり恋する女戦士に変貌していた。
所属するモデルエージェンシーの意向で、ミヤザキ大尉のお見舞いに行くことになったと聞かされ、敵の罠ではと貴美は警戒したのだが、ナラニは笑って懸念を一蹴した。
「かえって好都合かも知れないわ。私がマスコミの前に出れば、あなたが話してくれた国防総省の黒幕も、ミヤザキ大尉や私に手出ししにくくなるでしょう?少なくとも、今後に備えて時間を稼げるわ」
時間を味方につけるのね。
いかにも第二世代の長老らしい発想に、貴美は即座に納得したのだが、ナラニはさらに意外な計画を持ちかけたのである。
燃えるような恋心に身をやつす貴美の機先を制した。
「あなたとミヤザキ大尉は、ソウルメイトなのね?だったら、良いアイデアがあるの」
悪戯っ子のように目を輝かせて、お忍びで外出する時に使う変装用の小道具一式を見せてくれたのだった。
「これは、モデル事務所がジャーナリストに渡す取材パスよ。変装して一日レポーターをやってみない?病院の中に取材陣は入れないけれど、あなたは特務工作員で、今ではリープだってできる。簡単に侵入できるでしょう?」
貴美は一も二もなく、ナラニの申し出に飛びついた。
「そうね。リープはサンクチュアリで練習させられて、使いこなせるようになった。テレポートした時、アロンダのコンバットスーツを着ていてよかったわ!カメレオン迷彩と赤外線遮蔽が使えるもの。じゃあ、わたし、アキラに会えるのね!」
「決して無茶はしないと約束してね。テレポーテーションは安定したの?いざと言う時、使えそうなの?」
ナラニは釘を刺すのを忘れなかった。
今のカミはもはや以前の用心深いCIAの諜報員でも、癒し系カウンセラーでもない。千年前のマヤの意識が目覚めた顛末は、大まかにしか聞いていないが、変異が一気に進んでいる・・・
以前にもまして、貴美の様子が気がかりだった。
危険を冒してでも、アキラに会わせようと決心したのには、ナラニなりの考えがあった。ソウルメイトとの再会がどれほど大きく人を変えるか、知り尽くしていたからだ。
言い伝えによれば、トリニティには「アンカー」と呼ばれるソウルメイトが現れる・・・
アキラが心のベースキャンプになれば、貴美の気持ちは各段に安定する。過去生のトラウマを解消する手助けになるはずだった。
上手くいけば、強力な異能力を自在に制御できるようになるわ。
ナラニはそう読んでいた。
「意識を目的地に合わせるには、まだ時間がかかりそうなの。今から練習するつもりだった。でも、オアフに行くなら練習は帰ってからね!」
貴美は浮き浮きと声を弾ませたが、ナラニの注意は聞き流した。
日本に戻る前に、もう一度アキラにひと目だけでも会いたい!
この二日間というもの、テレポーテーションを会得しようと、海岸で練習を繰り返したのは、その想いに突き動かされたからだった。昼間の陽射しがオーブの輝きを、カメレオン迷彩と赤外線遮蔽が貴美の姿を隠して、思う存分練習に打ちこめた。
「内緒でパールハーバーまでテレポートするつもりだったのに・・・これまで隠し事をした事なんかなかったから、勘の鋭いナラニに見抜かれたらしいわ。でも、隠れてオアフに跳ぶ必要がなくなって気持ちがスッキリしたわ!」
と、胸でつぶやいた。
訓練で身に着けた慎重な言動はすっかり影を潜め、大胆で向こう見ずな性格に取って代わっている。
第二世代のわたしは仮の姿だった。これが本当のわたし!
貴美が発散する明るいエネルギーは眩しいくらいね。
不安を感じる一方で、ナラニはそんな貴美の姿を微笑ましく感じずにはいられなかった。
恋する女は強いわ!
運命の相手と首尾よく再会できそうね、と直感した。
「カミ、私は先に車で出るわ。カメレオン迷彩とリープを使ってね。あなたの服は車に乗せて置くから、ヘリポートの駐車場までリープしたら車内で着替えてちょうだい。オアフ島までのヘリは観光客と一緒よ、離れ離れに座れば、誰にも怪しまれないわ」
例によって物柔らかな口調ながら、ナラニは的確に指示を伝えた。
オアフ島に到着した貴美は、目立たないよう公共の交通機関を使った。モノレールやバスには乗り慣れている。一方、ナラニは迎えの車で一足先にパールハーバーへ向かった。
海軍病院の前には、取材陣のブースが並び、大勢の見物人が遠巻きに眺める中、地元警察が交通整理と警備に当たっていた。黒っぽい地味なサマースーツに、フレームの太い伊達メガネと茶色のウィッグ姿の貴美は、どこから見てもフェミニスト系女性誌の生真面目な記者にしか見えない。
取材パスのおかげで、難なく報道陣の中に紛れ込んだ。
伊達メガネをホログラスに替え、慎重に辺りを見回した。映像を拡大して周囲のビルにも目を光らせた。
やっぱり・・・
屋上にたむろする見物人に混じって、軍用通信機のアセンブリをイヤーモジュールに取り付け、カメラを手にした男たちの姿が目に入った。
周りのビルから病院の出口や窓を見張っているんだわ。カメラにも見慣れないアセンブリが付いてる。多分、カメレオン迷彩も探知する映像変換器ね。
こうなったら、地下から潜入するしか方法はなかった。
ほどなくして、病院側が用意したテントからナラニが姿を現わした。取材陣と群衆が一斉にフラッシュの雨を浴びせる。
今だ!
貴美は人混みに隠れて、歩道にずらりと停車しているメディアの大型バンの下に潜りこんだ。
重量のある取材用エアバンは、軍仕様のバンと同様、接地バッファが高い。大人でもすり抜けるスペースがある。車の下を匍匐前進して、歩道との境目に長方形に開いた排水口に近づき、滑りこむように身体を押し入れ地下水路へ飛び降りた。
ゲリラ豪雨に備えた広々とした空間を、夜行獣のように碧眼を煌めかせて楽々と進む。第三世代の暗視能力は、第二世代をも凌ぐ。ホログラスの赤外線スコープを使うまでもなかった。
病院の下水には残留薬剤や病原菌が紛れこむため、浄化槽を通して一定期間保管後に一般下水路へ放流する。幸い、今は乾季にあたり、オアフ島南岸は軽いスコール程度の降水しかない。雨水専用の排水路は溢れることもなく、ズボンや靴を濡らす心配は無用だった。
病院直下まで水路に沿って辿ると、頑丈な鉄柵が円形の排水口を覆っていた。リープは使えないから、爆破でもしない限り侵入は不可能だ。
けれども、今の貴美はテレポーテーションが使える。ビーチで練習を重ね、目視できる距離なら自在に跳べた。
計算通り、易々と内部にテレポートした貴美は、排水路の空調ダクトを抜けて、病院の建物に潜入した。
特殊工作員の訓練を通して、排水路から公共施設への基本的な侵入経路も把握している。空調ダクトの中をそろそろと這い進み、化粧室の換気口から様子をうかがい、カバーを外して音もなく室内に降り立った。
手早く変装を解いた後、軽々とジャンプして、片手で天井の換気口に掴まった。スーツやウィッグを中に放りこみ、カバーを戻して床に跳び降りた。コンバットスーツのヘッドカバーとフェイスマスクを被り、ホログラスを掛けカメレオン迷彩と赤外線遮蔽を起動した。
一連の作戦行動にはまったく無駄がない。CIAでの訓練の賜物だった。
体調も万全で体力と暇を持て余したアキラは、退院したくてうずうずしていたが、命の恩人が面会に来るとあって、やむなく神妙な顔でベッドに横たわっていた。
やたらと検査した挙句、どこにも異常はないと言いながら、医師や看護師が頻繁に体調をチェックするのには、正直のところ閉口していた。おまけに病室にはホログラムもPCもないときている。部屋を出る許可も下りないときている。軍事行動中でイヤーモジュールを付けていなかったため、外界から完全に途絶されていた。
医師や看護師も世間話は一切せずに、体調や検査の話ばかりだ・・・日本の両親と連絡も取れない。軍の演習中の事故で、例の爆弾の機密保持も加わってはやむなしか・・・それなのに、なぜ民間人と面会させるのか?
偵察機の異常な動作もさることながら、病院側のちぐはぐな対応も不可解でならなかった。
とは言っても、この状態では調べようもないか・・・
アキラが退屈し切ってうとうとしかけたところへ、看護師が入って来た。目覚めて最初に話した相手で、病院スタッフの中ではもっとも気さくな看護婦だ。
「大尉、食後の体調検査をしますね。問題なければ一時間後に命の恩人と会えますよ」
「なあ、クリス。いったい誰なんだ、僕の命の恩人って?」
ようやく話がわかりそうな相手が来たぞ!
アキラは意気ごんで尋ねた。が、肩すかしを食う。
「それは会ってからのお楽しみよ!・・・体温も血圧も血糖値も心電図も、すべて正常です。それじゃ、覚悟してね!」
クリスは意味ありげにウィンクしたが、それ以上は口を閉ざして語らず、テキパキと検査だけ済ませると部屋から出て行った。
覚悟だって?いったい誰が来るんだろう?
倒れていた僕を抱えて運んだぐらいだから、相当体力のある人に違いない。アクションスターの大物かな?ハワイには有名人の別荘が多いからな・・・
相手が誰にせよ、今日は退屈せずに済みそうだ。
アキラはぼやいた。
「奇跡の生還を遂げたパイロット急死。死因は退屈!」
とか、週刊誌やタブロイド紙に載ったりして・・・
と、その時、突然ベッド脇に人の気配を感じた。
反射的に顔を振り向けたアキラは、全身黒尽くめの女の姿に大きく目を見張った。
「なッ、いつの間に入りこんだんだッ!」
咄嗟に緊急ブザーを掴んだアキラに向かって、女はシーっと人差し指を口に当てて、ホログラスを外した。
澄み切った碧眼がアキラを見つめ、涙に煌めいて輝きを放っている。無言で胸元のジッパーを下げて上半身を屈めた。抜けるような白い肌と豊かな胸の谷間に、一瞬アキラの視線は吸い寄せられたが、女が右手で取り出したネックレスチェーンを目にして、思わずハッと息を呑んだ。
「・・・マ、マヤさま」
無意識に自分でも意外な言葉が口から洩れた。




