戦術家 Tactician
「操縦席の酸素マスクは機能していたが、問題は低体温症だ!落下速度が毎秒十メートル増すごとに、体表温度も約十度下がる。ミヤザキが与圧ピットから放り出された高度は、AIを使ったシュミレーションで、一万五千メートルに上方修正された。外気温は摂氏マイナス六十度だ。秒速70mで落下速度が均衡したすると、体内温度は致死域の21度以下に急激に下がる。どうして低体温症を免れたか、医師団は見当もつかないと言っている。ミヤザキの脳に異常はなく、気絶するまでの記憶もはっきりしている。遺伝子解析でも耐寒能力の特異体質マーカーはネガティブだ。過去の軍歴を見ても、ノヴァと思しい特異能力は報告されていない」
ダレスは性急に言いつのった。冷徹無比な仮面の下から、抑えの効かない焦燥感とも怒りともつかない激情が、時おりこうして漏れ出す。
しかし、フーバーはもはやダレスの情緒には拘泥せず当然の疑問をぶつけた。
「すると、キリシマを疑っているのか?あの女がノヴァで、ミヤザキを救ったとでも言うのか?」
新人類は社会の表舞台に出ることなく、正体を隠し通しているはずだ。人気モデルがノヴァなどということがあり得るのか?まして低体温症を治したなど荒唐無稽だ!
百歩譲ったところで、憶測の域を出ないのは明らかだった。するとダレスが言った。
「アレン、CIAの記録によれば、カミーユドレフュスことタカミミヤマは、あのモデルと十年来の知己だ。年齢はキリシマが上で、ドレフュスは姉のように慕っているようだな?この春もハワイを訪れ、一時帰国するキリシマと共に日本へ戻っている」
状況証拠を持ち出してきたか・・・
CIAの情報を引き合いに出した口調に皮肉めいた響きを感じたが、怒りを爆発させて気が晴れたフーバーは意に介さない。
「確かに二人は旧知の仲だが、キリシマは有名人だ。交友関係が広いのは当然だろう?単なる偶然じゃないのか?それとも、ミヤザキや自分の身を守るため、キリシマが故意に世間の注目を惹いたとでも?」
ダレスは狡猾で信用できないが、対等に手を組むと決まれば、フーバーとしては目的本位に動くまでで感情は二の次だった。
ダレスが言った。
「キリシマは日本人らしい控えめな性格で、およそ売名行為とは縁遠い稀有なタレントだ。商業CMの契約もゼロで通しているが、慈善活動となれば無償で広告塔を買って出る。世間の評判も上々だ。こんな騒ぎを起こすのは、どう考えても不自然だ」
「だとしたら、我われはキリシマに先を越されたことになる。世論はあの女の強力な味方だ。下手に動けば大騒ぎになるぞ。ノヴァと電磁パルス爆弾は国防上の最高機密だ。間違ってもメディアに食いつかれるわけにはいかない。しかも、今時の有名人は盗聴盗撮への備えも万全だ。簡単にはシッポを掴ませないだろう」
ダレスの反論にも一理ある。
今やフーバーは冷静に事態を分析していた。だが、ダレスの次の言葉に、一瞬息が詰まるほどの衝撃を受ける。
「その点は君の言う通りだ。キリシマを拉致して、ノヴァとの関わりを突き止めるつもりだったが、そうもいかなくなった。もしノヴァなら、絶好の検体になったはずだが・・・ほとぼりが冷めるまで、ミヤザキとキリシマは要注意人物として泳がせるしかなさそうだ」
ダレスは心底口惜しがっている!
フーバーは無意識に左手を顎に当て、右腕を左脇に回した。疑念と自己防衛を表す典型的なジェスチャーである。
すると、確たる証拠もなく在米セレブを拉致するつもりだったのか!?しかも、絶好の検体とは・・・なんたる言い草か。実験動物扱いではないか!
ダレスのどこまでも冷徹非情な言い草に、フーバーは強い違和感を抱いたのである。
会議で平然と嘘をつき、今度はこれか!
ダレスの素顔が露わになるにつれ、フーバーの中で嫌悪の情が沸々と湧き上がる。
いったい、この男はどういう精神構造をしているのか?こちらがプロファイリングデバイスを使いたいぐらいだ!
CIA一筋でキャリアを積んだフーバーは、国外での破壊工作に地元民が巻きこまれても、「国益」のためと心を鬼にして割り切っている。けれども、こと国内となると話は別だった。
ダブルスタンダードではあるが、自国の人間と思うとやはり良心が咎めるのは避け難い。
普通の人間ならそうなるはずだ・・・ダレス補佐官には非人間的な違和感がつき纏う。今日は歩み寄る態度を見せたが、だからと言ってこの男を信用してはならない。ビジネスライクに距離を置いて接するべきだ・・・
いやがうえにも強い警戒心がフーバーの胸に芽生えた。
フーバーの心の内を知ってか知らずか、ダレスはすぐさま次の手を打診した。
「キリシマが関わっているとすれば、ドレフュスの監視が必要だ。メトカーフの監視も続けてくれ」
しかし、今さら後には引けない・・・たとえダレスが反社会性人格障害であろうと、利害が一致する以上目をつぶるべきだ。
必要に応じて敵とも手を組み味方をも欺く。したたかな戦術にかけては、CIA長官の右に出る者はそうそうはいない。
内心の動揺を押し殺して言った。
「ドレフュスなら記憶探査にも素直に応じている。汚染地帯での記憶は空白と証明された。とは言え、記憶が戻る可能性もあるし、ドレフュスの弟は、オータキの手を逃れネイビーシールズまで打ちのめした。あの姉弟は、先月シティを訪問したキリシマとも会っているからな。ドレフュスの動向は早急に確認する。メトカーフは今のところ怪しい動きはない。引き続き監視するが、長期となると国内は人手が足りない。FBIに引き継げるよう手を廻せないか?」
「いいだろう。折を見てFBIを手配する。ところで、アレン、前々回の緊急会議で、君はプライムのサイボーグ開発疑惑をでっち上げ、大統領以下閣僚を揺さぶった。事前に相談する時間もなかったのに見事な対応だ。衝撃の余韻が収まる前に、追い討ちをかけた爆弾発言は実に効果的だった。ミヤザキの事故をシティ公営放送にリークされて、今度こそプライムがノヴァを支援していると確信したんだな?」
フーバーは驚いた。
FBIを動かすのもダレスにしてみれば朝飯前か?
珍しく称賛の言葉を投げられたのも引っかかる。不意に対等のパートナーとして扱われると、逆に疑心暗鬼なるから不思議なものだ。
けれども、ダレスの指摘は正鵠を射ていた。ノヴァが存在するとついにフーバーが確信したのは、まさに「事故」をすっぱ抜いたシティ公営放送を目にした時だったのである。
自ら仕掛けた事故をリークしたところで、国防総省の汚点になるだけで、ダレスにメリットなどない。国家機密に絡む事故までリークするはずもない・・・だが、CIAさえ把握していない情報を、海外メディアが掴むのは不可能だ。となると、情報のリークにプライムが関わったと見て間違いなさそうだ。
具体的な方法は不明だが、プライムはノヴァを庇護している。さもなければ、特殊部隊を投入した作戦が八回、シティ攻撃を含め九回も立て続けに失敗するはずがないのだ・・・
つまり、ダレスの言う通りノヴァは実在する!
ホワイトハウスでの爆弾発言に踏み切った時点では、プライムや存在すら疑わしい新人類への警戒心は二の次だった。フーバーとしては、一族の権益にのみ拘泥して国益を損なう大統領は排除するべきだ、といよいよ決意を固めたと言うのが本音だ。
その点では、フーバーもまた目的のためにダレスを利用したのである。
フーバーの姿がホログラムから消えると、ダレスは世界時計アプリに目をやった。中東は深夜過ぎと確認してから、ホログラムに秘書を呼び出した。
「中央統合軍の旗艦空母にメール送り、ミッチェル中佐に折り返し連絡するよう伝えてくれ・・・そうだ、情報統括官のジョンミッチェルだ」
ホログラムを消すと、円形のクリプトフォンを内ポケットから取り出し、生体認証でロックを解除した。
「タオ、潜水艇は海域から撤退させろ。拉致は中止だ。病院の張り込みは続けろ」
エージェントに指示を出した。流暢な北京語だ。
「承知しました。監視チームを残しアサルト班を撤退させます。フェノストル」
タオの応答を耳に、豪奢な椅子の背もたれにもたれてつぶやいた。
「フェノストル・・・」
フーバーが口にした「ドレフュスの弟」という言葉が、ダレスの頭から執拗に離れない。
世界最高の特殊部隊を投入したが、一介の大学生を二度も取り逃がした。ヒダノは間違いなくノヴァだ!汚染地帯でオータキの襲撃から逃れたドレフュスも、限りなくクロに近い。だが、奴らが警戒を強めた今、逃走経路のないドーム都市とプライムのお膝元という悪条件では、ドレフュスとヒダノの拉致は難しい。
ダレスの鋭い目は激しい怒りと憎しみに燃え、育ちの良いエリート然とした端正な顔が獰猛に歪んだ。無意識に拳を握り絞めると、今にも割れんばかりに椅子のひじ掛けが軋んだ。ファットマンの目の前でひじ掛けを握り潰したため、頑丈なケヤキのひじ掛けに替えてある。
歯を食いしばって不気味な声を振り絞った。
「誓ってプライムもろ共シティを葬り去ってやる!そして、ノヴァを殲滅するのだ!」




