婚約指輪 Token Ring
「二段攻撃はタイミングがすべてだ!地形によって、矢が落下するまでの時間は変わるが、最初の訓練は平地で行う。敵部隊も静止した状態だ。矢の角度と飛距離の関係を身体で覚えるんだ!牽制の矢を放ったら、直ちに二の矢をつがえて標的を狙え。だが、構えまでだ。第二射は射つな!いいな?よし、全員、弓を引け!狙え!・・・射てッ!」
ダニエル・プロスペロの指示に従い、弓兵部隊の新人射手たちは一斉に弓を構え、号令とともに草地の彼方に置かれたダミー目がけて、上方へ矢を放った。
数十本の矢が放物線の頂点に向かって、上空高く舞い上がった時、二の矢をつがえて標的を狙う弓兵の一人が、素っ頓狂な声を上げた。
「たッ、隊長、あれをッ!」
弓兵の視線の先を追ったダニエルは、とんでもない光景を目にして魂消た。藁で作った騎馬隊のダミーの間を、ピンクの服を着た幼女がこちらに歩いて来るではないか!
「いかん!弓を降ろせッ!マヤ様ッー!」
大声で叫んだダニエルは、傍らの愛馬に飛び乗って一目散に駆け出した。必死に声を振り絞って、片手を振ってダミーの下に潜るよう合図を送る。
「マヤ様ッ、危ない!マヤ様ぁ~ッ!!」
マヤはダニエルの叫び声に、小首を傾げて立ち止まった。シュルシュルッと風を切る矢音に気づいて上を見上げた瞬間、数十本の矢が幼女の頭上から雨あられと降り注いだ。
ダミーの騎馬隊と地面一帯に深々と突き刺さり、プスっ!バスっ!ドスっ!と鈍い音が立て続けに響いた後、辺りはし~んと静まり返り、風にそよぐ樹々の梢と、小鳥たちのさえずりだけが聞こえていた。
馬上のダニエルはもとより、ゾッとして立ちすくんだ弓兵たちも凍りついたように声を失った。
王女の姿が見えない!矢襖と化して、草陰に倒れたに違いない・・・
「た、大変だ!」
弓兵たちはようやく我に返り、慌てて馬に跨りダニエルの後を追った。
一足先に馬を乗りつけたダニエルは大急ぎで地上に飛び降り、数十本の矢が降り注いだ冬枯れの草むらの間に分け入って。這いずらんばかりに辺りを見回し蒼ざめた顔で呼びかけた。
「マヤ様ッ、マヤ様ッ~!」
「ダニエル、ここだよ!」
不意に、黄色い声を発したマヤが、数本の矢が突き立った藁製の騎馬騎士の腹の下から這い出した。
怯えた様子などこれっぽちもない。小さな手でフリルで縁どられた長袖のワンピースをパンパンとはたくと、膨れっ面でダニエルに文句をつけた。
「あ~あ、よそ行きに土がついちゃったじゃないッ!お兄ちゃんが脅かすからだよ!」
「・・・姫様、良かった!ご無事で・・・」
ダニエルは思わずマヤを抱き上げて、やれやれと安堵のため息をついた。
走り寄って来た弓兵たちも、止めていた息をふーっと吐き出して、口々に「良かった!」「どうなることかと思いました」と言いつつ、互いに顔を見合わせていた。
マヤがダミーの陰に隠れる姿は、動態視力に優れた弓兵たちの目も止まらなかったのである。
何というすばしっこい子だ!
弓兵の中には、第二王女は魔女だという噂を思い起こした者もいたが、口には出さなかった。
マヤを抱きかかえたまま、ダニエルはきびきびと指示を出した。
「私は王女様を王宮に送り届ける。お前たちは矢を回収して待て。戻り次第、訓練を続ける!」
迂闊に目を離そうものなら、この子はどこへ迷いこむかわかったもんじゃない。ランポに蹴り飛ばされた記憶が生々しく蘇った。
弓兵たちがてんでに矢を抜き取ってその場を去ると、ダニエルはマヤを地面に下ろして膝をついた。
「マヤ様、ここは危険です。二度と近づいてはなりませぬ。おわかりですね?今日はアルビオラ様の誕生日です。城ではパーティの準備を進めております。王宮にお戻りください。馬でお送りしますから」
すると、マヤは青い目に涙をいっぱいに溜めて、ダニエルに訴えた。
「でも、お兄ちゃんに会いたくなっちゃったんだもん!だって・・・わたしの誕生日、わからないんだよ!だから、お祝いしてもらえないの!」
幼いマヤが胸の内を打ち明けられる相手は、養父のアトレイア公爵とダニエルしかいない。ところが、サマエルはニムエと共に隣国ポイタインを訪問中で、あいにく愛娘の誕生日を前に国を離れていたのである。
ダニエルは咄嗟に言った。
「マヤ様、わたしは存じあげております。あなた様の誕生日は、十二月二十五日です!」
自分でも、何を言っているのだろう、と頭の隅で不思議に思ったが、決して嘘や気休めを言うつもりはなく、勝手に言葉が口を突いて出た。
「お兄ちゃん、なに言ってんのッ?それは、イエス様の誕生日だよッ!」
マヤは口を尖らせて声を張り上げた。だが、ダニエルは一瞬の躊躇いもなく続けた。
「はい。マヤ様の誕生日は、イエス様と同じ日です。祝福されてお生まれになったのです!」
マヤはパッと顔を輝かせた。そして、ダニエルの左膝に両手でしっかりしがみついた。顔を見上げて唇を噛みはにかみながら言った。
「わたし、大きくなったら、お兄ちゃんと結婚する!」
「そんなことは不可能です」
と、道理を説きもせず、ダニエルは幼い王女に向かってニッコリ微笑んだ。そして、おもむろに狩猟服の上着のポケットを探って、ある物を取り出した。
「では、その日が参りましたら、これを右手の薬指に着けてください」
と言って、肌身離さず持っていた指輪をマヤに差し出したのである。
プロスペロ家に代々伝わる家宝の指輪を・・・
「・・・大尉、大尉!お目覚めですか?」
女の声にアキラはふと目を開けた。脳波計で覚醒を確認した白衣の看護師が、心配そうに覗き込んでいる。看護師のユニフォームに見覚えがあった。
ここは海軍の総合病院だ!オアフ?ハワイか・・・いったい、何が起きたんだ?
きりきり舞いしながら宙を舞い飛ぶ与圧ピットの中で、必死で操縦席の縁を掴んで背中を押し付けていたところまでは、鮮明に覚えていた。
そうだ!与圧ピットはようやく安定したものの、壁の裂け目から冷気が金切声をあげて吹き込んで、落下速度が上がるにつれて身体が凍てつくように冷えた。震えが止まらず、酸素マスクをしても呼吸が苦しくなり、ついに意識が朦朧と薄れてゆくのを感じた・・・
このままでは凍死する!
危険を承知で、落下速度を抑えようと、やむなく手動でパラシュートを開いた・・・失敗だった!グイッとピットが押し上げられた途端、反動で壁が大きく裂け、操縦席ごと空中に投げ出された!
その後のことは何も思い出せないが、マヤ姫の夢だけは不思議と鮮明に覚えている・・・
「大尉、すぐにドクターが参ります。地元の人が海岸であなたを見つけ、身体を暖めてくれたそうです。おかげで低体温症にもならず、本当に良かったです!」
「そうだったのか。後でお礼を言わなくちゃね。君には、今、言うよ。助けてくれてありがとう!」
看護師が思わせぶりにウィンクして立ち去ると、アキラはベッド脇のバイタル・モニターに目をやった。軍用IDは偵察機に異変が起きた後、機能を停止していたのである。
午後九時過ぎだった。午後の演習開始から、八時間が経っていた。
「カミ、軍の救護チームはヘリに戻ったわ。もう大丈夫よ」
ナラニが声を掛けたが返事がない。
ドアを開けて寝室に入ると、暗がりの中で、ベッドの端にぽつねんと座る貴美の姿が目に入った。ナラニは隣に腰を下ろして、貴美の肩を優しく抱き寄せた。貴美は頭をナラニの肩にもたせかけ、目を閉じていたが、しばらくしてポツリと口にした。
「あのパイロット・・・アキラもオパルにいたの。わたしの初恋の人よ。ずっと年上だから子供心の戯れだった。でも、彼はこの指輪をくれたの」
貴美は首にかけたネックレスを取り出して、ナラニに見せた。CIAの身分証と宝石の付いた年代物の指輪がぶら下がっていた。
貴美は言った。
「子供の頃、伯母が誕生祝いに送ってくれたの。大切な御守りだから、いつも身に着けてと。ただ母とは疎遠で、わたし、伯母のことはほどんど知らないの・・・」
「あたたの誕生日はクリスマスだったわね・・・カミ、いろいろあり過ぎて、と言っていたわね。良かったら話して頂戴」
貴美とアキラとの間で、想定外のコンタクトが起きたんだわ!
鋭く察したナラニには、貴美が唐突が打ち明けた過去生の出来事にも驚きはなかった。第二世代の「オールドソウル」は輪廻転生の秘密に通じている。過去生の記憶をつぶさに想起する能力も備えているのだ。
しかし、脳死から蘇らせた貴美の異能力は、驚天動地の出来事だった。けれども、貴美の心中を慮って、説明を強いるような真似はしなかった。
ナラニの思い遣りと温もりを直に感じ取って、昂り切った貴美の気持ちもスーッと収斂していく。
それでもなお、立て続けに起きた事件と不可解な事象に、次第に蘇える過去生の記憶が絡み合って、どこから話していいものか迷った。
「あの時代のわたしは、マヤアテナイア。オパルの第二王女だった。養女なの・・・匠が私の養父で、アキラは王家の宰相の息子だったわ」
接触型テレパシーを使い、ナラニに洗いざらい胸の内をぶちまけたい衝動を抑え、言葉を絞り出すように、とつおいつ心に浮かぶままに話し始めた。
「すべてを打ち明けるのはまだ早い」
と、心の声が聞こえたのだ。
とりわけ、あの機動歩兵から感じ取った新人類とは異質のオーブのことは、誰にも話してはならない・・・




