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リターン・エース It Was A Kill Shot !

「サーティ、フォーティ!」

審判の声が響いた。

小田が匠に近づいて声を掛ける。

「マッチポイントですよ。気合入れて行きましょう!」

 言われるまでもなかった。匠はクルクルとラケットを両手の中で回し両肩を上下して力を抜いて、レシーブ態勢で相手サーバーに視線を送った。

 と、その時、背後のフェンスに駆け寄って、華やかな色彩のポンポンを振る遠藤美紀子の姿が目に入った。

 一心に匠を見詰めている。


 ま、マズい!

 注意散漫になった匠は、直後に我に返ったが時すでに遅く、相手のファーストサービスがスライスしながら、センターラインの内側ぎりぎりに鋭く飛びこんで来た。

 ハッとなってテニスボールに意識が集中した瞬間、時が止まった・・・


 匠のフットワークは文字通り目にも止まらぬほど素早かったが、その目にはボールがスローモーションで見えていた。

 頭の中は無思考で身体が勝手に動く。

 これまでなら、身体が伸びきって片手でラケットの面を合わせるだけで精一杯だったはずだが、右へ逸れてゆくボールに楽々と追いついた。しっかり膝を曲げ腰の入った万全の体勢でコートを踏みしめ、コンパクトなバックスイングから両手打ちフォアハンドを一閃する。


 フラットに弾き返されたボールは、ほぼ無回転でネットすれすれを通過した。

 フロントプレーヤーは、一歩も動けなかった。ネットに詰めようと踏み出したサーバーの真正面で、ボールはフォークボールのように沈んでバウンドした。

 観客はその後のボールの軌跡を見失った。

 目に見えて減速するはずのボールが、コートのサーフェスでスキッドしたのだ。

 まるで、加速したように見え、サーバーはラケットを放り出してのけぞり、危うく直撃を免れてコートに尻もちを着いた。


 黄色い糸を引くように伸びたボールは、昔ながらの緑色のフェンスに衝突して、「バスッ」と鈍い音を立てた。

 美紀子が目を丸くして、食いこんだボールを見つめている。


「・・・ゲームセットアンドマッチ!ワンバイ、ヒダノアンドオダ」

 審判が沈黙を破るまで、ゲームを見守っていたテニスサークルの学生たちはシーンと静まり返っていたが、ようやくバチバチと一斉に拍手が沸いた。


「いやあ~、飛騨乃さん、ナイスショット!!強烈でしたね~!」

 小田が匠の肩を叩いた。

「いや、今のはまぐれだよ、まぐれ!スイートスポットにドンピシャでインパクトした」

 匠は内心「しまった!」と思ったが、表情には出さずに取り繕った。

 また、美紀子だ!

 彼女に気を取られて、咄嗟に異能力を抑えられなかった。

 二百五十キロを超えたはず・・・弾道が水平に近いせいで、コート表面でボールが滑ったんだ!

 男子トッププロでさえ、グラウンドストロークの二百キロ超えは稀だ。けれども、幸い学内の親善試合とあって撮影している者の姿は見当たらなかった。

 よかった。誰も気づいてないようだ・・・

 少々びくつきながら辺りをうかがった匠は、とりあえず胸をなでおろした。

 もっとも、現実離れした異常な事態を目の当たりにしたところで、多くの人は正常性バイアスに囚われて、常識の範疇で解釈しようとするし、それでも説明がつかない場合には、目にした事実そのものを無視するか否認してかかるものだ。

 まして一瞬の出来事となれば、なおさらだった。匠に超人的な能力があると考えるなら、それこそ頭がおかしいのであって、まぐれ当たりで片付けるに決まっていた。


 匠は勝利にも浮かぬ顔だった。第一ダブルスだけはサークル側に軍配が上がったのだが、異能力を抑える訓練が足りないと痛感したのである。

 それに美紀子がそばに来ると、決まってコントロールを失う・・・なぜだろう?

 自ら体験して初めて、貴美が送ってきた二重生活の苦労が偲ばれた。そして、自分の関心事や生活が、周囲の親しい人々からこうしてかけ離れて行くのか、と思うと正直怖くなるのだった。


 二人はネットに歩み寄って対戦相手と握手を交わした。辛うじてボールを避けたサーバーも、匠の異能力にはとんと気づいていなかった。

「参りました!正面に返されるとは思わなかった・・・」

 学内同好会に敗れては、テニス部の面目が丸つぶれだ。飛騨乃先輩、運動神経だけは抜群だからな~、と内心では負け惜しみを堪えていた。


 と、そこへ、アロンダがずかずかとやって来た。 

「タク、試合が終わったの?ちょうど良かった!すぐ来てちょうだい!」

 ワークブーツで平然とテニスコートに踏み入った。千年前の女戦士にして、現代のトップガンパイロットときている。アロンダの目に、スポーツなど児戯としか映らないのも無理からぬことだった。

「えッ、なにかあったの?」

「いいから、来るの!」

 匠がコートを出てアロンダと話を交わしている間、小田は気を利かせてその場を離れた。

 本当は派手なピザ配達員と匠の関係を知りたくてたまらないのだが、大人っぽい外国人女性の雰囲気に気後れして、まだ話しかけられずにいた。

 匠に尋ねても「友達だよ、海外の」と言うだけで、それ以上教えてくれない。小田は持ち前の並外れた好奇心を煽られて、少しばかりイライラしていた。


「小田さん、お見事でしたわ!テニス部を相手どってお勝ちになるなんて」

 匠がアロンダに連れられてコートを離れると、入れ違いに試合を見物していた木村真弓が入って来た。

「ありがとう!マユが応援してくれたおかげだよ・・・ところで、飛騨乃さんってさ、どう見てもあの女に小突き回されているよね。海外の高校の女番長だったんじゃないかなあ~。飛騨乃さんは子分で、今でも頭が上がらないんだ、きっと」

 小田は勝利に有頂天になって冗談を言った。

「あの~、バンチョウって何ですか?」

 真弓はインドアーリア系のような大きな目で小田を見つめ、真剣な口調で尋ねた。生真面目な上に日本語が苦手ときているから、冗談が通じないことがままあるのだ。

「えッ?・・・あ、その~、番長って言うのはさ、つまり、学校を仕切っている・・・」

 何て説明すればいいんだ?

 さて、困ったと、小田は頭を捻った。


 コートに隣接する芝生では、チアリのスクアッドが練習前のストレッチに精を出していた。美紀子が長い指を器用に使い、フェンスからテニスボールを抜き取り、こっそり持ち去ったのには誰も気づかなかった。

「あのリターンは人間業じゃないッ!オムニコートでボールが滑るなんてあり得ないもの。匠先輩には謎が多過ぎるわ。絶対に正体を突きとめて、わたしのモノにしてやるから!」

 美人ヘッドチアリーダーは、アロンダと連れ立って駐車場へ向かう匠の後ろ姿を執念深く睨みつけていた。

 手にしたテニスボールは、コートに擦れた部分の表面のフェルトが削げ落ち、ゴムが剝き出しになっている・・・


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