姫の初恋 First Love
「起きてちょうだい!」
小さな手で揺すぶられて、ダニエルは意識を取り戻した。
目を開けると、マヤが傍らにしゃがんで顔を覗きこんでいた。起き上がろうとした瞬間、ビクッと身体が反射的に凍りついた。
ランポに蹴り飛ばされて自分は死んだはずなのに・・・
仰向けになったまま、おっかなびっくり両手を動かす。手は動く。次に身体のふしぶしに触ってみる。服は血と埃にまみれているというのに、身体にはどこにも痛みも感じない。
「何としたことだ、これは・・・」
仰天したダニエルがつぶやくと、マヤが黄色い声を張り上げた。
「もう、大丈夫。どこも何ともないよ!」
馬はどこだ?
ダニエルが上半身を起こして辺りを見回すと、マヤが叫んだ。
「ランポ、おいで!」
ランポが早足で駆け寄って来るのを見て、戦慄の一撃の余韻が消えないダニエルは怖気づいた。思わず地面に尻を着けたままズルズル後ずさりしたが、マヤは平気で立ち上がって、鼻面をすり寄せるランポを両手で撫でながらきっぱり言い聞かせた。
「人を蹴っちゃダメなの!わかった?」
自分の身体ほどもある巨大な軍馬の頭部を間近にしても、マヤは怖気づいた素振りも見せない。ダニエルは口をあんぐり開けて、その信じ難い光景を見詰めていたが、ようやく、ランポはもう襲ってこない、と安堵して立ち上がった。
と、いきなり激しく咳きこんで、のどにつかえた小さな血の塊を地面に吐き出した。
肺に肋骨が刺さったらしい。どうやって治したんだろう?夢でも見てるんじゃ?・・・そう言えば、マヤ様は魔女だという噂も聞いたが・・・
茫然と頭を捻っていると、マヤが近寄って来た。
小さな両手を胸の前で握りしめ、真剣な眼差しでダニエルを見上げた。
「ダニエル、ねえ、サウロンって誰?」
瀕死の重傷が癒された記憶は朧げで頼りないが、自分を治したのは間違いなくこの子だ。それなのに、何ごともなかったように振舞うマヤに、ダニエルは拍子抜けしていたのだが、この質問には度肝を抜かれた。
「マヤ様、いったい誰にお聞きになったのです?それに、なぜ、わたくしの名をご存じなのですか?」
あわてて跪き、王女に尋ねた。
王家ではサウロン様の名は禁句だ。あんなことがあったからムリもないが、誰がこの子に教えたのだろう?
「だってお兄ちゃん、プロスペロおじさんの息子でしょ?」
「はい。ですが、マヤ様はサウロン様の名もご存じなのですね?」
「お兄ちゃんに聞いたんだよ!」
「はッ?わ、わたくしから・・・ですか?」
身に覚えのないダニエルは、思わず胸に片手を当てて尋ね返した。
「そうだよ。ねえ、サウロンって誰?」
マヤは幼児の一途な真剣さでダニエルに迫った。
どうしても知りたい!わたしの両親は誰?どこにいるの?なぜ、わたしを捨てたの?
村でも王家でも、誰もが口にしなかった名前に気づいて、ずっと探し求めていた答えの手がかりを、必死で手繰り寄せようとしていた。
トランス状態に入ったマヤは、ダニエルの記憶の痕跡を感知したのだった。ダニエルが気を失う直前の記憶だったため、ランポとサウロンと自分の間に何か繋がりがあると気づいたが、三者の関係までは把握できなかったのである。
「姫様、サウロン様は・・・」
幼子の必死の眼差しに心を動かされて、ダニエルは言葉に迷った。嘘はつきたくない。だが、サウロン様が父親と知れば、いずれ暗い過去に気づくだろう。どれほど傷つき苦しむことか。
そう思うと、とても言葉が見つからない。
「姫様・・・」
と、言いかけて、再び言葉に詰まった。
途端にマヤの青い瞳から、見る見るうちに涙が溢れ出す。
小さな胸で堪えていた悲しみが堰を切ったかのように、立て膝で跪くダニエルの右膝に両腕でひしとしがみつき、幼い顔をぎゅっと押しつけた。
ダニエルは悟った。
この子はとっくに事情を察しているのだ!
涙がポロポロこぼれ、しゃくりあげ出すと止まらなかった。ダニエルは何と声をかければいいのか分からず、震えている小さな身体をしっかり抱きしめ、黒髪を撫でながらじっと佇んでいた。
この子は、瀕死の僕を摩訶不思議な力で蘇らせた。魔女だと言われて、村では白い目で見られていたらしい。だが、その心は普通の三歳の子どもと何ら変わりないのだ。こんなにも思い詰めて、必死にすがって・・・
今日もそうしたように、命に代えてもこの子を守ろう!
ダニエルは不意に湧き上がった強い決意をしっかり胸に刻んだ。
と、マヤが泣き濡れたあどけない顔を上げて、涙に潤んだつぶらな目で、ダニエルを真っすぐに見つめて言った。
「お兄ちゃん、大好きッ!」
そして、嬉しそうににっこり微笑んだ。
この笑顔のためなら死んでもいい!ダニエルは再び激しく心を揺さぶられた・・・
・・・エアカーの座席で、貴美はふとトランス状態から目覚めた。
横目で見ると、運転席のアロンダは前方を一心に見詰めていた。ものの数分しか経っていないが、マヤの記憶が明晰夢となって蘇ったのだ。
あの日、マヤは命懸けで自分を守ってくれる若者と、大の親友となった軍馬に巡り会った。マヤの意識に還った貴美の目が涙で潤む。
物心ついて以来、わたしが泣いたのはあの時が初めて。そして、初めて男の人に恋心を抱いたんだった。三歳なのに随分とませていたんだわ。
突如蘇った過去生の記憶は、しかし貴美に大きな謎を突きつけた。
瀕死の機動歩兵の全身に、わたしのオーブが広がった!それも分厚い装甲越しに。ダニエルを救った時とは明らかに違う。オーブを転写した瞬間、あの男の内部からもオーブが湧いて出た・・・
その瞬間、過去生のマヤの知識が、貴美の脳裡にフラッシュバックした。
あり得ないわ!あの男が光の血族で、第一世代とコンタクトした過去がない限り。
でも、もしもそうだったら・・・まさかッ!?
金属が軋む耳障りな音に、アロンダが助手席に目をやると、貴美は先ほどまでぼんやりと右手で触れていたシートベルトのバックルを、アルミ箔でも丸めるように握り潰していた。
「カミ、あなたッ!」
貴美のパワーが一段と増している!
ぎょっとしたアロンダが声をかけたが、驚天動地の仮説に思い至った貴美には、その言葉も耳に入らなかった。
あの男がサウロンの生まれ変わりで、そのサウロンが光の血族だったとしたら?
村娘を拉致したのは、心の闇が原因ではなかったのでは!?・・・(*)
「わたしは不浄の子じゃない!」
「父親が、村娘に暴行して殺したりするはずがない!」
「母親がわたしを手放したのには、きっと深い訳があるに決まっている!」
現実の「否認」とも受け取れるほど、マヤの深層意識はひたむきにそう信じ切っていた。当時の自分を想うとたまらないほどやるせなく切ない・・・もし、マヤが一途に信じていた事が事実だったら?
無意識に握り潰したバックルにも気づかず、貴美は再びズルズルとマヤの意識に引き摺りこまれてゆく。
虚脱した貴美に声をかけるにかけられず、アロンダは落ち着かない目でエア・カーを操縦していた。
この時の貴美は、カウンセラーとしての知識と経験に照らして、自らの過去生のトラウマを癒したい一心で、マヤの出生と異能力の謎、第一世代の起源、そしてプライムの正体に自分が迫っているとは、露ほども気づいていなかった。
* 「青い月の王宮」第47話「王家の狩猟小屋」




