天才ハッカー Fatman
北米連邦宇宙軍の司令部は、電磁パルス攻撃にも耐え得るよう、厚い鋼板とコンクリートに覆われた地下に埋設されている。
この日、司令部の衛星制御室は騒然とした空気に包まれていた。
合衆国政府がNSAと宇宙軍作戦本部OCSOの高官、さらに対サイバー攻撃専門家を派遣して原因究明に乗り出したのである。制御室にはひっきりなしに人が出入りして、室内では時おり怒号が飛び交って、混沌とした空気に包まれている。
ハッキングされた攻撃衛星が、アメリカ宇宙軍の偵察衛星を誤爆するという大失態に、制御室のスタッフは顔色を失い小さくなりながらも、失点を挽回すべくAIのデータを徹底的に調査、徹夜で作業に当たっていた。
「日本の人工知能プライムが関わっているらしい」とのまことしやかな噂は、すでにここフロリダ州の北米連邦宇宙軍にも伝わっていた。
二週間ほど前、アジトを破壊された中国の虎部隊が、報復に燃焼爆弾でCIAを攻撃したという情報も含め、偵察衛星が日本上空で破壊されただけに、その噂には信憑性がありそうだ、とスタッフの誰もが感じていた。
しかし、AIをフル活用しつつ、外部の専門家と制御室のスタッフが総力を挙げて調査しても、判明したのは不可解な事実だけだった。
主任分析官は、NSAとOCSOのメンバーと制御室の捜索指揮を執るクリスファー・シェパード大佐を前に、暫定報告書を読み上げてこう締めくくった。
「・・・従いまして、プライムと考えられる人工知能が、北米連邦宇宙軍の衛星制御室にアクセスしたと確認できました。ですが手口が巧妙で、プライムとは断定できません。しかも当の人工知能は、十二時間かけて制御室の電子時計を六分遅らせただけで、HRM113-πが乗っ取られた直後に接続を解除しています。一方で、衛星のハッキングは、シティのIPアドレスから複数のサーバーを経由して行われていました。こうも簡単に発信元が辿れるのは、おかしいと言わざるを得ません。何者かがプライムに成りすましたとも考えられます」
「なるほど。だが、我々がそう考えるとプライムなら予測できるのではないのか?」
懇切丁寧な説明だったが、シェパード大佐はにべもなかった。
「はい。プライムであれば予測できると思います。ですが、他に犯人がいる可能性は残ります」
客観的に見て蓋然性はある、と考えた分析官は食い下がった。
「しかし、北米連邦軍のセキュリティを突破できるほどの人工知能やハッカーは、他に存在するのか?おまけに、プライムは自治政府の運営を人工知能に委ねる世界初の試みだ。自治体の長に準ずる執行権限を委ねられている。そこが、他の人工知能と決定的に違うのではないか?」
シェパード大佐が尋ねると、主任分析官は不承不承うなずいた。
「おっしゃる通り、プライムであればおそらくハッキングは可能ですし、自己判断で行った可能性も否定できません」
決定的な証拠がなく納得できないが、プライムが犯人となれば責任逃れに都合が良い・・・大佐はそう計算しているのかも知れない。と、なると、最終報告書には迂闊なことは書けそうにないぞ。
大佐の誘導尋問めいた受け答えに、主任分析官は無言の圧力をひしひしと感じていた。
己の利害が絡んだ途端、上層部は科学的思考も倫理観もうっちゃって、政治的思惑だけで動く・・・
NSAとOCSOの高官と専門家が立ち去るやいなや、シェパード大佐は口実をもうけて外出した。
宇宙軍司令部のビルを出て、足早に近くの公園に向かう。亜熱帯気候のフロリダでも、全天候対応のサービスカーキを着用していれば、汗ひとつかかずにすむ。
真っ青な芝生が生え揃い、熱帯の観葉植物が自生する公園に入ると、丸いクリプトフォンを取り出した。
「緊急連絡だ。計画は順調だが気がかりな事実が判明したんでな。プライムがこちらのハッキング前に制御システムに入りこんでいたのだ」
「何だって!?」
さすがのダレスも驚くだろうと予想した通り、動揺を隠せない様子に、いい気味だ、と大佐はニンマリした。
年長者に対する言葉遣いからして、ダレスは無礼極まりない。いくら同志でも、あの若造の敬意を欠いた態度には、常日頃から我慢がならないとムカついていたのである。
ここぞとばかりに、得意げに言い放った。
「ハッキングして何をやったと思うかね?なんとAIの電子時計を一時間に三十秒ずつ遅らせていた。偵察衛星を攻撃する前の十二時間、それ以外何ひとつ手をつけていない。訳がわからんよ!」
「そうか・・・大佐、今後の計画については、上層部から追って指示がある。繰り返すが、機動歩兵派遣は機密作戦だ。関係者に厳重に口止めしてくれ。今は非常事態だろう?怪しまれる前に仕事に戻ってくれ。フェノストル」
「フェノストル」
と、大佐が返した時、ダレスはすでに電話を切っていた。
な、なんと言う無礼なヤツだッ!
シェパード大佐はむかっ腹を立てて、思わずクリプトフォンを握り潰しかけ慌てて手を開いた。
だが、これで計画はむしろ順調に進みそうだと気を取り直す。
プライムが実際にハッキングしていたのには驚かされたが、渡りに船とはまさにこの事だ!
一方、通話を切ったダレスは、執務室の隣にあるこじんまりした応接室に入った。落ち着かない様子でソファに腰かけている肥満体の若者に話しかけた。
「実に見事だ、ジェイク。不器用で居眠りばかりしている君が、あのハッカー集団の頭脳だったとは意外だったよ。さぞ、退屈だっただろう?プライドの高い仲間に天才っぷりを見せつけたら、たちまち妬まれて居場所を失う。そこで、君は適当にヒントを与えて、仲間に花を持たせた。主犯でなく共犯で済んで罪も軽くなったわけだ」 (*)
「ええ、まあそうですが・・・」
ジェイク・ハワード通称「ファットマン」は、相変わらず大人しく茫洋とした表情だったが、小さな目で鋭い視線をダレスに送っていた。
あのプロファイラーの報告書を読んだに違いない、とピンと来ていた。
マーカスメトカーフだ!
FBIにさんざん取り調べを受けて、専門家連中に脳心理鑑定や嘘発見器も使われたが、誰一人として気づかなかった事実を一度の面談で見抜いた。
しかも、例の試験基地の臨時副司令官と同一人物ときていたから、なるほど、巧妙に僕たちを扇動してSSR1を撃墜できたわけだ、と感銘を受けたぐらいだ。
「そうだ、メトカーフ大佐の報告書を読んで、異例だが君の保釈を要請した。だが、ここまでの天才とは、正直、期待していなかったよ」
見透かしたようにダレスが言った。
このタイプの囚人は刑務所では徹底的にいびられるから、保釈を餌に政府に協力するよう手なずけるのは簡単だった。
「北米連邦のみならず、合衆国宇宙軍のサイバーセキュリティの重大な脆弱性が、これで解消されるわけだ。ジェイク、君は囚人で正式採用は無理だが、今後の協力次第では刑期短縮もあり得る」
ダレスの言葉に、ファットマンはうなずいた。
政府の犬になるのは嫌だが、刑務所に戻るのだけはご免だ・・・地獄だ。
「ところで、君が鮮やかにハッキングした衛星制御システムに、プライムが実際にハッキングしていたと知っていたか?」
ダレスが尋ねると、ファットマンは「えッ!?」と驚いて声を上げた。
「あれはプライムだったのか・・・」
うっかり口を滑らせた。
しまったと焦って蒼ざめたファットマンに、ダレスが畳みかける。
天才ハッカーもこと心理戦となれば、この狡猾な戦略家にとってまな板の上の鯉も同然だった。
「君の所在をプライムに探知されたと気づかなかったのか?」
プライムがファットマンのハッキングを察知したかどうか、実はまったく分かっていない。だが、ファットマンがハッキングの天才なら、ダレスは平然と嘘をついて人心を掌握する天才である。
政府との裏取引とは言っても、懲役刑が確定した身で、自国の衛星を破壊、さらにプライムにも正体を悟られたとなれば、この若者は間違っても今回のハッキングの件を漏らす心配はない。
今後もこちらの思うがままに動かせると読んでいた。
しかし、ダレスの心は一向に晴れなかった。汚染地帯を撤収して帰路についた機動歩兵の装備管理担当者ロペス軍曹から、ミッションは失敗したと信じ難い一報を受けていた。まさに寝耳に水のどんでん返しを食らったのである。
シェパード大佐からの連絡を受けたダレスは怒り心頭に発した。
計画通り偵察衛星を破壊したものの、その後の出来事をプライムにまんまと隠蔽され、その間に確保したはずの新人類の検体をまたしても取り逃がしたのである。しかも、電撃を受けた機動スーツは、事の顛末を録画できていない。
わずか六分だが、偵察衛星の攻撃は早過ぎたのだ・・・プライムに罪を着せる計画は進展したが、まさか当のプライムにハッキングされていたとは!新人類の能力を映像に捉える絶好の機会も不意にした・・・してやられた!
無線電波を遮断しているGIG司令室から、攻撃衛星をハッキングしたファットマンに攻撃指示を送る術はない。そのため、ダレスはあらかじめ攻撃のタイミングを、日本時間午後二時四十五分と決めていたのである。
衛星を乗っ取ったファットマンは、当然ながら制御室の時計に従う・・・プライムにまんまと裏をかかれた!われわれの名誉と繁栄のためにも、断じてこのままではすまされないッ!
イラついて無意識に握りしめた両手の間で、ピシッと乾いた音が鈍く響いて、ソファの両側にある木製ひじ掛けにほぼ同時に横に亀裂が走った。
こ、この補佐官は・・・「異種」だッ!
ファットマンは、限られたハッカーのみが知る裏ネット「ダークサイト」の常連である。各国諜報機関さえ容易には知り得ない情報の数々にアクセスしてきた。
あの噂は本当だったんだのか!?トランスジェニックの虎部隊とは似て非なるミュータントだ!紀元前15世紀から連綿と続く秘密結社の血統だ・・・
ファットマンは恐怖におののいた。「ひッ!」と悲鳴を上げて、目を飛び出さんばかりに見開いてのけぞった。
けれども、使い捨ての雑魚の存在など、もはやダレスの眼中にはなかった。ペンタゴンへ連れてきたのは通信衛星爆破計画を実行させるためだが、用意周到なダレスはすでに次の計画を用意していた。
このハッカーは使える。こうなったら直接攻撃をかけるまでだ!
* 「デザート・イーグル ~砂漠の鷲~」




