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マヤ Maya

 貴美は目まぐるしく動きながら、激しくパンチを繰り出した。この離れは物置を改造したジムで、姉弟は「アネックス」と呼んでいる。

 黒いスポーツ・レギンスに包まれた長い脚が、素早くステップを踏む度に、後ろで束ねた黒髪が肩の上で踊った。同じく黒のフィットネス・タンクトップは汗に濡れ、ヘッドギアの下でホログラスに覆われた青い目が鋭く動いて相手の動きを追う。

 歴代の世界チャンピオンの中でも、とりわけスピードとパワーのバランスが取れた中量級のボクサーを相手に一歩も引けを取らない。

 と、言っても、相手はヴァーチャル・リアリティ・ホログラムである。


 貴美が汗を流しているのは、様々な格闘技の技を網羅した体感型エクササイズマシンだが、ダイエット用ではない。CIAやFBIが研修や訓練に使う実用品だ。匠にはダイエットのためと偽って持ちこんだのである。

 ヘッドギアは防御用ではなく、触覚に特化したVRヘッドセットで、身体の動きやパンチの体感をシュミレートして脳に送る仕組みになっている。


 もう三十分以上、対戦相手のスタミナもダメージも設定をオフにしたまま、ラウンドを切り替えずにスパーリングを続けていた。

 VRグラブは外寸こそ正規のグラブと同じだが、重量では上回る。初心者は三分間腕を上げて構えているだけで疲労困憊してしまう。

 けれども、貴美の身のこなしはまったく衰えていなかった。息も上がっていない。

 何かを振り払うかのように、ひたむきに戦い続ける。新人類特有の敏捷な動きと諜報員の戦闘訓練のおかげで、ほとんどダメージは受けていない。

 だが、自動学習機能を備えた相手は、時間が経つにつれ貴美の動きを先読みする能力が上がる。

 三十分も休みなく戦うと、さすがにすべてのパンチを避けるのは難しい。


 左ジャブを相手の顔面に連発、右ストレートを叩きこむ。

 と、動きを読んで鋭く右足を踏みこんだ相手は、貴美の右にわずかに先んじて、強烈な左フックをカウンターで放った。

 仮想空間での戦いでは身体組織へのダメージはないが、ヘッドセットが発した電子信号が神経を刺激した。

 顎を捉えたクロスカウンターの衝撃を疑似体感した貴美は、「うッ!」と低く呻いた。


 脳や身体に物理的なダメージこそないものの、相手のパンチがヒットすると仮想スタミナの数値が下がる。

 休憩を取っていないためすでに35まで落ちて、攻撃力も65まで下がっていた。相手はダメージゼロ設定のため、このままではTKO負けに追いこまれる。


 一発KOしかないわ!

 「頃合いよ!」

 と、つぶやくと貴美は一気に攻勢に出た。

 左右に細かくウィーブしながら距離を詰め、インファイトに持ちこんだ。ダッキングで右ショートフックをかわすと同時に、クルっと右へ一回転した貴美は、魔法のように相手の背後に回っていた。

 異常な神経伝達速度を察知したヘッドセットが安全装置を起動するより早く、相手が振り向いたところへ、渾身の力を籠めて右ストレートを顔面に撃ちこんだ。

 ホログラスの映像が千々に乱れて、対戦相手のイメージが消え失せた瞬間、貴美は「ああーッ!」と甲高い悲鳴を上げた。

 不気味な衝撃が全身に走ったのである。


 感電だわッ!

 あわててヘッドセットをむしり取って投げ捨てる。ウェアの上から手で探って、全身に取り付けた神経感知ラベルも次々に引き剝がしたが、ピリピリと痺れに身体を震わせた貴美は、「うーッ」と顔をしかめてマットの上に座りこんでしまった。


「やり過ぎよ、カミ!」

 振り向くと、コンバットスーツ姿のアロンダが立っていた。

「過負荷がかかってヘッドセットがショートしたんだわ!」

 貴美はうなずいた。抑えきれないほどのエネルギーを持て余して、ついのめりこんでしまった、とちょっぴり後悔した。

 あのヘッドセット、結構高かったのに・・・


 アロンダが差しのべた手を取って立ち上がり、「ありがとう」と声を掛けたが、アロンダと初めて出会ったのはつい先日だ。まだぎこちなさが抜けない。

 もちろん、初めて出会ったと言っても「現生で」という意味だけど・・・


 対峙した貴美は、アロンダよりやや背が高くひと回り体格が良い。オパルの戦士で海軍トップガンのアロンダにも遜色のない、異能ウォリアー特有のオーラを放っていた。

 弟の匠が姉が一番変わったと感じるのが、この好戦的なオーラで、以前の貴美にはなかった野生的で荒々しい雰囲気に戸惑ってしまうほどだ。

 

 貴美はホログラスを収納すると、タオルで汗を拭きとってアイソトニック飲料の入ったストローボトルを手に取った。

「タクは一緒じゃないの?」

 水分を補給して一息ついた貴美が尋ねた。


 アロンダは躊躇(ためら)った。

 伽耶が匠は襲撃されると予想して、アロンダが救援に向かったのだが、貴美に事の次第をどうやって伝えたらよいか迷う。

 第三世代への変異が貴美にどのような影響を及ぼすか、封印を解いた伽耶でさえ予想がつかないのだ。弟の身の安全が脅かされたと知れば、貴美は暴走しかねない、とアロンダは警戒していたのである。


 でも、不運な偶然で敵に匠の正体がバレた。彼を守るには貴美の助けが必要になるだろう。伽耶が戻るまでわたしが判断するしかない・・・

 そこで、心を決めて口を開いた。

「カミ、落ち着いて聞いてちょうだい。タクがネイビーシールズに襲われたの。でも、無事よ!」

「えッ、タクが!?フィールドトリップで襲われたって言うの?」

 果たして貴美は血相を変えた。

 青い目は爛々と輝きを増して凄みがあった。滅多な事では物怖じしないアロンダでさえ、背筋に寒いものを感じたほどだ。


 この子、変わっていないわ!・・・初対面の挨拶で抱き合った瞬間、わたしたちは互いの正体を悟った。ニムエとマヤは、千年前の中世イタリアのオパル王朝で女王とその養女だった。そして、二人は・・・わたしたちはうまく行っていなかった。わたしのせいで・・・


「知ってたんでしょう!?わたしに黙ってタクを行かせたのね!?ひどいじゃない。いくらあなたでも許せない!」

 貴美はアロンダににじり寄った。

 アロンダは気圧されて後ずさった。過去生のマヤの戦闘能力は誰よりもよく知っている。第三世代に変異すると何が起こるかも身をもって体験していた。


 好戦的な第三世代の人格が、第二世代の温和な気質を圧倒する・・・


 アロンダが恐れおののくのも無理はなかった。

 VRヘッドセットをショートさせるなんて・・・変異はまだ始まったばかりなのに、マヤの人格に次第に支配されるにつれて、貴美のスピードとパワーは恐ろしいほど上がっているわ!

 動揺を押し隠してアロンダは叫んだ。

「落ち着いてッ!今のあなたは逆上して特殊部隊を殺しかねない。敵に能力を悟られるだけじゃすまないのよ。テロリストと認定されて報復されるわ!タクまで殺されるかも知れない!」

「だからって、黙っていた言い訳になると思う?弟なのよッ!」

 貴美は目を爛々と光らせてさらに一歩、アロンダに詰め寄った。

 と、背後から声が響いた。


「カミ、よせッ!」

 アネックスに入って来たのは匠だった。貴美は振り向いて弟の姿を認めると、駆け寄って弟を抱きしめた。

「怪我はない?大丈夫なのね!」

 思わず「父上!」と言いかけた貴美は、慌てて口をつぐんだ。

 先日、アロンダと出会って蘇った過去生は、衝撃の事実を貴美に突きつけたのである。

 当時の実の両親が誰だったのかは、今もってわからない。しかし、養父のアトレイア公爵は、実子アルビオラと分け隔てすることなく、養女マヤを慈しみ心の傷を癒してくれた。その温かい思い出もまた貴美の胸に蘇っていたのである。

 最愛の弟にして父親。彼の傍に居るといつだって気持ちが安らぐ・・・匠はまだ私の過去生を知らないもの。マヤの人格をコントロールするまでは言い辛い。

 そう、私はマヤじゃない、貴美なんだ、と思い出して、ふと自分を取り戻していた。


「大丈夫だよ、カミ。でも、危険な相手に目をつけられたらしいや」

 匠がケロッとしているので、特殊部隊に狙われた事の重大さに気づいているのかしら?と貴美は(いぶか)んだが、弟を守る決意はさらに強まった。

「大丈夫よ、タク。私たちが守るから!」


 「私たち」と貴美の口を突いて出た言葉に、アロンダもほっとして言った。

「そうよ。カミと私がついてるわ!」

 けれども、アロンダはひそかに恐れていた。

 貴美は伽耶の手にも負えない潜在能力を秘めている。暴走したら誰にも止められない・・・


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