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嵐の前触れ Things Get Tense

 メトカーフの読み通り、CIAのバンはUターンをかけ、数十メートル手前の道路脇に停車した。車内には電子機器が所狭しと並んでいる。晴天に恵まれ、衛星画像は大佐の姿を明瞭に捉えていた。手に触れんばかりの距離まで拡大しても、解像度は落ちない。大佐が二階建ての離れに入ると、赤外線捜索をかけてジム内の人の動きを追い始めたオフィサーが舌打ちした。


「ダメだ、あの建物だけ赤外線シールドがかかっている!」

「ああ、そこなら知っている。何でも『気』を乱さないために、電波も電磁波も遮蔽しているそうだ。おおかた赤外線もブロックするシールドだろう」

 三人組の一人が答えた。地元出身だけあって、現場の情報に精通している。

「オリエンタル指向か?有能で人望もあるが変わり者らしいな、メトカーフは。自然愛好家で東洋医学も専攻している・・・五か国語を習得。ラテン語もか?こりゃ、すごい!」

 暇つぶしに、分析官からの情報を再チェックしていたオフィサーは感心しつつも、休日出勤には不平たらたらだった。

「しかし、なぜCIAが呼ばれた?自国民のそれも軍の情報参謀を国内で監視するなんて、管轄外もいいとこだ」

 実のところ、アメリカ国内の諜報活動は管轄外どころか違法なのだが、これまでにも国内要人の監視は度々行われている。2005年に国内諜報活動を担当するFBI国家保安部が創設された後も、主にスパイによる諜報活動を行う国家機関のCIAのみならず、電子機器による諜報活動を担当する国防総省配下の国家安全保障局(NSA)は、秘密裏に国内で活動を続けて来た。

 国内法に縛られない諜報活動は、大統領さえ関知し得ない闇の領域なのである。(*)


「長官直々のお達しらしい。メトカーフは、五年ほど前、在日米軍基地を転々としていた。日本と言えば、ロケット砲でCIAの要員が狙われたばかりだ。どうもきな臭い」

 嫌な予感がする、とチームリーダーを務めるケース・オフィサーがほのめかすと、二人の同僚はなるほどとうなずいた。

 どの分野にも現場関係者しか知らない事実が山ほどある。その多くはネットにさえまず出てこない。生半可なジャーナリストでは取材さえできない。よそ者には話さない。現場とはそういうものだ。

 不可解なロケット砲事件も、日本政府は裏組織の抗争と発表した。世論扇動は我われCIAのお家芸だが、担当外の事件の裏舞台を探ると、とんでもないまやかしが世間に流されていると気づく。どうやら、今回も例外ではないらしい・・・

 管轄外の監視任務には何か重大な裏事情があるに違いなかった。休日出勤もやむなしか、と三人は肩をすくめた。



 マーカス・メトカーフは伝統的なハタ・ヨーガの愛好者である。長年の実践の甲斐あって、がっちりした体型の割には身体が柔軟で、健康状態も申し分ない。

 木の香りが芳しいの板張りの部屋で、受講生たちはマットの上でうつ伏せになり呼吸を整えて、次のポーズに備えていた。

 その時だった。突然、何者かの声が右耳に響いた。

「大佐、声を出さないで。そのままポーズを続けてください」


 イヤーモジュールはプラクティスの前に外している。デジタル機器は室内に持ちこまない決まりで、メトカーフは丸めて背負っていたヨガマットを残して、軍用IDも含めて持ち物はすべてロッカーに入れた。

 ラベル型送受信器を耳の後ろに貼られたらしい、と大佐は気づいた。触覚信号を遮断するシールで加工して、こっそり貼ればわからない。むろん、泡を食って盗聴用ラベルを探り当てて、引き剝がしたりなどしない。こういう時に、素人とプロの違いが如実に表れる。状況から咄嗟に物理的な脅威がないと判断して、相手の出方を見た。

 しかし、誰がどうやって・・・


「お久しぶりです、大佐」

と、声が言った。

 いや、何者かではない!東部訛りの英語にも聞き覚えがある。声の主は「メッセンジャー」だ!

 メトカーフの顔にかすかに笑みが浮かんだ。

 もう五年になるか?

 降って湧いたような再会劇にもさして驚きはなかった。あの娘とはいずれ再会する日が来るだろう、と予感していたからである。

 

 この建物は電磁波や電波を遮断しているため、外部から無線送信はできない。ブジャンガ・アーサナを続けながら辺りを見回したが、部屋に居るのは、全員が顔見知りばかりだった。

「はい、息を吸いながら背中を伸ばして~」

 インストラクターの指示に従って、両手を突っ張り背中から首までゆっくり伸ばして反り返った時、天井の真新しい自然光ライトが目に留まった。前回のクラスの時とは違うライトに替わっているのに気づいた。プロファイラーのメトカーフには、人の表情や動作ばかりでなく、周囲の状況をも観察する習慣が身についていた。

 あれを使っているのか?電力線に無線ルーターを接続したか。随分と古めかしいテクだが上手い方法だ。


 そこで、思い出した。

 入口ですれ違ったあの小柄な作業員だ!ヘルメットを目深に被り、折りたたんだ脚立を頭の上に掲げ持っていた。屈んで脚立を避けた隙に、右耳の下に受信機を貼り付けたに違いない。

 いやはや、まったくもって鮮やかな早業だ!

 五年前のあの日、プロファイラーの習い性で、ありふれた配達員ではないと感じたが、こんな芸当ができるとは思わなかった。CIAの尾行にも当然気づいているだろう。()に遺賢在りか?

 メトカーフは苦笑とも感嘆ともつかない笑みを浮かべた。


「右耳の後ろを叩いて、ロッカーの暗証番号を教えてください。ゼロは指で二度(こす)ってください」

 声が続けた。

「ハイッ、楽にして、呼吸を整えましょう・・・コブラのポーズの次は、アルダ・ピンチャ・マユラー・アーサナ。イルカのポーズです。ゆっくり息を吸って・・・」

 インストラクターの指示に従って次のポーズに移る前に、メトカーフは耳を搔く仕草でさり気なく指で五つの数字を送った。

「3、0、2、5、1ですね?正しければ一度、間違っていたら二度叩いてください」

 耳の後ろを一度叩くと、声が続けた。

「書類はマットにくるんで持ち帰って、読み終わったらシュレダーで処分をお願いします。では、ヨガを楽しんでください」

 そこで音声はぷっつり途切れた。しばらくして、タイヤ式の作業用車両が敷地を出て行くのが窓越しに見えた。

 なるほど、あれならCIAも見過ごすだろう。実に用意周到だ!

 メトカーフは目を細めて見送った。


 一時間後、ヨガ教室を終え、顔見知りの受講生たちと立ち話を交わしながら、特異な反応がないか表情や仕草をそれとなく観察した。この中に、あの作業員を手引きした者がいても不思議はない。

 そこへ、インストラクターが目を輝かせて声を掛けた。

「マーカス、私たち、これから新しく出来たハーブのお店に行くの。一緒に行かない?」

 二、三回りも年下の女性たちから誘われるのは珍しいことではない。彼女たちはメトカーフが軍人と知っている。しかし、諜報参謀でしかもプロファイラーと言えば、間違いなく敬遠されるから詳しくは明かしていない。

 もっとも、あれこれ詮索する者もいなかった。プライベートの空間では、退屈な仕事の話などしないのが、横のつながりを広げる秘訣である。この国には、元もと公私を分けてQOLを大切にする風潮が根づいている。


「ナンシー、今日はムリなんだ。カモミールで一服したいんだが、野暮用でね」

 メトカーフがやんわり断ると、インストラクターは言った。

「あらっ、残念ね~。じゃあ来週にでも行きましょ!」

「ああ、そうしよう。それじゃ、みんな、また来週!」

 ヨガ教室の女性たちは、チラチラ視線を送ったり笑顔でうなずいたりしながら、憧れを籠めて立ち去るメトカーフを見送った。円熟した男の魅力を漂わせているが、当の本人は自己顕示にはまるで関心がない。そこがまた大人の女の目に、メロウに魅惑的に映るのだった。


 受講生の中に、共犯と思しき反応を示した者は見当たらなかった。ひと安心した大佐はロッカーを開け、厚さ一センチほどの書類を取り出し、ヨガマットに丁寧にくるんで背中に背負った。

 耳の後ろに貼られたラベル型送受信器も剥がして分析のため持ち帰る。バッテリーの寿命は最大一時間で、電波はすでに途絶えていた。

 これならCIAに悟られる恐れもない。だが、「メッセンジャー」との突然の再会劇は、事態が急展開する前触れに違いない・・・

 メトカーフの灰色の瞳には、深い憂いの色が漂っていた。


 この日、諜報のプロフェッショナル、CIAチームとメトカーフが期せずして同時に感じ取った嵐の前兆。

 その嵐は不気味に渦を巻きながら勢力を強め、刻一刻近づいていたのである。



 * CIA、NSAその他十二機関から成る「インテリジェンス・コミュニティ」は、二十一世紀当初の段階で、すでに日本円で約十兆円相当の開示義務のない闇予算を与えられ、世界の紛争や戦争やクーデターに深く関わっている。


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