Act.9-519 ペドレリーア大陸・ラスパーツィ大陸臨時班派遣再始動〜邪教徒の神殿と忘れ去られし怨念〜 scene.3
<三人称全知視点>
――ああ、いつも、この方はこうですわ……。
「こんなの気にする必要はありませんわ。大丈夫……」
目の前で困ったような笑みを浮かべるミレーユを見ながら、エメラルダは思い出していた。
それは今から五年前、グリーンダイアモンドお茶会でのこと。
その日、エメラルダは少しだけ緊張していた。
何故ならば、その日のお茶会には皇女ミレーユ・ブラン・ダイアモンドが来る予定になっていたからだ。
皇女殿下のお茶会デビューを自身の屋敷でする――それが決まって以来、エメラルダは父の元でしっかりと準備をしていた。
その甲斐あってか、お茶会は恙無く進んだ。
美味しいケーキにご満悦な様子のミレーユは、お代わりを持ってきたメイドにニコニコ上機嫌に笑いかける。
「あら、ありがとう。えーっと、フィレンさん。また、食べ終わったらお代わりお願いね」
得意げにその名前を口にするミレーユ。
どうやら、メイドたちのやり取りを聞いて名前を覚えていたらしい。
そのことを誇るかのようなその態度にエメラルダは思わず苦笑する。
きっと、その無作法を幼き姫殿下は知らないのだと――そう思ったから……。
年上のお姉さんとして教えてあげなければならないと思ったのだ。
「ミレーユ様、高貴なる身分の方は平民の名前など一々覚えないものですわ。だから、メイドの名前なんか呼んではいけませんわ」
「あら? 何故ですの?」
きょとん、と首を傾げてミレーユは言った。
「何故、名前を呼んではいけませんの?」
「それは……」
エメラルダはミレーユの言葉に、しばし黙考する。そして――。
「それは、私やミレーユ様が貴い血筋の者だからです。民の上に立つ者だからです。それが貴族というものの伝統であって……」
――それは、エメラルダが立つ土台。謂わば彼女の常識だ。
しかし……。
「そんなのバカらしいですわ」
幼き姫殿下は、たった一言でエメラルダの言葉を一蹴した。
「名前を覚える方が楽ですのに、どうして、そんなことをしなければならないのかしら?」
その言葉は、エメラルダにとって衝撃的だった。衝撃的過ぎた……。
あまりに衝撃的だったために……。
「だって、あの方、わたくし達とあまり年齢も代わりませんでしょう。どれだけケーキのお代わりをお願いしても断らなさそうですわ。お願いする時に名前を呼べた方が楽――」
という、ミレーユらしい自分ファーストに塗り固められた、「それ? どうなの?」と言いたくなるような言葉を聞き逃してしまったほどだ。
昔から、ちゃっかり者のミレーユである。
齢八つにしてこの打算……後の帝国の叡智の片鱗が見られるエピソードのような……そうでもないか?
それはともかく、エメラルダはミレーユの一言に不覚にも感動してしまったのだ。
その言葉は、表面だけ見ればまさにエメラルダの胸中と合致したものだったからだ。
メイドの名前を覚えておいて、慣れ親しんだメイドを指名して世話をしてもらう。
遊び相手や話し相手になってもらう。
何かをしてもらったらお礼をして、悪いことをしたら謝る。
その方が余程楽で気持ちいいのに、どうしてしてはいけないんだろう?
それをしてはいけない理由って、なんだろう?
生まれた疑問を、エメラルダは父に尋ねた。
けれど、返ってきたのは困ったような笑顔だ。
「それが貴族というものだよ、エメラルダ」
その答えは到底納得のいくものではなくって……。しかし、そういうものかと幼い日のエメラルダは理解した。
納得する必要などない。そうなっているから、そうなのだ、と。
その思考停止にも等しい考えは、いつしかエメラルダを縛る鎖となった。
貴族のしきたりはエメラルダを形作ると同時に、彼女を縛る頑丈な鎖なのだ。
――そして、だからこそ憧れたのだ。
その鎖に縛られない幼き姫殿下、ミレーユ・ブラン・ダイアモンドに。
「ねぇ、エメラルダさん……」
初代皇帝の――尊重すべきダイアモンド帝国の開祖の、縛られるべき貴い言葉を前にしてもミレーユの態度は変わらない。
――気にする必要はないと言う。
エメラルダが抵抗すら諦めてしまうような強大な権威を前にしても、ミレーユは揺らぐことはない。
――いつだって、変わることがないのだ。
貴族の常識という鎖に縛られない自由な翼を持った人。
エメラルダはそれを常識外れと思う。
皇女らしくない、帝室の権威と伝統を踏みにじる行為だと批難してきた。
だけど、本当はずっと……ずっと。
――ああ、そう。そうでしたわ……。私は、ミレーユ様に憧れていたのですわ……。
エメラルダはその時、思い出した。ミレーユに憧れて、だからずっとミレーユの隣に立つ親友になりたいと思っていたのだ。
エメラルダは知っている。自分は本当は、ミレーユの親友などではない。
親友になりたいとずっと願っていたけれど……そうはなれなかった。
ミレーユのように、自由ではいられないから。
エメラルダを縛る鎖は予想より遥かに太くて頑丈だったのだ。
それを断ち切る勇気が自分にはないことを、彼女は痛いほどによく分かっていた。
自分はきっと、ミレーユの友となるには相応しくない。
そんな諦めが、いつだってエメラルダの胸にはあった。……だというのに。
「過去の盟約に縛られて初代皇帝に忠義を尽くすのではなく、親友であるわたくしとの友誼を選んで頂けないかしら?」
ミレーユは軽々と踏み込んでくる。簡単に、エメラルダの常識を裏切ってしまう。
こんなにもあっさりと親友であると……初代皇帝への忠義ではなく、自身との友誼を選べと。
それが、エメラルダにもできるのだと呼びかける。
どうということもないことだと、悪戯っぽい笑みさえ浮かべながら。
だけど……。
「そんなの……無理ですわ」
口から零れ落ちたのは、否定の言葉だった。
その言葉は、彼女を縛る貴族のしきたりでも、初代皇帝の権威でもない、もっと別のものからくる言葉だった。
エメラルダを縛り付ける鎖は全てミレーユの言葉によって溶かされた。しかし、最後の最後に、残るものがあった。
ミレーユの手を取るのをエメラルダに躊躇わせたもの、それは彼女の胸に突き刺さった小さな棘だった。
取るに足りない夢の出来事――あの日、打ちひしがれたミレーユをお茶会に誘いながら、その約束を果たせなかったという悔い。
いつ、どこで、どんな風にかは分からないが、ミレーユを裏切ってしまったという気持ち。
本当にあったこととは思えない。しかし、それでも、胸に残る痛みは夢とは切り捨てられない本物で。
それが、エメラルダにミレーユの友と名乗らせることを許さない。
「私は、ミレーユ様。あなたを裏切りましたわ」
零れ落ちるは告解の言葉。
「はて? そんなこと、ございましたかしら?」
前の時間軸のことを覚えている、エメラルダが夢だと思うものを唯一真実だと知っている立場ながら全く気づいていないのか、きょとんと小さく首を傾げるミレーユに、エメラルダは続ける。
「ミレーユ様を、お茶会にお誘いしてその約束を守ることができませんでしたわ」
自分は一体何を言っているんだろう……エメラルダは思わず呆れてしまう。
夢の話をされたって、ミレーユも困るだけだろうと思って――。
でも、だけど……。
「そう、ですわね……。でしたら……」
ミレーユは笑わなかった。それどころかものすごく真面目な顔をして……何事か考えこんでから。
「わたくし、甘いケーキを所望致しますわ」
口から出たのは意外な言葉。
「……え?」
思わず、瞳を瞬かせたエメラルダだったが、直後に続いた言葉に息を呑んだ。
「うん、ケーキ。とっても美味しいケーキが食べたいですわ。だから……この島から出たら、わたくしをお茶会に誘ってくださらない?」
ミレーユは言ったのだ。
「そこで帝国への忠誠を誓い合うんですの。大陸を滅ぼすための古い帝国にではなくって、全ての臣民の安寧を願い、そのために力を尽くす、そのような新しい帝国への忠誠を」
その時、ふいにエメラルダは気づいた。
自らの頬に、熱い雫が流れ落ちたことを。
――泣いてる? 私、どうして? 泣くような理由なんか、どこにもございませんのに……。
エメラルダは知らない。それは、遠き日の、あるいはもう一つの可能性の未来と呼ぶべき世界での約束。
果たされることなく、夢と消えた悲しい約束。
――あれは、ただの夢ですわ……。ミレーユ様が知っている筈ございませんわ。でも……。
エメラルダはミレーユを見つめた。
その顔に、何故だろう、エメラルダはあの夢の中のミレーユを見た気がした。
ミレーユがあの時の約束を果たす、その機会を与えてくれているように思えて……だから。
「はい……。ミレーユ様、必ずお誘い致しますわ。最高のお菓子職人を招いて、最高のケーキを……用意致しますわ」
エメラルダは差し出された手を取った。――かけがえのない親友の手を。
◆
カランコロンと小さなヒールの音が反響し、邪教徒の神殿に響く。
その素晴らしい場面を決して邪魔しないよう、静かに二つの影がミレーユ達の方へと近づいてきていた。
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