第二十六話 望んでいたはずの瞬間
翌日。私は母に書いた手紙を持って王城へ向かった。昨夜はニグリスとごはんを食べて楽しい時間を過ごした。すべてが順調に進んでいる気がして足取りも軽い。
王城に着いて兵士に「ピュオーラさんに渡したいものがある」と告げると、あの大きな鏡が置いてある部屋に案内された。
「佳菜!いつもいいタイミングで来てくれるわね!」
私が部屋に入るやいなやピュオーラさんが笑顔で近づいてきた。いつもよりテンションが高いように見える。どうしたのだろうか。
「お待たせして申し訳なかったけれど、ようやくあなたを日本に送還できるかもしれないの!」
「え?」
私の背筋にひんやりと冷たいものが流れた。
「まぁとりあえず座って」
私はピュオーラさんに促されるまま椅子に座った。
「異世界送還が難しかった理由は、人間の手には限界があるから。送還する者の手に持つことの出来るサイズじゃないと送れないの」
異世界送還や異世界召喚は能力者が鏡に手を入れて行われる。その者の手に持てない物は出入りできない、ということだろう。
「でもね、今回その問題が解決されたの!それは巨人の手よ!」
「巨人の手?」
「えぇ。精霊召喚で巨人を召喚できる人に頼んで巨大な手を召喚してもらう。そこに私が手を添えて力を注ぎ込む。そのまま巨人の手に送還したいものを持たせて鏡に手を入れる」
ピュオーラさんはいつもよりも早口でまくし立てる。
「その方法で異世界送還が成功したの!今、人間を送っても大丈夫なものか実験を進めているわ。それが大丈夫だと確証が持てればあなたを送ってあげることができる」
「実験は…順調なんですか?」
「えぇ、順調よ。本当なら今すぐにでも送還できるくらい。昨夜の実験で佳菜と同じくらいの大きさの棚を送ることができたのだから」
ピュオーラさんは得意そうに笑顔を浮かべた。
「異世界送還が可能、ということは、人間の異世界召喚も可能になるのですか?」
「それはどうかしら……」
ピュオーラは眉を潜めた。
「こちらから送還する場合は、精霊召喚者が物をこちらで巨人に持たせてから送ることができるけれど、逆の場合は鏡の中で巨人の手を操作する必要がある。力を使うのはとても繊細で難しいことなの。それを異世界で行うとなると余計に。だから、持ってくる物を破壊してしまう可能性もあるし、そこは実現段階になるにはまだ時間がかかりそうね」
「そうですか……」
一方通行、というわけだ。
「でも安心して。送還の場合は持っていた物を手放すだけだからそこまで難しくない。佳菜が握りつぶされてしまうことはないと思うわ」
笑顔で怖いこと言うな、この人。
「実験が進んで確証が得られたらすぐにでも連絡するから」
「はい」
日本に帰れる。いつかその時が来るだろうと思ってはいたが、こんなにすぐに来てしまうなんて。リプロートやナターシャなど学校の人達の顔が浮かぶ。そして、次に両親の寂しそうな姿が浮かぶ。最後にニグリス。このまま気持ちも伝えられないままお別れしちゃうのかな……
「そういえば佳菜は今日、どういった用事でここに?」
「あ、そうでした」
私は鞄から書いてきた手紙を取り出した。それをピュオーラさんに手渡そうとして、考えなおして手を引っ込めた。
「ペンを貸していただけますか?」
「えぇ、いいわよ」
ピュオーラさんの胸ポケットから引きぬかれた少し温かいペンを受け取ると、私は手紙を開いて最後の行に付け加えた。
「日本に帰ることができるかもしれない。そうしたらやっぱりお母さんは嬉しいよね?」
そんなことを聞いてどうするんだ、と思いながらもそう書いてペンを置いた。手紙を元通りたたんで封筒に入れる。
「これを送還していただけますか?」
「わかったわ、あとで送っておくわ」
ピュオーラさんに手紙を託して私は王城を出た。ここに来た当初はここが異世界で日本に帰ることができないと知って絶望した。それなのに帰れるとわかった今はこんなに苦しくなるなんて。
「あれ?」
何かが頬を伝う感触を感じて私は目元を拭った。嫌だな、こんなに涙脆くなっちゃったのかな。
涙を流してしまうほど私は帰りたくないんだ。しかし、私は日本人だ。いるべき場所に戻るべきだろう。それに、戻れるとなればここに留まる理由もない。
みんなに、ニグリスに何て言おう。何て答えてくれるのかな。喜ぶのかな、それとも悲しんでくれるんだろうか。
せっかく築き上げた絆。もう二度と会えなくなるんだよね。こんなに好きになったニグリスとも───
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翌朝。私は日本への帰還についてどう説明したらいいかわからなくてニグリスを避けて学校へ向かった。ニグリスが何か言いたげな顔をしていたが、それに気が付きながらも話しかける隙を与えないように慌ただしく仕事をした。
一時間目。私は保健室に向かった。ドアを開けるとナターシャがいた。リプロートはいない。
「あれ?リプロートは?」
「ふふふ、教室を覗いてみて」
ナターシャにウインクされて私はまさか───と思いながら早足で七年生の教室に向かった。そっと後ろのドアを開けると真剣に授業を聞く生徒達の背中が目に入ってきた。椅子に空きはない。私は見慣れた背中を探した。
───いた。窓側の後ろから二番目の席にリプロートが見えた。課外授業がきっかけになったのだろうか。
しばらく見てからそっとドアを締めた。よかった。これで私がリプロートと関わることもなくなるだろう。心置きなく日本に帰れるっていうものだね。
嬉しいはずなのに上手く笑えない。
私、ここにもっといたいんだ。
自分の気持ちに直面してその場に立ち尽くした。もっと教師がしたい。もっとこの国のことを知りたい。この国の人達と関わりたい。
でも、私には待ってくれている人達がいる。父と母は私が異世界で暮らしたいと言ったらどんなに落胆するだろうか。両親を悲しませることはしたくない。
自分の気持ちに気がつけてもどうしようもない。自分の人生は自分だけのものではないのだから。
私は教員室へトボトボと歩いて戻った。




