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エリアス・ヴァルン  作者: 久遠澪


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第四章 観測再開の兆し




 午前11時のアーコロジーは、異様な静けさをまとっていた。普段なら、研究員たちの会話や端末の連続音が、薄い霧のようにフロアに漂っている。だが今日は、空気の比重が違った。


 エリアスが廊下に足を踏み入れると、白い光がガラス面に跳ね返り、その反射がゆっくりと揺れていた。


 アトラス群の「観測停止令」は、

 世界の空気から色を少し奪った。


 未来を見ないようにするのは簡単だ。

 ただ、望遠鏡の電源を切ればいい。


 けれどーー

 宇宙は人間の都合では止まらない。


 その事実を、ここにいる全員が

 喉の奥で苦く飲み込んでいた。


 エリアスの胸の奥で、

 アビが沈黙のまま揺れていた。


 ……ちかい。


 ようやく、小さな声が落ちる。


 エリアスは歩く速度を少しだけ緩めた。


「何が近い?」


 きこえる。

 すごく……とおい、ざわめき。

 でも、いつもより「かたち」がある。


 形ーー。

 宇宙の雑音は、いつだって無秩序だ。

 形を持つのは、通常ではあり得ない。


「何の方向だ?」


 わからない。

 でも……「きてる」みたい。

 すこしずつ。


 エリアスは眉を寄せた。


 アトラス群か?

 それとも別の重力波か?

 あるいは、ノードが拾った未知の異常か?


 どれにせよ、アビが言う「かたち」は

 単なる観測値の揺れではない。


 「意図」に近いーー

 そんな、得体の知れない予感がした。


 エリアスはノードフロアにつながるセキュリティゲートの前で立ち止まった。


 研究主任のナディア・スオミが端末を抱えたまま、じっと画面を見ている。


「スオミ」


 軽く声をかけると、彼女はわずかに驚いた顔を上げた。


「……エリアス。来ていたのね」


 その声は、いつもより少し乾いていた。


「ノードに異常か?」


 ナディアは周囲を確認してから、小さくうなずく。


「異常と言い切れないのよ。

 でも……これは偶然じゃない」


 端末を差し出される。


 画面には、ごく淡い波形が揺れていた。雑音の中に沈む、一筋の線。その線は、時間経過とともに……


 ーーわずかに太くなっている。


 エリアスは瞬間、息を忘れた。


「……増幅してる。」


「ええ。自然増幅じゃないわ。

 ノードとの干渉状態が強くなってるの」


 ナディアの声には、抑えきれない緊張が混じっていた。


 世界は観測をやめた。だがーー宇宙のほうがこちらを観測してきている。そういう図だった。


 アビが震えるように囁く。


 エリアス……

 これは、「さがしてる」音。


「何を?」


 しらない。

 でも……

 ふれてほしい、みたいな……

 そんな、ひかりのゆれ。


 光の揺れ。

 アビの表現は比喩ではない。


 量子干渉ノードは光子の揺らぎを拾う。

 揺らぎは、意図に近い構造を持つ瞬間がある。

 その頻度は宇宙の膨張と無関係で、

 むしろ観測される側の意識に依存する。


 エリアスは端末を凝視しながら、

 低く息を吐いた。


「観測を止めた日から……

 向こう側は、何かを始めたのかもしれないな」


 ナディアは、深くうなずいた。


「わたしも、そう思った。

 観測停止が……逆効果だったのよ。

 世界が目を閉じたことで、向こうはこっちを探し始めた」


 エリアスは、胸ポケットに触れた。そこに、昨夜と同じーー青の痕跡がある。


 アビが囁く。


 エリアス。

 これ……きみのなかのひかりと

 おなじゆれかた。


 冷たい衝撃が、背中を走った。


 彼の青と、宇宙の揺らぎがーー同期している?


「……まさか、そんなはずはーー」


 否定しようとした瞬間、ノード室の奥で警告灯が淡く点灯した。


 黄色でも赤でもない。

 青い警告。


 ナディアが思わず口を押えた。


「……青で点くの、初めてよ」


 エリアスは、吸い寄せられるように光を見つめた。


 アビの声が震えた。


 エリアス……

「きょう」からはじまる。

 すこしだけ、とおいばしょで。

 でも……

 たしかに、きこえてる。


 胸の奥で、青い点が脈打つ。エリアスは、未来がひっそりと形を変え始める音を聞いた。ノードが発する青の光は、世界のどこにも記録されない。


 しかしーー

 それは確かに「観測の再開」だった。


 人間がではなく、

 宇宙のほうが。



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