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第3話 温かい領地運営

第3話 温かい領地運営


婚約破棄から一か月後。


バルトロメウス伯爵領は、かつてないほど華やかな空気に包まれていた。


領都の中央広場には色鮮やかな旗が掲げられ、楽師たちの奏でる陽気な音楽が朝から夜まで鳴り響いている。


焼きたての肉の香り。


甘い蜂蜜菓子の匂い。


子どもたちの笑い声。


広場を行き交う人々の顔には笑顔があった。


「素晴らしい!」


レナードは満足そうに頷いた。


彼は金糸を織り込んだ深紅の上着を身にまとい、新しく仕立てた黒革の長靴を履いていた。


隣にはミレーヌがいる。


淡い黄色のドレスには無数の真珠が縫い込まれ、陽光を浴びるたびにきらきらと輝いていた。


ミレーヌは広場を見渡して両手を広げる。


「見てくださいませ!」


「みんな幸せそうですわ!」


「これこそ理想の領地です!」


レナードも上機嫌だった。


「そうだろう?」


「アルティナはいつも祭りを減らそうとしていた」


「無駄遣いだと言ってな」


ミレーヌは唇を尖らせた。


「無駄なんかじゃありませんわ」


「人の心は数字では測れませんもの」


その言葉に周囲の貴族たちも頷いた。


「その通りですな」


「やはり人情が大事です」


「最近の若者は計算ばかりでいかん」


皆が笑った。


レナードも得意げだった。


まるで自分が正しいことを証明されたような気分だった。


その夜。


伯爵邸では盛大な晩餐会が開かれた。


長いテーブルには料理が並ぶ。


香草を詰めた仔羊の丸焼き。


海から運ばれた大きな魚。


きのこのクリーム煮。


葡萄と木苺のタルト。


香辛料をふんだんに使ったスープ。


金色の葡萄酒がグラスの中で揺れていた。


ミレーヌは嬉しそうに言った。


「もっと豪華にしてもいいくらいですわ」


「そうかな?」


「ええ!」


「伯爵家なのですもの!」


「遠慮なんて必要ありません!」


使用人たちは忙しく料理を運ぶ。


だが古参の執事ガルドだけは表情が冴えなかった。


レナードが気づく。


「どうした?」


「顔色が悪いぞ」


ガルドは少し迷った。


「旦那様」


「何だ?」


「祭りと晩餐会の費用ですが……」


レナードは眉をひそめる。


「また金の話か」


「はい」


「今月は例年の三倍近い出費となっております」


ミレーヌが笑った。


「そんなの気にしなくていいではありませんか」


「領民も喜んでおりますわ」


ガルドは口を閉じた。


言っても無駄だと知っていた。


アルティナなら違った。


どんな数字も確認した。


一枚の帳簿から異変を見抜いた。


だが今、その帳簿を見ている人間はいない。


数日後。


領都に新しい馬車が届いた。


白く塗られた豪華な六頭立ての馬車である。


車体には金細工が施され、窓には透明度の高い魔法ガラスが使われていた。


ミレーヌは歓声を上げる。


「素敵!」


「王女様みたい!」


彼女はさっそく乗り込んだ。


ふかふかの座席。


上質な絹張りの内装。


甘い香木の香り。


「最高ですわ!」


レナードも満足そうだった。


「領主たるもの、このくらい必要だ」


その頃。


領都の市場では別の会話が交わされていた。


八百屋の老人が笑う。


「最近は景気がいいな」


「祭り続きだ」


魚屋も頷く。


「客も増えた」


「アルティナ様がいた頃は厳しかったからな」


「何かと節約だった」


近くの若者が言う。


「正直、今の方が好きだな」


「楽しいし」


皆が笑う。


確かに今は楽しかった。


酒も飲める。


祭りもある。


音楽も鳴る。


だが誰も知らない。


楽しさの裏で何が起きているのか。


領都の外れにある巨大な倉庫。


そこでは管理人の老人が困惑していた。


「おかしいな……」


帳簿をめくる。


小麦。


減っている。


塩漬け肉。


減っている。


乾燥豆。


減っている。


どれも補充予定の印がない。


老人は首を傾げた。


「発注は?」


部下が答える。


「ありません」


「何?」


「先月から来てません」


老人は青ざめた。


アルティナがいた頃は違った。


在庫が七割を切る前に補充契約が動いていた。


六割になれば警告。


五割で緊急発注。


だから飢饉も戦争も乗り越えられた。


しかし今は誰も見ていない。


老人は急いで役所へ向かった。


ところが担当官は肩をすくめた。


「そんなに慌てることか?」


「まだ残ってるだろ」


「ですが……」


「祭りで忙しいんだ」


「後にしてくれ」


追い返された。


老人は不安を覚えた。


だが周囲は誰も気にしていない。


その夜。


伯爵邸では再び宴が開かれていた。


ミレーヌは宝石箱を開いている。


赤い宝石。


青い宝石。


黄金の首飾り。


真珠の耳飾り。


どれも最近購入したものだった。


「綺麗……」


うっとりと呟く。


レナードも葡萄酒を片手に微笑んだ。


「似合っている」


「本当に?」


「ああ」


ミレーヌは幸せだった。


レナードも幸せだった。


領民たちも楽しんでいた。


皆が笑っていた。


しかし誰も気づかない。


倉庫の棚が少しずつ空いていることに。


契約が切れたまま補充が行われていないことに。


数字が静かに悲鳴を上げ始めていることに。


春風は暖かかった。


花々は美しく咲いていた。


だから誰も見ようとしなかった。


遠くで迫りつつある冬の影を。


そしてその冬が、想像以上に早くやって来ることを。


まだ誰も知らなかったのである。



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