粥を濃くしたいなら、まず石を拾うしかなかった
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ローザの糸のことを考えているうちに、五日が過ぎた。
鐘が鳴れば領主の畑へ行き、昼には保有地へ戻る。石を拾い、雑草を抜き、薄い粥を食って寝る。
生活は変わらない。考えていることだけが変わった。
食える分を少しでも増やす。それが今の目標だ。
ローザの糸。あれを売れば、塩になる。針になる。食い扶持の足しになる。
朝の保有地で、隣で雑草を抜いているイェニーに聞いた。
「母さん、ローザって普段なにしてるか知ってる?」
「ローザちゃん? 薪拾いとか水汲みとか。忙しい子だよ」
「糸を紡ぐ暇はあるのかな」
「暇?」
イェニーは雑草を引き抜いて、土を払った。
「あの子に暇なんかないよ。朝は伯さまの分、昼から自分の分。自分の分も食い扶持で手一杯でしょう」
——やはりそうか。
あの日、ローザは薪拾いのついでに無意識に糸を弄っていた。あれは「暇だから」ではない。あの子の手が勝手に動いているだけだ。まとまった量を紡ぐ時間は、生活の中に存在しない。
ローザの糸を売るにしても、その前に時間が要る。糸を紡ぐ時間だ。
その時間をどこからひねり出すかと考えると、結局、畑に戻ってくる。まず食える分を少しでも増やさないと話にならない。
「……結局、畑からやるしかないのか……」
「ムーア、何ブツブツ言ってるんだい。……熱のあとで、ずいぶん大人びた顔するようになったね、あんた」
「……独り言だよ」
石を拾うところからだ。文字通り。途方もなく遠い話だが、段階を飛ばすわけにはいかない。
昼の賦役で、隣で石を拾っていた老人に聞いてみた。土を掘り返すたびに、湿った泥の匂いが鼻を突く。
「畝の向きを変えると収量が上がるかもしれない」
老人は石を持ち上げたまま、しわだらけの目で僕を見た。
「余計なことをするな。伯さまの畑だぞ。勝手なことをして、取り分が減ったら誰が責任を取る」
石が地面に落ちた。重い音。
あの井戸端と同じだ。「かもしれない」では誰も動かない。
鍬を振りながら、歯を噛んだ。結果を見せるしかない。
畝の先で、グリュンが帳面を広げていた。
「手が止まっているぞ」
低い声。帳面から目を上げずに言った。
「……条件が変わらなきゃ、行動は変わらないってことか……」
「何か言ったか」
「……何も」
僕は鍬を振り直した。
グリュンは帳面を開いていた。あの男にとって村は、結局のところ数字なのだろう。
畝の隅に、石が転がっていた。
誰かが放り出した石だ。鍬に当たって弾かれたのだろう。表面に白い筋が走っている。
老人がその石を拾い上げて、畝の外に放った。
——その手つきが、妙だった。
石を持ち上げる前に、一瞬、指先で表面をなぞった。白い筋のあたりで、指の腹にかすかな振動が伝わった——ような気がした。それから持ち上げると、石は白い筋のところで二つに割れた。
きれいに。
老人は割れた石を片手ずつに持って、畝の外に並べた。何でもないことのように。
——前にも見た。祝福の日の賦役で、同じ老人が石を割っていた。あの時は目の端で捉えただけだった。だが今日は、指の動きまで見えた。
「……今の、どうやったの」
「何が」
「石。割ったよね」
「割ってない。割れただけだ。長いことやってると、どこが弱いかわかる」
老人は次の石に手を伸ばした。
「……長いことやってたら、そういうのわかるようになるのかな」
「石と付き合ってりゃな。石にも筋ってもんがある」
「筋……」
老人は鼻を鳴らして、次の石をなぞった。興味をなくした目だった。
(三つ目だ。祝福の日の色、ローザの水、そして老人の石割り。今はまだ繋がらない。だが、無視はできなくなってきた)
頭の隅に引っかかったまま、鍬を振り続けた。
夕方、小屋に戻った。
イェニーが鍋の前にいた。粥をかき混ぜている。匙が鍋底をこする音が、静かな小屋に響く。
土壁の隙間から夕日が差し込んでいる。埃が光の筋の中を漂っている。
「母さん」
「うん?」
「うちの保有地の端に、石だらけのところがあるよね」
イェニーは匙の手を止めずに答えた。
「あるねえ。東の端。何も育たないところ」
「何も育たないのは石のせいかな」
「石のせいだと思うよ。おじいちゃんの頃から放ってあるって聞いた」
「使っていいかな」
イェニーが匙を止めた。こちらを見る。
「何するんだい?」
「石を拾って、畝を作って、種を蒔くんだ」
「石を拾うの? ……腰、痛めないでよ」
「……石が多いところだよ? 何も育たないって。手間かけてちょっと良くなっても、グリュンに持っていかれるんだから、誰も触らないんだよ」
「育たないのは石があるから。石をどければ土は使えると思う。——たぶん」
イェニーは匙を鍋の縁に置いた。
「たぶん?」
「やってみないとわからない。でも、あの場所なら誰にも文句を言われないと思う」
イェニーは少し黙った。椀に粥をよそいながら、考えている顔をしていた。
「……体、壊さないでよ」
止めなかった。
反対もしなかった。
「何も育たない場所」だから、失敗しても誰も損をしない。——そう読んだのは僕の方かもしれない。
「ありがとう、母さん」
「何が?」
「止めなかったこと」
イェニーは不思議そうな顔をした。
「さあ、わからないよ。でも、あんたが石を拾いたいなら、拾えばいいよ」
粥は今日も薄い。麦の匂いと、かすかな煙の匂い。椀を持つと、土鍋の熱がじわりと手のひらに伝わった。
口に運ぶ。麦の味しかしない。だが、温かい。
イェニーは自分の椀に粥をよそった。僕のより薄い。いつもそうだ。
(この粥を、もう少し濃くしたい)
それは理論じゃない。ただ、そう思った。
食事のあと、小屋を出た。
日が落ちかけている。空が赤紫色に染まっていて、畑の向こうに靄がかかり始めていた。
東の端まで歩いた。
そこは確かにひどかった。
保有地の中でも一番端で、石がごろごろしている。拳大の石から、頭くらいの石まで。雑草がまばらに生えているが、作物の痕跡はない。
しゃがんで、土を手で掘った。指の間に小石が混じる。冷たくて、湿っている。
石の下の土は黒かった。
悪くない。石が蓋になって水分を保っていたらしい。
指についた土の匂いを嗅いだ。湿った腐葉土の匂い。酸っぱくはない。
息を吐いた。使えるかもしれない。少なくとも、死んだ土ではなかった。
原理は知っている。だが、この手でやることは別だ。
今日の目標を決めた。石を十個、動かす。それだけだ。
石を一つ、拾い上げた。
冷たくて、重い。
両手で持ち上げて、畝の外に置いた。
もう一つ。もう一つ。
三つ目を持ち上げたとき、腰が軋んだ。十三歳の体は、まだ石運びに慣れていない。
手のひらが赤くなっている。明日には豆ができるだろう。
空を見上げた。
最初の星が一つ、見えている。
行商人が来るのは秋の終わり。半年ある。
半年。この石だらけの地面を、少しでも畑に近づける。食うだけで精一杯を越えた分——余剰——が手元に残れば、その先にローザの糸がある。
だが今日やることは、石を拾うことだけだ。
もう一つ、石を拾った。四つ目。手のひらが痛い。
風が吹いた。春の入口の風だ。冷たいが、冬の底を抜けた冷たさではない。どこか、ゆるんでいる。
遠くの小屋から煙が上がっている。誰かが竈に火を入れたのだろう。
僕は五つ目の石を拾った。
明日も賦役がある。鐘が鳴る前に領主の畑に出て、昼過ぎまで鍬を振る。それから、ここに来て石を拾う。日が暮れるまでの短い時間で、一つでも多く。
砂利を踏む足音が聞こえた。畑道の向こうを、誰かが歩いていた。
赤い髪。薪の束を背負っている。青い薪の匂いが、風に乗ってかすかに届いた。
ローザだった。
こちらを見た。立ち止まった。石だらけの地面にしゃがんでいる僕を、数秒だけ見ていた。
「……何やってるの」
「石を拾ってる」
「見ればわかる」
ローザは薪を揺すり直した。歩き出しかけて、足元の石を一つ、つま先で蹴った。石が畝の外へ転がった。
そのまま振り返らず、畑道を歩いていった。
薪の束を縛っている糸が、夕日に光っていた。
僕は七つ目の石を拾った。
どう考えても貨幣経済が導入された後にしておけば良かったと思っていますが、ここまで来たらしゃーない。




