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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第18話

 なかなか筆が進まず遅くなってしまいました。

 大陸暦第14紀32年 早春



 帝都には一面の銀世界が広がり、雲の切れ目から降り注ぐ日の光は、宙を舞う凍り付いた塵を金剛石が如く輝かせる。


 一度屋外に出れば息が詰まるほどの冷気が体を包み込む。寒さは“突き刺す”と形容すべき程に厳しい。川と言う川、湖と言う湖は須らく分厚い氷に閉ざされ、固く凍った大地は雪の下深くに身を隠す。生きるもの全てに等しく過酷で、抗いようのない圧倒的な寒さこそ帝国の冬である。


 生活するには不便極まりない上に長期に渡るため、冬の好きな者は帝国では極少数に留まる。当然ながらドミトリーも多数派側である。転生前も北国出身であり、寒さに慣れてはいても楽ではないし好きでもない。叶うなら雪に悩まされない南方に移住したいと思う今日この頃である。



 連日厳しい寒さに晒されている大学だが、中の人間たちにとっては寒さなど気にしてはいられない。効きすぎた暖房か知恵熱か、多くが緊張で顔が紅潮している。


 年に一度の試験を控えた大学は、夏季休暇の時とは違う熱気に包まれていた。



 ドミトリー達も例外ではなく、迫る試験にソワソワしながら復習にいそしんでいた。1年次は法術とは全く関係ない分野だが、それを理由に切り捨てる割り切りの良さは3人とも持ち合わせていない。3人とも示し合せたわけでは無いが試験勉強をそれぞれの形で進める事になる。

 3人とも別に競うつもりは無いのだが、自然と競り合いが始まるのはむしろ試験勉強に熱が入る点では好都合とも言えた。





「...ドミトリー、教科書に書き込みしたら試験に持ち込みできないけど、本当に大丈夫?」



 びっしりと書き込まれた教科書を見て心配そうに声をかけるランナルだが、ドミトリーは気にした様子を見せずに答えた。



「ノートだって持ち込みできないじゃないか。今更教科書が無くても変わらないよ。ノートの写本作るだけでも復習になるからね。」



 あっけらかんとしたドミトリーに、ベックマンとランナルは顔を見合わせて首を振るだけである。



「その自信はどこから来るんだよ...」



 ランナルの疑念はもっともではある。

 自身のノートの写本を作ると言う無駄に全力を注ぐという行為は、理解できない人間から見れば奇行以外の何物でもない。まして、試験前に他人に貸すためのノートを作るなどベックマンもランナルも正気とは思えなかった。



 現在、ドミトリーはノートの貸し出しを行って臨時収入を得ていた。


 別段金に困っていた訳では無いが、日頃丁寧にまとめていたノートの存在を当てにした同期の押しに屈した結果である。不純な動機ではないし、悩みを解決して収入を得ていると考えればそう悪い気はしない。無論、暴利を貪るような真似はせず、価格も子供のお小遣い程度。親切心があふれ出る仕様である。


 親心をかすめ取っているとしか言いようは無い。狡いこと極まりない話だが、何をするにつけても金が無ければ何もできないのが世の中である。別に好きではないが無ければ生きることも難しい。当然、あるに越したことは無いのだ。



「なかなかの稼ぎになるんだ。それに校則には禁止されては無いんだ。やったもん勝ちだろう?」


 友人たちは何も言わず、ただ肥溜めを見るような目をドミトリーに向けるだけであった。結局、試験直前までドミトリーはノートづくりを止めなかった。





 サイドビジネスに精を出しつつ迎えた試験は、3人が身構えていたほど難しいものでは無く、試験問題を見て皆安堵した。正直なところ、授業で教わる内容は極めて抽象的で具体性に欠けているとさえいえるものだったため、試験の内容がどれほどのものになるのか予想が出来なかったのである。


 テキストからは多分に政治的バイアスが掛かっていることが容易に窺えたが、それ以上に重要な伝承や残された記録などが度重なる社会の混乱で散逸しているのが残念極まりない。

 大学の図書館は比較的新しい書籍が殆どであり、魔術に長けた種族の多くが口伝でその技を伝えて来たのも相まって、その内容は規模に比して見劣りするものだった。


 そのような前提を元に作られた試験、おまけに一般教養ともなれば良くも悪くも予想の範疇から逸脱してしまう気がしていたのだが、12歳の学生相手には必要十分な難易度だったと言える。


 もっとも、この国の中でその水準にある子供がどれほどいるのかは言うまでもないが。



 どうにも生前の世界とどこか似たところがあるこの世界、もしかしたら自分と同じく地球から連れてこられた人間がいたのかもしれない。



 余計な思考を挟みつつも試験をこなすドミトリーだったが、幸いにも試験に関しては特に問題もなくこなすことができた。相変わらず詩吟をはじめとする教養科目で苦戦するベックマンを、ランナルと共に冷かしつつ過ごす日常は、ドミトリーにとってこの上なく貴重で掛け替えの無いものだった。



こんな日々ならば、転生も悪くは無い



 生前はささやかな幸せを噛みしめる余裕もない競争社会を走り抜けたが、今世では駆け足せずにゆったりと歩みたい。度重なる冷やかしに耐えきれずに爆発した友人に追いかけまわされながらも、ドミトリーは心の底から楽しんでいた。

 こういう生き方もあったのかと、今更ながらに思う自分の愚かさが可笑しくて仕方がない。生前もこんな生き方が出来ていれば、苦しみや悲しみも違う形で乗り越えられたのではないか。



全く...我ながらなんと度し難い愚かさだろうか



 死んでから気づくあたり救いようがないが、今更悔やんだところでどうこうなるわけでもない。この世界に生きる者としてできる事は、今を全力で楽しむことなのだ。これほど恵まれたものは早々アリはしない。

 怒れる追跡者から割と本気で逃げながら、そんな思いを新たにするドミトリーだった。





「試験終了! 答案は裏返して机の上に。以降の書き込みは不正と判断する!」



 散々脇道に逸れたり思考の足踏みを繰り返したが、さすがに2度目の学生生活ともなれば勝手は違えど中身は大差がない。手を抜く訳では無いが、気負いするほど過酷では無かった。

 法術史の試験を最後に晴れて試験週間は終了となったが、結果が出るまでの数日間、各自が思い思いに過ごす中でドミトリーは早くも今後の進路を考えていた。卒業すればどのみち兵役だが、兵役明けに挑戦してみたい事は多い。


 ベックマンとランナルも、それぞれ確たる進路があるわけではなかったが、ドミトリーにつられて将来目指すものを考え始める事となった。ランナルはともかく、ベックマンもドミトリーもこのまま帝都で暮らすのか、それとも故郷へと戻るのかは全く決めていない。

そんな折、狙ったかのように届いた親からの手紙は望郷の念を掻き立てるものだった。



「できる事ならこのまま帝都で暮らしてみたいんだけどな...」



 少なくともベックマンの心は帝都にあるらしい。確かにオルストラエは良い街だが田舎過ぎる。



「帝都に住んでるけどあまりいい思い出は無いぞ。水はまずいし空気は臭い。街に行けば解ると思うけど、あれは間違い無く体壊すぞ。」



 対照的にランナルは地方に下るのも悪くないとの考えである。住めば都と言う言葉は住み続けられる者にしか許されないらしい。



「少なくとも亜人種には暮らしづらいのは確実だな。」



 そう。最大の問題は亜人種が衛生環境に敏感であるという事である。身体は耐えられても精神的な負荷が尋常では無い。五感が人間よりも鋭いために、町で暮らすハードルは跳ね上がってしまう。街の臭気に耐えられずに田舎で暮らす亜人種は多い。



「百歩譲ってどぶ臭さは我慢しても、あの水はだめだ。たぶん俺は耐えられない。」



 拘りがあるわけではないが、どうせなら旨いもの食って美味いものを飲みたい。食い物はともかくまともな飲み物は酒くらいとなれば、色々と不健全な事になりそうな気がして仕方ない。



「そこらへんを解決できるような仕事とか作れればいいんだけどな...」



 将来的にそういう商社を設立出来たらいいなと思うドミトリーだった。










「今期はかなり優秀な生徒がそろったようだな。実に素晴らしい。」



 帝国中央法術大学学長を務めるベズボロドフ侯爵は、各学部長からの報告を読み上機嫌の極みにあった。事実上の名誉職である学長の座だが、彼にとってはそのような事は気になることでは無いらしい。既にかなりの高齢のために政府内では積極的な動きこそしないが、部下たちから見れば確実に予算を取ってくる実に出来る上司である。

 長耳族のクォーターであるゴロバノフを法術学部長に据えたのも彼の采配でだった。



「では、諸君らの中に適任者が居るのかね?」



 当時から実力では抜きんでていた彼を押しのけるだけの自信がある人間はおらず、ゴロバノフは鳴かず飛ばずの助教授から一気に出世を果たしたのである。控えめに言っても頭が上がらない。

 恩人であり庇護者であり、どうしようもないスケコマシである彼を時には疎ましく思いながらも、ゴロバノフはしっかりと支えて大学の運営を行ってきた。

 ベズボロドフは誰もが認める確かな人物眼の持ち主なのだが、周囲からは女癖が余りにも目に余るものだったために、宰相府から出向と言う形で追い出されて学長に就任したという経緯があった。


 ゴロバノフとしては困ったことに、このご老体は相変わらず“元気一杯”であり、ふらりと大学を離れては武勲を重ねている。正直、ご落胤が居ないのが不思議で仕方ない。



「女子の方は例年と変わりませんが、今年度の男子は全体的な水準が高いと判断しています。」



 入学試験の時からその傾向はあったが、足の引っ張り合いが少ないのも今期の特徴だった。例年ならば足の引っ張り合いがある所だが、見たところそういうった様子は無い。学生間のトラブルが少ない点に関してはゴロバノフにとって好ましい事だった。


 西方大陸ではまずありえない教育制度だが、貴賤問わずに教育するのは大学創立時からの原則だった。歴史上何度も繰り返された内乱でも、大学はその勢力を減じたことは一度たりともない。

 貴族たちからの干渉を幾度となく跳ね返してきた歴史が、平民からの篤い支持を持つ理由であった。敷居こそ高いが、乗り越えられる者には誰であろうとその門を開く。ただそれだけの事だが、それを守ることの困難さをゴロバノフは運営する側に立つまで理解できなかった。中立とはそれを守る力と覚悟があるものだけが採ることができる方策なのだ。



 閑話休題、授業に研究に運営と極めて多忙な教授達が、ドミトリーの小遣い稼ぎに気づくと言うのは難しい。入学試験でもトラブルを起こすような人柄の生徒を受け入れない理由はそこにあった。

 

 教授達も、まさか学内でそのようなサイドビジネスが行われているとは考えておらず、答案の採点時も呑気に今年の生徒は優秀だなどと言っていた。数年後にその実態が判明した時、既に生徒独自の参考書制作委員会なるものが立ち上がっており、大学側はなし崩し的に生徒たちの動きを追認することになる。


 






「今年は政府に色々と動きがあったが、とりあえずは大学に大きな影響が出なかったのは僥倖と言うべきだろうな。」



 学長室に連れていかれたゴロバノフはベズボロドフと酒を酌み交わしていた。



「軍からの圧力が強まっていると聞きましたが?」



 英雄の死で失墜した軍の再建は、昨年末の徴兵期間の延長で達成を見た。実に120年の歳月を要した事になる。良く滅亡せずに済んだとゴロバノフは感嘆する。残念ながら国家のタガは大いに歪んでしまったが、滅べばそれどころの話ではなくなる。それを皆が理解できずともおぼろげながらに察していたからこその奇跡ともいえる。



「彼らの言わんとするところは解るがね。そのまま飲めば国が傾く。現状では認める事はできん。」

 


 周辺の国々に対して従軍法術士が不足している国軍が、あの手この手で法術士を引き抜いていることはベズボロドフも把握していた。軍の抱く危機感を理解はしていても、国土の開発はまだまだ道半ば。各地で法術士は引く手あまたであるのは今に始まったことでは無い。だが、法術士の数を増やすための教育課程の圧縮は断固として拒否してきた。



「最高学府の質を落としてどうするのか...戦時では無い今、利点など皆無だ。」



 他の学部ならともかく、法術学部の出身者の質を落とすことはベズボロドフには許容しかねるものだった。帝国唯一の法術大学が世に送り出す法術士が半端者では先人に合わせる顔が無い。



「それは何とも...で、いつもの様に鼻で嗤ってこられたと。」



 ゴロバノフもベズボロドフの考えに賛成の立場である。日頃内輪もめを欠かさない教授達も、この手の事では仲良く団結するために学内の意思統一に頭を悩ませることはほとんどない。有難いことだが、どうせならその協調性をもっと日頃から発揮してほしいところではある。



「そんなところだ。だが気になる話も聞いた。」


「気になる話?」



 嫌な予感がゴロバノフの脳裏によぎる。若い頃に磨かれた戦場の勘は今でも健在である。



「法術に頼らぬ庸軍が西方で暴れておるそうだ。...マスケットは知っておるか?」


「マスケット...あの火薬仕掛けの道具ですか。」



 120年前にはなかった武器である。火薬を使うものは以前から存在していたが、いずれも大型の攻城兵器の類でそこまで猛威を振るうものでは無かった。

 マスケット自体は最近登場したもので、軍が躍起になって揃えていると聞いていた。だが、法術士相手にはなり得ないとゴロバノフは考えていた。



「どういう戦い方をしているのかは知らぬが、西方の法術士が手を焼くほどのものだそうだ。情報は集めておくべきだろう。」



 ベズボロドフはそう言い切るとグラスに残った蒸留酒を一気に呷った。あの会戦以来、法術を扱える者の総数と質が他国を圧倒しているがために周辺国が帝国を犯すことは無かった。帝国を守ってきたその前提が崩れてきているのではないか。遠く離れた西方の出来事だが、他人事には思えなくなったゴロバノフであった。

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