第17話
お待たせしました。
右を見ても左を見ても、大学は黄金色に染まっている。
目に映るのは見渡す限りの黄金と時折混じるルビー。自己主張の激しい極彩色で目が痛い。
「我此処に、黄金郷を見つけたり。」
校内の長椅子に腰かけていたドミトリーは、風に舞った落ち葉に埋もれかけていた。大樹が生い茂る敷地内は尋常ならざる量の落ち葉で埋め尽くされている。見上げれば日の沈みかけた秋空が、吸い込まれそうな程に蒼い。
「バカやってないで早く飯食いに行くぞ。」
冬が近づき、亜人種も冬に備えて冬毛へと生え変わる。毛の生え変わらない竜種には判らぬ悩みだが、夏休み明けに知り合った新たな友人曰く「後始末が鬱陶しい」らしい。
現在、ベックマンは教養の実技で引っかったため補習中である。
勤勉な彼には珍しいことであるが、誰でも得手不得手がある。詩吟が彼の苦手分野である事をネタに一頻りからかってから、ドミトリー達は紅葉を眺めに外へ出た。
既に夏の余韻は消え去り、風は冷たく空は澄み渡っている。朝晩は冷え込むため、学生たちは早くも衣替えを済ませていた。日が出ているうちはともかく、夜になれば暖炉の前から離れるのは至難の業となる。もしこの国に炬燵をもたらしたらどうなるだろうか。
虫の音も絶えて久しい冬迫る帝都。収穫祭を期待していたドミトリーだったが、4年生まで街へ繰り出すことは認められないと知り、潔く諦めていた。よそ見をするよりもするべきことは多いのだ。
「今日はシャシリクみたいだな。」
犬系の亜人種ほどではないが、竜種も人並み以上には鼻は利く。好物の串焼きの匂いが食堂から香ってきた。こと肉食系亜人種において、貴重な動物性タンパク源となるシャシリクは、やたらと激しい争奪戦の的となる。
栄養学が全く存在しないこの世界において、経験則的に知られている「肉は肉を、草は草を」のことわざの言う通り、種族ごとに食材と体との相性が存在する。
肉食系亜人種、その中でも特に猫系の種族は、肉料理の割合が低ければ体調を崩すことがある。
では、選り好みしないがどちらかと言うと肉が好きである竜種とはいったい何なのだろうか。雑食動物と言えば豚と人。両者とも、特に人は一筋縄ではいかない動物である。実物の竜を見たことが無いためにいまいち掴めないが、きっと人間のように色々とえぐい生き物なのではないかとドミトリーは考えていた。
寮の方が騒がしくなってきた。どうやら一刻の猶予も無いようである。ドミトリーは長椅子から立ち上がり、身にまとわりついた枯葉を払って寮へと向かった。
食堂はいつも通りの喧騒と、いつもよりも少しだけ増した熱気に包まれていた。大学内では亜人種はごく少数しかいないが、若者ならば種族関係なく串焼き肉は人気である。
もう少し待てば燻製肉が食卓に並ぶ日々となるのだが、燻製肉は味も薄く硬い上、やたらと出番が多いため、同じ肉でありながらもこちらは絶大な不人気を誇っている。
これらの肉は大抵は豚かヒツジだが、稀に馬や牛の時もある。ただ、牛も馬も本来は食用のものでは無く、怪我などで死んだものを捌いた肉である。以前、牛肉や馬肉と聞いて目を輝かせたドミトリーは、その現物の味と触感にいたく心を傷つけられていた。
「やっぱりこれだよなぁ!」
たいそうご満悦であることがうかがい知れる尻尾。「亜人種は嘘をつけない。すべてはその尻尾が語るのだ。」オーケルマンからそう言われた時、ドミトリーはこの世界で獣系亜人種が政治の世界に入らない理由を理解した。
「ランナル、口の周りが酷いぞ。」
ドミトリーの指摘にあわてて口を拭う狼種の少年。夏休みが明けてへこんでいたベックマンたちが出会った新しい友人である。八重歯と言うにはいささか野趣にすぎる犬歯がトレードマークの彼が、ドミトリー達と出会ったのはつい最近の事である。
「セルゲイ先輩から?」
「この間、実家に帰っていただろ?そのお土産だってさ。」
セルゲイから貰ったお土産は見事な燻製肉だった。
保存技術が未熟なこの世界では、旨いものを食いたいと言う探求心が育つのは一部の上流層に限られている。不人気で鳴らす燻製肉だが、しっかりと香辛料を使えばちゃんと美味いものに仕上がる。要は普段の作り手が雑であるという結論が出るのだが、そもそもそういうった分野に手を出せるほどにこの国は余裕があるわけでは無い。国全体としての余裕の無さが食卓に現れている訳だが、上流階層においてはその限りでは無いらしい。
ドミトリーもベックマンも、この未知なる高級燻製肉の扱いに心底戸惑う事になった。
見るからに庶民の手に届かないような逸品だが、庶民である2人にはその価値が分からない。ただ、一つ言えるのは肉に押された刻印が王領の直轄農園のものであるらしいこと位である。下手に市場に流せばお縄に着くかもしれない。
余計な事を考えずにさっさと食べればいいのだが、ベックマンは勿論ドミトリーもこの手の高級食材など見たことが無く、おまけに王家の刻印などされてしまっていては手を出すのが憚られるこのこの上ない。セルゲイの何気ない好意は平民は恐れ多くて仕方がない。
生前のドミトリーはどちらかと言うとやんごとなき方々からは距離を置かれていたため、式典以外ではあまり接点が無かった。わだかまりと言うほどでは無かったが、晩年まで両者の微妙な距離感は変わらず存在し続けていた。上からの好意と無縁だった彼にとって、まさしく未知の体験だった。
「とりあえずさ、ドミトリーの部屋に吊るしてよ。こっちは相部屋だし。」
だが、隠し事とはなかなか上手くいかないもので、ベックマンは帰省から帰ってきた相部屋である狼種の少年に、最高級燻製肉の匂いを文字通り嗅ぎ付けられてしまった。
分不相応極まりないご馳走を前に、恐れ知らずの狼種も尻込みをしてしまったことを機に、ドミトリーとベックマンは新たな友人を得る事になった。
王家印の上等な燻製肉は新たな出会いを運んできた。貰い物の肉塊でつなぐ友人の輪とは何とも言えないものではあったが。
「2人とも相部屋なのにこの半年間どうしてたんだよ。」
吊るされた燻製肉のそばで始まった座談会で、話を聞いたドミトリーは呆れてベックマンを見た。
「いや、別に仲悪いとかそういうのじゃなかったんだけどね。」
「亜人種で法術大学はいるのって長耳族とかドワーフくらいだからさ。」
要はお互いに割と距離を取りながら過ごしていただけである。
ドミトリーも他人の事は全く言えない口だったが、ベックマンもランナルも友人を作るのは苦手のようだった。
その後、いつまでも吊るしていてもいご利益は無い(虫が寄る)ため、王家印の燻製肉は夏休みが終わって以降夜の雑談のお供となって消える事になった。
最終的に10キロほどの巨大な肉塊も、育ち盛りの少年たちの前には1月も持たなかったのである。
「そう言えば、ランナルの故郷は西だよな。」
早くもシャシリクを食べ終えたドミトリーがパンをかじりながら問いかける。
「生まれはな。でも、育ちは帝都だよ。魔獣の襲撃で離れてからずっとだ。」
「やっぱり安定化したって言っても実情はそんなもんか。」
ドミトリーの言葉に無言で肩をすくめると、ランナルはスープにパンを浸しなが食堂の入り口に目を向ける。ランナルの目線を追ってドミトリーが入り口を見ると、すっかりしおれたベックマンの姿があった。
「心の動かす言葉って何なんだ...心って...」
配膳を受け取ったベックマンは魂の抜けたように哲学している。
ドミトリー自身も別に感受性が豊かではないが、口先はそこそこ達者であることが幸いして何とかなっていた。だが、この手の感性的なものは向かない者には本当に向かない。生前の経験から言えることは、報われる努力と報われない努力は人それぞれによって決まっている事だった。方向性が違えば当然報われないし、適性があっても興味が無ければ気付かない。しかも、どれくらい報われるかも人それぞれである。
「おい、頭いかれてるじゃないか。詩吟ってこんなにおっかない学問なのか?」
色々と煮詰まったベックマンにドン引きしながらランナルが言う。
「詩吟がと言うよりも教授の方がおっかないと思うけど。」
基礎教養はあと1年は続く。ベックマンの受難はまだまだこれからである。
サムソノフ家では庭の木々が葉を落とし、冷たく乾いた風が通りを吹き抜ける。帝都よりも一足先にオルストラエは冬を迎えていた。
「マーシャ、手紙はもう書き終えたか?」
「あと少しですよ。」
眠気に堪えながらパーヴェルが妻の手紙が書き終わるのを見守る。娘2人と息子1人を大学へと送り出した2人は、家の広さを持て余していた。寂しいと言う感情は無いが、それとない喪失感がこの半年間のパーヴェルの心を軋ませる。
子供たちが家を離れてからも普段と変わらないマーシャだったが、やはり思う所があるのだろう。手紙を書き始めてから既に10日目である。パーヴェルは先週あたりからあと少しと言われ続けていた。
「あと少しか。明日には出したいのだが。間に合いそうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
こと手紙に関して、マーシャはマイペースさを爆発させる。結婚する前の手紙のやり取りからパーヴェルは何とはなしに気づいていたが、結婚してその凄まじさを目の当たりにすることになった。
こだわりと言うか偏執的なまでの手紙への入れ込み具合は、パーヴェルにとって理解の及ばないものだった。無論、理解できないから拒絶するほどパーヴェルは狭量では無かったが、手紙にご執心のマーシャに振り回される彼としては、どうにかならないものかと思う事が一度ならずあった。
娘たちは大学の卒業後にいったん帰ってくることが確定していたが、息子は卒業後にそのまま兵役に入ることになる。ここ最近の情勢がかつて、自身を取り巻いた時それと似通ってきた事がパーヴェルの不安の種だった。よりにもよって『加護』を授かった息子の将来が心配でたまらない。
パーヴェルは不安を表に出すような男では無かったが、不安を全く感じない男でもない。大学の知己を頼ってそれとなく見守るように頼んだのも、拭いがたい不安があったからである。
幸いな事に、ゴロバノフからの手紙には息子が特に問題もなくのびのびと過ごしているとあったため、不安は大分和らいでいた。
知能が同等でも身体の持つ能力と特性から人間社会に馴染むことができない亜人種は少なくない。差別は法によって固く禁じられているが、差別が無い訳では無いのだ。
「気持ちは解らんでもないが、あまり返事が遅くなっては本末転倒だ。これからもやり取りは続くのだぞ?」
夫の苦言に妻はどこ吹く風である。窓を鳴らす風がいつの間にか雪交じりになっているのに気付いたパーヴェルはため息をついた。帝都に手紙が着くのは年明けになるかもしれない。
ランプの灯が揺らぎ、壁に映る影も揺らぐ。結局明け方まで夫妻の寝室の窓は明るいままだった。
ご意見、ご感想等お待ちしています。




