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家の中にいる音  作者: 伊丹 宝


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7/11

7音 同じ時間

その朝、結衣は目を覚ました瞬間に違和感を覚えた。静かだった。静かすぎるわけではない。ただ、“いつもの朝の流れ”がない。


台所の音がしない。時計の音はしている。でも、生活の音がない。結衣は布団から起き上がり、リビングに行く。誰もいないと思った瞬間、母がキッチンに立っているのが見える。父も新聞を読んでいる。弟も椅子に座っている。………いる。でも、少しだけ“薄い”。結衣は一瞬だけ目を細める。そのときだった。遠くから音がした。



サー……



何かが流れるような音。結衣は振り向き、窓の外を見る。でも、その外ではない。“どこか別の外”。そして、その音に重なるように声が入る。


「こちらは、寺本地区てらもとちくです」


町内放送のような声。結衣は固まる。しかし、父も母も反応しない。聞こえていないようだった。弟だけが小さく言う。


「今のさ、どこから?」


結衣は答えられない。どこからでもあり、どこからでもない…結衣にも分からなかった。



その日の昼、家の中で異変が起きる。同じ時間が、何度も繰り返される。昼ごはんの準備をしている食器の音、名前を呼ぶ声。でも、その1つ1つが微妙にズレている。結衣は気づく。今、この家は“同じ1日”を複数回やっている。父が新聞をめくる音。



カタン。



その少し前にも、同じ音。



カタン。



弟が立ち上がる。でもその前にも、立ち上がる弟がいる。結衣は混乱する。


「今、どれ?」


自分でも分からない。どれが本当なのか。



夜、窓の外からまた音がする。



サー……



町内放送、でも内容ははっきりしない。ただ“誰かが何かを言っている”という気配だけ。弟が言う。


「これさ、外じゃないよね」


結衣は答えられない。外のはずなのに、外ではない。内のはずなのに、内でもない。結衣にも分からない。そのときだった。放送の声が、一瞬だけはっきりする。


「……同じ時間を繰り返しています」


結衣は凍りつく。父も母も動かない。弟だけが、少し笑う。


「やっぱりね」


その放送は、もう“外から聞こえる音”ではなかった。リビングの空気の中に、最初から混ざっているように感じる。



サー……



雑音の中に、声がある。


「本日の予定をお知らせします」


結衣は息を止める。父も母も弟も。聞いているのか、聞いていないのか分からない。ただ、空気だけが反応している。


「午前7時33分」


結衣は時計を見る。



7時33分



一致している。偶然だと思おうとする。でも、その次の言葉で崩れる。


「台所にて、食器が一度置かれます」



カタン。



キッチンから音がする。母が皿を置いた音。結衣は凍りつく。今のは、聞いたから起きたのではない。“言われたから起きた”ように感じる。放送は続く。


「玄関付近で、歩行音が一度発生します」



コト。



廊下から弟の足音。弟は何もしていない。ただ立っているだけなのに、足音が鳴った。結衣は気づく。この放送は、予告ではない。実況でもない。“先に起きていることを言っている”のだ。そのときだった、放送が少しだけ間を置く。そして続く。


「結衣が椅子に座ります」


結衣は動けない。椅子に座っていない。でも、座る“直前の感覚”だけが体にある。そして次の瞬間、体が勝手に椅子に向かう。



カタン。



音が鳴る、座る音。結衣は自分の手を見る。今、動かしたのか…それとも、もう動いていたのか。分からない。放送は淡々と続く。


「弟が廊下を通過します」



コト。



弟が動く。でもその動きは、見たあとに起きているのではない。“知ったあとに起きている”。結衣は気づく。順番が逆になっている。未来が先に流れている。そして、それを音として受け取っている。弟が小さく言う。


「これさ。俺たち、もうやってるよね?」


結衣は答えられない。やっているのか、やれと言われているだけなのか分からないから。放送が一瞬だけ途切れる。その静寂が怖い。そして次の瞬間。


「これより、全員が同じ場所に集まります」


結衣は息を止める。母が振り返る。父が立ち上がる。弟が廊下を見る。でも、その動きは“命令”ではない。すでに起きていたことの確認のようだった。そしと同じ内容が繰り返し放送される。


「これより、全員が同じ場所に集まります」


その言葉が流れた瞬間、家の中の空気が変わった。重くなる、というより。“まとまる”ような感覚だった。リビングにいるはずの家族が、少しずつ同じ方向を向き始める。結衣はそれに気づいてしまう。誰かが動いているのではない。すでに動いた結果が、今ここに揃っている。



カタン……



どこかで皿の音がきこえ。でも、それは今の音ではない。さっきの音でもない。“そうなるはずだった音”。母が言う。


「集まるって……どこに?」


誰も答えられない。でも、答えがなくても進んでしまう。弟が廊下を見る。


「もうそこにある気がする」


結衣はその言葉に息を止める。“ある気がする”ではない。“あることになっている”。そのときだった。放送が一瞬だけ静かになる。そして、はっきり言う。


「玄関に移動してください」


結衣は反射的に玄関を見る。もう、玄関はただの場所ではない。“行くべき状態”になっている。父が立つ。母も動く。弟も歩き出す。結衣だけが、一瞬遅れる。でも遅れたのではない。遅れたことにされる前の状態にいる。玄関に集まる。全員がそこにいる。でも、同時に気づく。


“全員が同じ位置に立っていない”


少しずつズレている。それなのに、同じ場面として成立している。放送が続く。


「これより、次の時間に進みます」


結衣は思う。進む?どこへ?その瞬間。弟が小さく言う。


「さっきから、同じ俺が何回もいる」


結衣は弟を見る。弟は1人のはずなのに、ほんのわずか目線がずれている。1人ではないように見える。放送が静かに続ける。


「次の時間では、全員が正しく揃います」


その言葉が怖いのは、“今が間違っている”とは言っていないからだ。ただ、“揃う”とだけ言っている。揃うとは、何かが消えることかもしれない。あるいは、重なることかもしれない。玄関の空気が揺れる。



コト……



誰かの足音。でも誰のでもない。そして、その瞬間…結衣は理解する。この家はもう、時間が1つではなくなっている。同じ時間が流れる、ここではない家が存在していると。



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