神薬エリクサー
通りには昏倒した人たちがいる、だが何が起こっているか理解しているようだ、魔素耐性を持つ者が救助活動を始めていた。
重症化しない事を願うしかない。
無限とも思える力が突然消える場所がある、魔素だまりを抜けた証拠だ、酸素だけの環境になると苦しさが戻ってきた、底抜けだったアクセルが弾き返される。
トレンゼ川の方向が青白く煙って見える、あれは魔素だ、それは上流からきている。
―― 発生源はラライダムなの?
私は唇をかんだ。
最悪だ、アマレットのいるバーデミリオン邸が近い。
ダダダッ 走る速度は変えずに全力で自宅へ、まずはバンドール邸に急ぐ。
メインストリートの中央にこの街の総合病院がある、この時代では画期的なことだ。
以前の聖教会は医療自体を禁忌なものとして輸血や民間の薬を禁止していた、それは教会が施す薬の価値を高める目的、免罪符とは神の赦しを金で売る行為、神は人間の通貨を必要としたのか、まったく馬鹿馬鹿しい。
薬学に通じる賢者を魔女と評して迫害したのも金のためだ。
それが聖教会に聖女が降臨したことで変わった。
聖女キリア・マキエは別名を霧の魔女と呼ばれている、ガリガリの長身、長い黒髪に黒曜石の瞳、見た目は完全に魔女。
しかし、その身に宿した力は、ほとんどの病気を喰うことができるという、治すではない、喰うのだ。
今の聖教会は医療自体を推進している、もちろん魔女狩りなんてしない、いまだに差別主義を謳っているのは聖教会から分裂したキリオス教正教だ。
聖女記念病院、国を越えて隣国ラインハウゼン共和国、ソーン・シティにある聖教会本部の支援で建てられたものだ。
常駐の医師が三人交代で診察を行っている、入院の病床数は五十床、出来てからは黒死病や瘧の流行は起こっていない、正しい処置が出来れば疫病の流行は避けられるのだ。
その五十の病床があっという間に埋まっていく、入りきれない患者が玄関に殺到していた。
「院長! 全員が魔素中毒です、意識のない者がほとんどの様です」
「まずは重傷者の見極めだ! 脈と顔色、発熱で判断するしかない、ナースたちも総動員させろ、日常の仕事は一時ストップだ」
指示するドクター・ヨハンは院長であり外科医だ。
「重傷者を入院病棟に、意識のある者は待合室、それから老人、子供、妊婦が優先ですね! 承知しました、急ぎましょう」
走り出した若い医師は患者の渦のなかに飛び込んでいく。
「大変だ! これは抗魔素薬が足りなくなるぞ、シェルパ・ギルドに在庫があるか誰かきいてこい!」
黄色の琥珀石から作られる抗魔素薬は、体内の魔素を中和する効果はあるが壊れてしまった身体を治せる薬ではない。
聖女キリア・マキエの奇跡についても同じと言える、聖女は病気を喰う、身体を治すではない。
機能不全に陥った身体を治せる薬はひとつだけだ。
幻の神薬、エリクサー以外にはない。
ビビの自宅小屋があるバンドール領はトレンゼ川からは離れている、魔素雨は全く降った様子がない、いつも通り、平穏なままだ。
ダダダッ 全力疾走のまま門を走り抜け離れの小屋に向かう、途中でメイドたち数人にすれ違った。
「ひっ!」
金眼を血走らせ、赤 毛を振り乱した私を見て悲鳴を漏らして尻もちをついてしまう。
―― 驚かせてごめん。
鍵のかかった小屋の扉、鍵を出す時間が惜しい、走ってきた勢いのまま体当たりをかます!
ドカァッ 派手な音とともに扉が丁番ごと吹き飛んだ!
ベッドをひっくり返し床板を外すと、かくしてあった箱を開ける、中から金色の小さな小瓶を取り上げた。
神薬エリクサー、私がマップメーカーを目指すと決めた時にダンテがお守り替わりだとくれたもの、当時はその価値を知らなかった。
バーデミリオン家に代々伝わる物だという、どういういわれかは分からない、ただ本物に間違いないとダンテは言った。
―― これなら!
そっと布にくるみ胸にしまうと水瓶からジョッキで水をすくってゴクゴクと喉を鳴らす、体中から湯気があがっているのが水瓶に映る、金色の目が自分でもギョッとするほど輝いていた。
―― これじゃあ腰を抜かされても仕方がないな。
ジョッキを叩きつけるように置く、唇を手の甲で拭って風通しのよくなった出口へむかう。
「お嬢様! これはいったい!? なにごとですか?」
ターナー執事が目を丸くしたまま立ちすくんでいた。
「竜脈爆発があった、たぶんラライダムの方だ、ここは大丈夫だと思うけど、今日は外へ出ないように親父殿に伝えておくれ」
「それなら! お嬢様が直接お話になられては」
「この姿になった時から私は屋敷には入れないと知っているだろ、頼むよ」
「そんな事は!……」
「ごめん、急ぐんだ、話はまた後で!」
「まっ、まってください!」
止まってしまうと身体が急に重くなる、苦しくても動き続けないとだめだ、引き留めるターナーを振り払って門を飛び出した。
アマレットの屋敷に近づくと苦しさが遠のいていく、魔素だ!
やはりここまできていた!
「アマレット! ディーノ!」
大声で叫ぶが気配はない。
「どこだ、どこにいる!? アマレット! 返事をしておくれっ!」
人気のない敷地、立ち上っていた焚火の煙もない。
庭にいなければ屋敷の中か?
玄関に向かうと大扉が開いている。
「!!」
その隙間から四本の足が見えた!
あわてすぎて転びそうになりながら走り寄る、重なる様に倒れていた、二人とも意識がない。
「くっ……」
二人の脈を診る、ディーノははっきりとある、アマレットは……弱い、今にも止まってしまいそうだ。
迷わずエリクサーの封を切ると甘い蜂蜜の匂いがした。
アマレットの口へとそっと流し込み掌で口を押さえる、意識がないと咽やすい、大丈夫、私は冷静だ。
「ごっ、え゛っ……」
ゴクリッ 少しえづきながらも飲んでくれた。
―― ダンテ、お願い! アマレットを助けて!
瓶の三分の一ほどを飲ませて様子をみる、一気に飲ませることは危険だ、強すぎる薬は毒にもなる、ダンテに教えられた。
その間にディーノにも三分の一を飲ませる、咽る事なく飲みこんだ。
「よし、良い子だ」
もう一度、アマレットの脈を診る、少し戻っている気がする。
振り返ると引き摺った跡がのこっている、庭で作業していたディーノが先に倒れ、アマレットがここまで抱えてきたのだ、弱った身体で必死に屋根の下に。
やはりアマレットは母親だ、魔素から息子を庇い覆い被さっていた姿に切なさが頬を伝う。
―― この親子は死なせない。
冷静だと思っていた指先が大きく震えている、恰好をつけても私の心臓は小さいままだ。
庭先には漂う魔素がまだ見える、空気よりも重い魔素は下に溜まる、一階より二階の方が安全だ。
二階に担ぎ上げてベッドに二人を寝かせる。
ビュウッ ザワザワッ 木枯らしだ、ラライ山脈から吹き下ろす風が居座る魔素を散らして駆け抜けていく。
神様のくしゃみ、この街の人はそう呼ぶ。
―― 神様、遅刻だよ!
窓の外を枯れ葉とともに、白く煙る魔素が飛び去って行った。




