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ヴァレンティーナ・バンドール

 物語の始まりは五日前。

 車も電車も、飛行機なんて交通手段は一切ない世界、人々の移動は馬か山羊、自分の足が頼り。

 巨大な山脈の北に貧しい小国、マーロン帝国はあった、その辺境のバンドール男爵領が私の実家、私、ヴァレンティーナ・バンドールは男爵令嬢だった、過去形、今は屋敷の中には住んでいない、敷地の離れ、小さな小屋に一人で暮らしている。

 ―― それは私の眼と髪のせいだ。

 十歳の夏、栗色だった髪がレディッシュと呼ばれる赤毛になり、なにより眼が決定的だった、薄いブルーだった瞳、一晩で金色に変わった、それは魔人の眼、半魔人に覚醒した。

 二十五歳になった今も戻らない、きっと隔世遺伝、ご先祖様に魔族がいたのだろう、この姿が私の完成形だった。

 父は落胆し、母は手を握らなくなり、いつしか食卓から私の椅子は消えた。

 ―― ああ、そうなのか。

 私は自分がどういう存在になったのかを理解した、不思議に泣いた事はない、あきらめの殻に心を閉じ込めた、これも素質だろう、一度閉じ込めてしまえば冷えた部屋に一人でいる事は難しくない。

 ―― ひとりじゃない、ひとりじゃなかった、友達がいた、金髪碧眼の村娘、アマレット、典型的なマーロン人、私を怖がらずに手を握ってくれた親友。

 そしてダンテ・フォン・バーデミリオン、憧れの人。

 彼の黒髪からは雄牛の角が伸びていた、彼こそ魔人、それを隠そうとなんて一切しない、ダンテの前で私の髪の色や金眼は霞んでしまう。

 「この角がどうした? 俺の角、カッコいいだろう、こんなの持っている奴は他にいない、俺の誇りだ、ビビの髪も眼も特別、お前だけのもの、胸を張れよ」

 私はそんなに強くなれない、金眼はレースのアイマスクで常に隠した、それは今でも変わらない。

 今日も私はアイマスクをして小屋の扉をひらく、冬の薄青い空の下に踏み出した。

 

「お嬢様、またお出かけに?」

 厩舎から山羊のシェーブルを出したところで執事のターナーに呼び止められた。

 「ターナー、しばらくね、元気だった?」

 私が軽口をきける数少ない人間の一人、とっくに還暦を過ぎた好々爺だ、若きころは先代と戦場を駆けた猛者だったというが、怒っている顔を見たのは、私が屋敷を追い出されて離れ住まいになった時だけだ。

 烈火の如き勢いで父に嚙みついてくれた姿を忘れない。

 「バンドール家の令嬢がそんな兵隊のような恰好で、街をウロウロするのはどうかと思いますよ、仮にもヴァレリー様はバンドール家の一人娘、それなりのドレスと馬車をお使いになって頂かないと困ります、私がご準備致しますから」

 呆れながらも掛けてくれる言葉は優しい、この屋敷の片隅にでもいられたのはターナー執事のお陰だ、感謝はしている、でも。

 「お嬢様なんて止めて、がらじゃないわ、それにドレスなんて何年も着たことない、ドレスよりハンティングスタイルの方が様になっているでしょ」

 丈夫なカーキ色のパンツにショートブーツ、上はダンガリーシャツに革ジャンがいつものスタイル、それに薄いレースをサングラスのようにかけて目を隠す、身近な人にも金眼は見せたくない。

 「何を言うのです、私にとってヴァレリー様は永遠にお嬢様なのですよ、遠慮はいりません」

 「ありがとう、気持ちだけで十分だよ、実はね先日二十年物の良いウイスキーが手に入ったの、御馳走するからもう許してよ」

 このまま話を続けると本当に南 (かぼちゃ)の馬車を用意しそうだ、惜しいが切り札を出して逃走を図る。

 お酒を覚えたのが早かったせいなのか私はアルコールに強い、飲み比べをすれば男相手でも負けたことはない。

 「なんと! それでは是非ご一緒させて頂きます」

 「楽しみにしているわ、私はこれからギルドまで行ってくる、そろそろ旅にでるから情報収集しておかないとね」

 「長旅はお控えください、お嬢様がいないと爺は寂しくて早死にしてしまいそうです」

 「うれしいこと言ってくれるじゃん、じゃあ益々嫁には行けないな」

 「うぐっ!」

 私のウェディングドレス姿を夢想する好々爺の視線を背にして屋敷を後にした。


 丘を越えたゆるい流れにかかるメガネ橋を渡れば直ぐに街が見えてくる。

流れる波の反射が淡くて苦い思い出を淵から浮かび上がらせる。

 幼い頃、悪魔の金眼持ちと遊んでくれたのはダンテとアマレットくらいだ、中でもダンテは虐められている私を兄の様に庇ってくれた。

 ダンテの実家も元は貴族で男爵だったという、内戦で敗れ没落した、その先代がマップメーカーで多くの地図と資料を残してくれていたらしい、若くしてダンテは独り立ちしていた。

 

 子供の頃の私は今とは違い身体が小さかった、男爵の娘とはいえ、禁忌の金眼令嬢を敬う領民はいない、平民の子にも石を投げられた。

 ただ膝を抱えて蹲り、やられっ放しの私を見つけると、ダンテは虐めていた相手が例え貴族の子供であろうと容赦しなかった。相手が謝らない限り殴り続け、屈服させて庇ってくれた。

 ある時一人の男の子が投げた石が私の額に深い傷を残した、アマレットが止めなければダンテは相手を殺していたかもしれない。

 相手はアマレットの兄だった。

 「膝を付いてビビに謝れ! あの目に生まれたのはビビの責任じゃない、ビビ! お前も殴られたら殴り返せ! 殴るのが嫌なら何時でも俺に言え! ビビは俺の女だ、虐めに関わった奴らは全員許さねぇ! 誰であろうと半殺しにしてやる!」

 逆立つ髪から伸びた雄牛の角が怒りに震えていたのを鮮明に覚えている。

それにしても十歳の子供を俺の女だとは良く言ったものだ、今思い出しても目頭が熱くなる。

 味方のいなかった私の心にダンテの叫びは深く突き刺さって未だに抜けない。

ヴァレンティーナ・ド・バンドールだからViBi、あのころから私の通り名はビビだ。


 私の身長が虐めていた連中を追い越すと直接的な暴力は遠ざかった、私のご先祖様は金眼と一緒に細くとも強い身体を与えてくれた。

 ダンテの後を追ってマップメーカーを目指してトレーニングをつづけると、一般的な男性に腕力で負けることもなくなり、目を掛けてくれる師匠にも出会うことができて、今は多少の稼ぎもある。

 それでも父母は私に無関心で在り続けている、母を狂女に変えてしまった事件、この胸の傷は消えない、癒えぬ痛みが未だに疼いている。

 ―― 母様、ごめんなさい、母を追い詰めてしまったのは私だ。

 どうしようもないと分かっている、それでも自分のせいだと逃げたくなる。

 「あいかわらず私はいくじないな、ダンテに笑われる」


 私はダンテ・フォン・バーデミリオンを探している。


 五年前、聖教会の依頼で聖樹を巡る仕事に出て以来戻らない、依頼主の聖教会からは行方不明だというだけで何の情報もなかった、何があったのか、生きているのか、死んでいるのか、家族にも知らされていない。

 私が独り立ち出来るようになって七年、ダンテの情報を探し回っているが手掛かりはない、聖樹の話には決まって壁がある、何か触ってはいけない事があるのか、情報が隠蔽されて繋がらない。

 今回で四回目だ、この世界の五大聖樹を回る旅、調べていない聖樹はフィッシュレイクのアスペンの聖樹、それは一本じゃない、二千メートル四方に五万本の大群生、恐ろしい砂の魔蛇や吸血蟻が跋扈する魔の領域、それでも、そこにいるなら私が必ず連れ帰る。

 私の心に刺さった言葉が墓標になろうと、決してあきらめない。


 私はマップメーカー、ヴァレンティーナ・バンドール。

 ―― 私はダンテ・フォン・バーデミリオンを探している。


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