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悪役令嬢、胃袋を掴む  作者: 文庫 妖


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2. 悪役令嬢、ヒロインの胃袋も掴んでしまう


 王都郊外、離宮にほど近い場所にあるユカライネン学院は、近世の頃に当時の王弟が設立した由緒ある学校だ。もとは王侯貴族の子弟の教育機関だったが、今から二十年ほど前、上流階級向けの教育機関としては非常に珍しい男女共学となった。目覚ましく発展する新時代に対応できる若者の育成が名目だ。

 とはいえ学舎と寮は男女別だ。男女間の交流は休憩時間や学校行事、課外活動に限られている。当然未婚の子女に間違いが起こらないための措置で、交流が許されているそれらの活動全てにも教師の厳しい監督が付く。校内各所に警備の騎士も配置されているほどの徹底ぶりだ。

 それでも未だ婚約者の定まっていない学生には貴重な時間でもあり、節度を守れば異性との交際もある程度は容認された。

 無論規則や常識を逸脱すれば、無期限の停学、あるいは退学という厳しい処分が待っている。名門と呼ばれる学院とはいえ、禁を犯して処分される者は毎年少なからずあった。

 高貴な身分であっても、品行方正な者ばかりではないということだ。


 そんな醜聞を聞くたびに、クラウスは肩を竦めて苦笑いしたものだ。

「厳しい集団生活で放蕩児を矯正しようとして悪化させたいい例だ。本気で矯正しようってのなら、半寮制の共学校より全寮制の別学に通わせた方がよっぽどマシだよ」

「箔付けの意味もあるのだと思うわ。どんな名門校でも王家とのかかわりが強いユカライネンには敵わないもの」

「中身がないのに包み紙だけ立派にしてどうすんだよ」

「うわ辛辣」

 王子とその婚約者の会話としては随分砕けたものだが、今は二人きりである。存分に緩んでも誰も文句は言わない。

 そんな二人の視線は、ちょうど渡り廊下を通り掛かった一人の女学生に向けられていた。


 ――平民の少女、ロイネ・ヴァーランペラ。「白薔薇と赤薔薇」のヒロインだ。


 ふんわりとした桃色がかった銀髪に若葉色の瞳の、可憐な十六歳の少女。

 商家を営んでいた両親と兄が商談の帰りに事故で亡くなり、引き取り手がなかったために孤児となった。だが、治癒魔法に長けた貴重な聖魔力保持者であることをヴァーランペラ伯爵に見出され、養女に迎えられたということだった。

 保持者数が少ない聖魔力の持ち主というばかりでなく、非常に勉強熱心で貴族家の令嬢にも見劣りしない学力を備えている。孤児という理由で彼女の可能性を潰すのは忍びないと、養父の伯爵が多少無理を言って学期途中で入学させたという話だ。

 そんな逸話を持つ、学院でも有名な女学生である。


 ――いい意味でも、悪い意味でも有名な、平民出身の少女。


 貴族の養女となって日が浅いために礼節や作法がまだ身についてはおらず、しかし本人が努力家で素直な性質なために、基本的には周囲からも温かい目で見守られている。

 親切な令嬢の幾人かが親身になって指導し、立ち居振る舞いもこの半年でなんとか見られるほどには改善した。そのおかげで、最近では令嬢たちのお茶会に招かれることもあると聞く。

 だがその一方で、男子との距離が近いのではないかという批判もある。平民としての気安い距離感が身に付いてしまっているのだろう、男子学生への接触が気になる程度には多いのだ。

 由緒正しい家柄の子息が多い学院のこと、婚約者が定まっている学生は過半数に及ぶ。そんな中で、そこらの平民の少年に対するものと同じような距離感で接しては、不快に思う者がいるのも道理である。

 それに、彼女にはこんな噂もある。もともと騎士団の衛生部隊に入隊が決まっていたらしいが、それを蹴って伯爵家の養女に収まったというものだ。衛生兵として働くよりも華やかな貴族の生活を選び、有力貴族の子息と縁付くことに熱心だという悪意ある噂だ。

 今も二人の目の前で、ロイネは気軽に侯爵家の子息に声を掛けている。彼には幼い頃からの婚約者があり、あまり人気のない場所で二人きりとあっては外聞が悪い。


 とはいえ。


「……篭絡しようとしてるっていうのとも、なんかちょっと違うんだよな」

「やっぱりクラウスもそう思う?」

「うん」

 ロイネの様子は二人もよく目にしていた。確かにほかの女学生よりは男子への接触は多い。それも人気のない場所、相手が一人でいるところを狙っての接触だ。当然何らかの思惑があると誰もが思うだろう。

 だが、当のロイネ本人がどうにも積極的とは言い難い様子なのだ。自ら声を掛けておきながら、すぐに居心地が悪くなった様子で会話を切り上げてしまうのである。会話を引き延ばしてかかわりを持ちたいといった熱意はあまり感じられない。

 在学中に婚約を結びたいと願う貴族の娘達の方が、よほど積極的だ。

「これは多分アレよね」

「ああ。保護者から条件のいい男をものにして来いって命じられたが、本人が乗り気じゃないってところか」

「ええ」


 ロイネを引き取ったヴァーランペラ家は、建国期から続く名門ではある。

 しかし、伝統を重んじるあまりに時代の波に乗り遅れ、この十数年でいくつかの事業を手放していた。夜会の開催も最小限となり、近年では社交界での付き合いもめっきり減っている。今では往年の輝きが失われた名ばかりの旧家だ。

 しかしながら、かつてよりも暮らし向きは質素になったとはいえ、十分に貴族としての体面は保たれている。名門としての華は失われても、伯爵の堅実な仕事ぶりがそれを可能にしているのだというのが、社交界での評価だった。

 だが、ここ数年は以前の華やかさを取り戻そうと躍起になっているといい、跡取り息子と二人の娘の婚姻には随分と心を砕いていた。せめて子供たちには惨めな思いをさせたくないという親心もあったのだろうが、当人曰く、結果は芳しくなかったそうだ。

「本当はもっといいとこと縁付きたかったようだよ。現状を鑑みれば十分過ぎるとは思うんだけどね。昔を忘れられなかったのかもしれないな」

 というのはアマリアの父の弁だ。

 少なくとも少年時代までは、伯爵自身華やかな世界に身を置いていた。夜会で名家の令嬢に囲まれていた時代があった。伯爵家が豊かだった最後の時代を知っていたからこそ、栄華への渇望も人一倍強かったのかもしれない。

 聖魔力持ちのロイネを引き取ったのも、決して善意ばかりではなかっただろう。彼女を淑女に仕立て上げて実子以上の良縁を宛てがい、社交界に返り咲きたいという野心があるのだと、最近ではもっぱらの噂だ。

 出自が平民であろうと、治癒に特化した聖魔力持ちであれば、貴族と縁づくことは十分に可能だ。血筋の確かさが要求される嫡子との婚姻は難しかろうが、家を継ぐ予定がない次男三男であれば、平民との婚姻も視野に入ってくる。


 ――全ては往年の権勢を取り戻すため。


 そこまでの事情を伯爵がロイネに話したかどうかは定かではない。

 しかし、淑女教育を受けさせたいだけであれば女学院でも十分だっただろうに、敢えて高額な学費を必要とする共学のユカライネンを選んだのは、養女を政略の駒にしようという思惑が少なからずあったはずだ。

 王族や準王族を含む有力貴族の子息が通うユカライネンであれば、彼らに見初められる可能性も十分にあり得る。

 政界の重鎮や各界の実力者を数多く輩出してきたユカライネンには、権勢を強めたい野心家を惹き付けるだけの魅力があったのだ。

 ここ最近のロイネの様子を見れば、自らを売り込めという指示を与えられている可能性は十分に考えられた。

 ――しかし、ロイネ自身はあまり乗り気ではないようだった。


「……あ、やっぱり」

「すぐ離れたわね……」

 ロイネの様子を見ていれば、男漁りよりは勉学や課外活動に力を入れたがっていることは明白だ。授業態度は真面目で熱心。成績も上位をキープしていて、図書館や資料室にも足繁く通うなどして、勉学への熱意は人一倍に感じられた。

 けれども何一つ不自由のない生活をさせてくれる養父の「頼み」を無下にすることもできず、一応婚活(どりょく)はしているというアリバイ作りのために男子に接触しているのではないか――というのが二人の考えであった。

 同じように周囲の学生もそれとなく察しているようで、彼女の難しい境遇に対して概ね同情的だ。勿論口さがない者もいるにはいるが、敢えて問題にする程度ではないといったところだ。

(小説のロイネはもっと積極的だったと思ったけど、やっぱりあれはあくまでも小説で現実は違うのね)

 かの小説では、ヒーロー以外にも彼女と密接な付き合いがある男子学生が何人かいたはずだ。そして、彼らには婚約者がいるということを知っていてもなお、友人という態で関係を続けていたように思う。

(そういえばすっかり忘れてたけど、そのヒーローってクラウスなのよね。でも今のところ接触してきた様子もないし。というか、そもそも特別親しい男の子もいないみたい)

 学院で質の良い教育を受けられることに対しては、本人も前向きにとらえているようではある。むしろこれを好機として、今後の糧にしようという熱意が感じられた。

 それだけに、乗り気でもない婚活(アプローチ)をしなければならない彼女が気の毒だった。

 ――時折、どこかひどく遠いところを見るような眼差しで一人ぼんやりしていることも気に掛かる。

 そもそも、彼女は家族を事故で亡くしたばかりなのだ。喪も明けないまま恋愛に気持ちを向けるような気分には、到底なれないだろう。

 現状を辛く思っていなければよいが。

「……折を見て声を掛けてみる?」

「そうだね。それがいい」

 そんなふうに示し合わせたちょうどその翌日、思いがけずロイネの方から接触してきたのである。



 翌日もいつものように男女共用の中庭で、手作りの唐揚げ弁当(芋と玉ねぎの味噌汁付き、クラウスは味噌入りポタージュ)を楽しんでいた二人の前に近寄ってくる者がいた。

 ロイネだ。

 しかし、特別何か目的があるわけでもないようで、ただ単に「目が合っちゃったし、学院の代表生徒に挨拶くらいはしておくか」くらいのようだ。そう思えるほどに、瞳に宿る熱意が薄い。

 だからかどうか、離れた場所で待機している護衛騎士たちも、注視する程度で動くことはなかった。

 ――が。

 不意に真顔になったロイネが、次の瞬間カッと目を見開く。

 その視線はアマリア――ではなく、その手元の汁椀(保温機能付き)に注がれていた。否、注がれているという生易しいものではなかった。血走った目でガン見である。

 そしてその目付きのままずかずかと小走りで向かってきて、そのあまりの異様さにアマリアとクラウスは震えあがった。

「え、え、何?」

「なんか怖いんだけど!」

 こうなるとさすがに護衛騎士も黙って見てはいられなかったようで、ロイネを取り押さえんと駆け出した――瞬間、彼女は二人の目前に辿り着くやいなや、がばりと土下座したのである。

 惚れ惚れするほど見事なスライディング土下座を決めた彼女は、声高らかにこう宣った。

「無礼を承知でお願い申し上げ奉ります……!」

 それはまるで時代劇で見た直訴の光景のようであったと、後にアマリアはそう述懐している。「仕る、仕る!」という幻聴さえ聞こえるようであったと。

 固まる二人と護衛騎士をよそに、ロイネは必死の形相で言葉をつづけた。

「何卒その味噌汁を、このわたくしめに譲ってはいただけませんか。一口でよいのです。何卒、何卒……!」

 え、そんなに腹減ってるの、と呆気にとられるクラウスの横で、アマリアは驚愕した。


 この少女は今、初見のはずの汁物を味噌汁と言い切った。それも発音正しくである。まさかとは思うがこのヒロイン、もしかして前世日本人(同郷)ではあるまいか。


 色々と問い詰めたいことはあるが、ともあれまずこの場を収めなければなるまい。

「た、食べかけでよければどうぞ」

 そっと差し出した汁椀を両手で恭しく受け取ったロイネは、「ありがたく頂戴いたします」と呟き、それを掲げ持つようにして一礼した。

 なんだか時代劇のワンシーン、主従固めの儀式のようである。その件に関しては後にロイネも「身分が上の人に対する作法をなんとか知ってる限りの知識でやろうとしたらそうなった」と述懐した。祖父母に付き合って時代劇を見るのが好きだったとも。

 それはさておき、一つ深呼吸したロイネは味噌汁を静かに口に含む。じっくり味わうようにして口内で転がし、そしてゆっくり飲み下した彼女は目を閉じた。

 その瞼から零れ落ちた雫が一筋、頬を伝う。

「――我が故郷はここに在った……」

「おい、なんかえらく渋い名台詞っぽいの吐いたぞ」

 ふんわりとした銀髪の美少女が口にするにはおよそ似付かわしくない台詞に、護衛騎士を下がらせながらクラウスはそのような感想を述べた。確かに旅情物の舞台のキャッチコピーにでも使われそうな文言だ。

 しかしアマリアはそれどころではなかった。

 なにせ、どう考えてもロイネは前世日本人である。いや、異世界転生ではなく現地転生の東方人である可能性も捨てきれない。彼女はどちらなのだろうか。

 だが、その疑問はすぐ氷解した。

「日本の味だぁ……」

 感慨深く吐き出された彼女の言葉を耳聡く拾ったアマリアは、汁椀を抱えたままのロイネの手をそっと両手で包み込んだ。

「……貴女も、同郷だったのね」

「えっ?」

「良かったら唐揚げも食べる? おにぎりと卵焼きもあるわよ」

「なんと!! いいんですか!? ゴチになります!」

「……なんだかよく分からんが、どうにも見た目と台詞の乖離が酷い」

 半分分け与えたアマリアの弁当をそれはそれは嬉しそうに咀嚼して、ついでにまた涙を流しているロイネにクラウスはドン引きだ。見守る護衛騎士も名状しがたい表情である。

 それにも構わず弁当を完食したロイネは、目の前でパンッ! と手のひらを合わせて「ご馳走様でした!」と満足気だ。

「いい食べっぷりだったわ」

「すみません、夢にまで見た十六年ぶりの和食につい我を忘れてしまいました。一度思い出したら食べたくて食べたくてしょうがなくなっちゃって、作ろうにも肝心の味噌とか醤油がないし、買いたくてもあれってまだ高級品で品数も少なくてそう簡単には手に入らないじゃないですか。なのに最近じゃすっかり和食の口になっちゃって正直詰んだーって思ってたんですよね。だから超ひっさしぶりに味噌汁見て、これが食べられるならもう今ここで死んでもいいって思ったくらいに限界きてたんですよ。いやもうほんとに、生き返った気分です。女神(アマテラス)はここに在り」

「すげぇ早口」

「てか、アマリア様も日本人だったんですねぇ」

「ということは、やっぱりそういうことなのね」

「はい、そういうことです」

「じゃあ、攻略がおざなりだったのもそのせい?」

「え、攻略ってなんですか」

「え?」

「え?」


 要するにロイネは前世日本人の転生者ではあったものの、小説云々については全く存じ上げないそうだ。


「まあ普通はそうよね。何百何千と存在した小説の一つをいちいち覚えてるなんて、そうはないわよね。よっぽど好きで周回してたのならともかく」

「そういうジャンルの漫画とかはたまーに無料のを読んだりするくらいでしたよ。どっちかっていうとアプリゲームで遊んでることの方が多かったですね。マージゲームとかやりまくってました」

「スイカ作るのとか?」

「あっそれすっごいはまりましたよ! やり過ぎて黒板の文字が全部例の果物に見えるくらい」

「分かる」

「こっちで思い出してからしばらくは、果物見るたびに勝手に脳内で積み上げてましたもん」

「分かる……! 末期になると本や書類の文字が上から落ち始める幻覚が見えるのよね」

「ですよね!」

「……俺はさっぱり分からんぞ」

 完全に置いてけぼりで困惑顔のクラウスにはさすがに黙っているわけにもいかず、だいぶ端折って説明した。

「なるほど、つまり前世で二人は同郷だったと。そういう解釈でいいんだな?」

「はい」

「うっす」

「と、いうことは、だ」

「……はい」

「……っす」

 二人揃って頭おかしいんじゃないかと突っ込まれる予感。

 が、しかし、身構える少女二人に王子殿下が言い放った言葉は想定外のものだった。

「美味い飯のレパートリーが増える可能性が出てきたってことだな!」

「そっちかーい!」

 ロイネのツッコミがびしりと決まる。

「貴女結構ノリいいわよね」

「人生ノリツッコミでだいたい乗り切れる教信者です」

「なるほど」

「待て、なんだそのトンチキな宗教は」

「それはさておき」

「さておくな!」

「私前世ではまだ中学生――あ、ええと殿下、中等教育っていうと通じます?――で、ご飯はがっつりお母さんに頼りっぱなしだったんで、あんまり料理は期待しないでもらえると助かります」

「………………………………。そうなのか…………………………」

「……殿下めっちゃ凹むじゃん……」

「……というか貴女まだ中学生だったの……」

「……アマリア様めっちゃ凹むじゃん……」

「……唐揚げでも味噌カツでも照り焼きでも、なんでも好きなもの作ってあげるわ……!」

「えっ、マジですか! あの、キャベツと豚薄切りのミルフィーユ鍋ってできます!?」

「勿論よ! そういえばまだやったことなかったわね。今度食事にお招きするわ」

「やった! ありがとうございます!」

「勿論ポン酢もあるわよ!」

「うっそだろマジかよ! アマリア様女神過ぎる! 一生付いていきます!」

「ちょっと待て俺まだそれ食ったことないぞ!」


 小説の世界に転生だなんてそっちのけ。

 上流階級らしい小難しい話や少年少女らしい恋バナなどこの場には微塵も存在せず、食い気が勝るのは育ち盛り食べ盛りの年頃ゆえだ。

 アマリアとロイネは懐かしい料理に大盛り上がりで、クラウスはなんとかご相伴に与ろうと必死になっている。それを見守る護衛騎士はなんとも言えない表情で顔を見合わせ、そしてそのうちの一人がぽつりと言った。

「……なんか、腹減ってきた……」

「俺も……」

 ――なんだかんだで平和な、とある名門学院の一幕なのである。

ロイネさん、多分前世の自室には果物積むゲームのグッズと、万事屋や上様や火付盗賊改方のアクスタ飾ってる。

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