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婚約破棄された勇者、戦友の令嬢から溺愛される  作者: アレセイア
第二章

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第8話

「では、何かありましたらお呼びください」


 失礼します。そう頭を下げてマーロック家の使用人は部屋を後にした。それを見届けてからアヤトは小さく吐息をこぼし、手近な椅子に腰を下ろす。

 何気なく窓の外に視線を向ければ、すでに日は暮れていた。


(――もう夜、か)


 今日一日はあっという間に過ぎ去っていた。

 茶室でゲオルグと挨拶した後は場所を移し、三人で昼食を取りながら今後のことを話し、アヤトがしばらくの間、正式にこの屋敷に逗留することが決まった。

 正直、早々に王都を引き払い、軍に戻ることも考えていたのだが、ゲオルグが眉を寄せながら引き留めたのだ。


『それはオススメしないな。先も言ったが、この件が知れ渡れば他の貴族がすぐさまちょっかいを掛けてくる。軍にはすぐ戻る必要はないのだろう?』

『ええ、一応、一月ほど休暇は取っていますが』

『ならば、しばらくは様子見でも良いのではないかな。軍よりはここにいた方が確実に他の貴族の干渉を防ぐことはできる。無論、貴族の干渉を厭わないというのなら、無理強いはしないのだが――』


 その言葉は利権を意識して、というよりも、アヤトを本当に気遣っているように感じられた。その様子に思わずアヤトは少しだけ苦笑してしまった。


(こういうところはルナに似ておられる)


 計算高い面や気遣うところはそっくりだ。

 ついでに言えば、変なところで勘違いして先走ってしまう点も、だが。


『アヤトさん、折角だからゆっくりしていってください。落ち着いてからでも、遅くないと思います。軍には手紙を出しておけばいいですし』

『――なら、お言葉に甘えさせていただきます』


 ルナリアの後押しにも頷き、ゲオルグは微笑んで頷いてくれた。

 その昼食の後は、ルナリアが屋敷を隅々まで案内してくれた。アヤトがここに逗留することが嬉しかったのか、楽しそうな笑顔が印象的だった。

 そんな彼女と昔話に花を咲かせながら歩き回れば、あっという間に時間が過ぎ去っていた。まるで昔の頃の彼女と話しているようで、アヤトも楽しんでしまった。


 だからだろうか――この瞬間、一人でいるとどこか落ち着かない。

 そして、その思考が行きつくのはやはり、クラリッサのことだった。


(やはり、蔑ろにし過ぎたか――)


 アヤトとクラリッサは政略結婚であり、二人の間に愛があったわけではない。だが、婚約した頃の彼女はアヤトのことを嫌っていなかった。

 むしろ、嬉々として彼の傍について回り、一緒にいようとしてくれた。


『お話ししましょう、アヤト様!』


 クラリッサはアヤトの話を聞きたがり、また自分のこともよく話してくれた。その頃はまだ幼かったということもあり、とても無邪気で可愛らしい少女で。

 アヤトは一緒に話すたびに、彼女と婚約できた幸せを噛みしめ。

 必ず、クラリッサを幸せにしよう。

 この子が笑っていられる世界にしよう。

 そう思って前線にいるときも彼女の笑顔を思い出し、それを糧に剣を振るってきたのだ。会えない時間は手紙を送っていたのだが――。

 彼女が望んでいたのは手紙ではなく、実際に傍にいてくれる人だったのだろう。


(……ダメだな。俺は。いつも肝心なところで間違って。それに気づいたところで、時はすでに遅し、か――)


 気づけば気分はだんだんと滅入ってきていた。小さくため息をこぼすと、首を振りながら椅子から立ち上がった。

 もう寝てしまおう。そう思いながらベッドに足を向け――。


 不意に、扉を叩く音が部屋の中に響き渡った。


「――アヤトさん、まだ起きていますか?」


 ルナリアの声だった。その声に吐息をこぼし、振り返りながら声を掛ける。


「ああ。開いているから入っていいぞ」

「失礼します――」


 ゆっくりと扉が開き、遠慮がちに入ってくるルナリア。その彼女の姿に少しだけアヤトは目を丸くする。その格好はシャツにズボン――まるで軍にいる頃と同じ姿だ。

 彼女はアヤトの顔を見ると、申し訳なさそうに訊ねる。


「すみません、お休みになるところでしたか?」

「いや――大丈夫だが」


 アヤトは一つ瞬きをしてから、苦笑して軽口を叩いた。


「夜這いか? 手を出さないと聞いていたんだがな」

「ち、違います……! それならもっと色気のある格好をしてきます……!」


 ルナリアは唇を尖らせ、拗ねた口調で告げる。それから自分の格好を見せるように両腕を広げ、上目遣いで告げる。


「この格好なら昔みたいに、夜にお喋りできるかと思って」

「ああ――なるほど」


 前線の野営地ではアヤトとルナリアは同じ天幕で寝泊まりしていた。

 というのも、欲望を持て余した兵士の十数人が結託し、ルナリアを襲おうとした事件が発生したことがあったのだ。そのときはアヤトがいち早く異変に気付き、襲われる前にその兵たちを叩きのめしたので、事なきを得た。

 だが、同じことが起きるとは限らないため、ルナリアの強い希望で野営地で過ごすときはアヤトと同じ天幕で過ごすようになったのである。


「野営のときはよく寝るまで、くだらない話をしたっけな」

「はい、本当にくだらない話ですけどねぇ」


 そう言いながらルナリアは一旦廊下に出て、何かを部屋に引っ張り込んでくる。大きな布の塊――いや、布団だ。それを彼女は上機嫌そうにベッドの傍に敷き始める。


「……ここで寝るつもりか?」


 呆れながら訊ねれば、ルナリアは手を止めてへにゃりと眉尻を下げた。


「……ダメ、ですか? 誓って手を出すつもりはないのですが……」

「まぁ……ダメではない。むしろ、今さらだろう?」


 何度も同じ天幕で寝て、その時は一切の過ちをお互いに起こしていない。着替えや裸を見てしまうとか、そういったアクシデントはお互いにあったが。

 アヤトは軽く笑いながらベッドに腰を下ろすと、ルナリアは安堵したように吐息をこぼし、それから丹念に布団を敷いていく。一本に結った銀髪は犬の尻尾のように上機嫌に揺れ、楽しそうにしている雰囲気が伝わってくる。

 それを眺めていると、ふとふわりと湿り気を帯びた香りが鼻を掠める。


(――ああ、そうか。ルナも湯を浴びた後か)


 だから、だろうか。肌は湿り気を帯び、白いシャツが少し透けているようにも見える。何となく気まずくなり、視線を別の方向に向けると、ルナリアは四つん這いになりながら布団を伸ばし始める。


「よいしょ、っと――こっち寄りの方が良さそうかな……」


 そう言いながらルナリアがアヤトに背を向けると、逸らした視界の中に彼女の尻が目に入った。ズボンがぴっちりしているせいか、そのボディラインがはっきり強調され。

 瞬間、脳裏に昨日のルナリアの姿が蘇る。

 ベッドの上で腰を揺らして誘う、ルナリアのあの姿が――。


(――っ、一体何を考えているんだ、俺は……っ)


 慌てて頭を振ると、顔を上げたルナリアがきょとんとする。


「どうかしました? もしかして虫でも――」

「い、いや、なんでもない、髪の毛が目に掛かってな」

「ふふ、そうでしたか。アヤトさん、大分髪伸びましたものね」


 くすり、と笑いながらルナリアは体勢を立て直し、ぺたんと布団の上で足を崩してアヤトの顔を見上げる。その表情は昔、話していた頃と同じ寛いだ表情だ。

 それから目を輝かせ、子犬のように期待する眼差しを向けてくる。


「それじゃあ、久々に夜のお喋り、しましょうか」

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