第7話
「まず初めに――アヤト殿、事情はルナリアからすでに聞いているよ」
ゲオルグは畳に腰を下ろすと、茶を待たずにその言葉を切り出した。
傍らで茶を点てるルナリアは眉を寄せ、アヤトを気遣うように見る。アヤトは軽く頷いて大丈夫だ、と伝えると、視線をゲオルグに向けた。
「ということは、婚約解消の件は全て?」
「ああ。さぞつらかったことだろう。心からお見舞い申し上げる」
ゲオルグはため息をつくと、沈痛な面持ちで言葉を続けた。
「軽く裏を取ったが、今回の婚約解消は一方的なものであり、もはや婚約破棄と言っても過言ではない。私も聞いたときは耳を疑ったものだ」
「はは……己の不明を恥じるばかりです」
「いや、そのようなことはない。この件にアヤト殿の過ちは一切ない」
ゲオルグのきっぱりとした口調に、アヤトは思わず顔を上げて目を見開く。彼は厳めしい顔つきをしながらも、しっかりとした眼差しで見つめてくる。
「そもそも王家主導の婚約は、この社会で一番、解消されてはならない婚約なのだ。余程の理由がない限りだが。そして、私が調べたところ、アヤト殿に落ち度は全くない。ともあれば、これはつまり――」
「兄上、どうぞ」
ルナリアが言葉を遮ると、兄の前に茶を置いた。彼は口を噤むと、軽く頷いてそのお茶を口に運んだ。言いかけた言葉を茶と共に呑み込む。
しばらくの沈黙の後、ゲオルグはアヤトを真っ直ぐに見て告げる。
「妹からの進言もあるが、私個人としてもアヤト殿を全面的に支持する。いつでもこの屋敷に逗留して構わない」
「そう言っていただけると、ありがたいです」
「なんの。明け透けに申し上げれば、勇者殿の滞在は我々にもメリットがあるんだ」
頭を下げたアヤトにゲオルグはからりと笑いながら、軽く手を振った。
「――メリット、ですか」
「左様。言いづらいことを申し上げるが、勇者殿が王女から婚約破棄された――ということは、婚約者の座を狙って再び貴族たちが動き始めることになる。それは王女殿下だけでなく、勇者殿、貴方に対してもだ」
「俺に……? 婚約破棄された男ですよ?」
「目端の利く貴族なら、正しい判断ができるはずだ」
それに、とゲオルグは言葉を続ける。
「勇者殿は数年前まで苦境にあった戦況を覆した、まさに国家の希望――それを取り入れるだけで領民の支持を大いに得られる」
「――なるほど、確かに」
アヤトは一つ頷きながら、わずかに目を細めた。
「そして、それをマーロック子爵殿も狙っておられる、とか?」
「否定しないよ。アヤト殿」
ゲオルグは平然と認めてみせる。まだ若いが、聡明さを感じさせる眼差しで彼はアヤトを見つめながら淡々と告げる。
「むしろ我が家のことを考えるならば、勇者殿がのこのこ我が家に足を踏み入れたこの機会が最大の好機。他家の手が及ばないように軟禁し、強引にでもルナリアと婚約を結ばせてしまうのが一番――」
そう言いかけた瞬間、かつん、と鋭い音が茶室に響き渡った。
視線を音の方に向ければ、そこではルナリアが茶碗に抹茶を掬う茶杓を打ち付けたところだった。それからゆらりと視線を上げると、彼女はにこりと微笑む。
「兄上、ご冗談は程々に」
「す、すまん」
ゲオルグは焦りを滲ませながら軽く首を振ると、慌てた口調で告げる。
「む、無論、今のは冗談、z冗談だ。そのようなことは微塵も考えていない。むしろ、ルナリアの恩人たる方にそのような真似ができるはずがないからね」
その言葉にルナリアはうんうんと頷きながら茶を再び点て始める。淀みのない茶を点てる音にほっとゲオルグは小さく安堵の息をこぼした。
(――ルナに配慮……いや、恐れた?)
思わずアヤトは眉を寄せる。
立場的にはマーロック家当主であるゲオルグの方が上なのだ。ならば、ルナリアに遠慮せずに自身の方針を貫けばいいはずだ。
現にルナリアは当主の命令に背けず、軍を除隊して王都に戻ったのだから――。
(いや、待てよ――)
はたと思い出し、アヤトはゲオルグを見てさりげなく訊ねる。
「そういえば今更ではありますが、マーロック家の当主はお父様だったと思いますが」
「――ああ、実は去年、急な病にかかってな。私が後を継ぐことになった。アヤト殿は聞いていなかったのかな」
「ええ、まぁ」
ちら、とルナリアと見る。彼女は素知らぬ顔で点てたお茶を差し出してくる。
去年、ということは恐らく、彼女がこの王都に戻ってからだろう。文通はしていたので、伝える機会はあったが――。
この表情を見る限り、わざと伝えていなかったのだろう。
ゲオルグもどこか奥歯に物が挟まったような言い方だ。彼は視線を泳がせてから、わずかに苦笑を滲ませて小さく告げた。
「我が家のことだ――あまり詮索しないで欲しい。ともすれば、私すら病気になりかねん話でね」
「――なるほど、承知しました」
理解した。病気というのは、恐らく方便なのだろう。
このマーロック家内で権力闘争、暗闘が繰り広げられた末に、前当主であるゲオルグとルナリアの父は引退させられたのだ。
そして現在、ゲオルグはその当主の座についている。
ルナリアの顔色を窺いながら。
「父上も病を患わなければ判断を誤らなかったでしょうに。私を政略結婚の道具にしようなど、思わなければ――」
そのルナリアは平然とした顔でそう宣いながら茶を飲んでいる。その姿にアヤトは口を噤み、ゲオルグは無言で押し黙る。その額には脂汗が浮かび始めている。
彼女はちらりとゲオルグを見て、にこりと微笑んだ。
「兄上はご理解されていますよね? 我が家の方針を」
「む、無論だ――アヤト殿を丁重にもてなし、決して不利益になることをしない」
「ふふ、良かったです。兄上が健康なご様子で」
ルナリアは上機嫌そうに頷き、ゲオルグは力なく笑ってアヤトを見る。
「――勇者殿、ルナリアをどんな風に鍛えたんだ?」
「どうと申されても――戦場のこと、と申しますか」
「本人曰く、アヤト殿の薫陶、だそうだが」
そう言われても心当たりがあるはずがない。アヤトは困惑しながらルナリアを見ると、彼女は表情を一転、拳を握りしめて無邪気に笑ってみせる。
「頑張りました。アヤトさん」
「そう、か――頑張ったか」
何を、と聞くのが恐ろしい。
少しアヤトは遠い目をしてから、うん、と一つ頷いて思考を投げ捨てた。
「なら、良し、だな」
「はい、良し、です」
アヤトとルナリアは顔を見合わせて笑い合い、そこにゲオルグの乾いた笑いが加わる。茶室にはしばらくの間、笑い声が響き渡っていた。




