第61話
ルナリア視点
アヤトの気迫が研ぎ澄まされていく。
その様子は後ろに立っているルナリアにもよく分かった。全ての雑念が消え去り、全ての思考が戦いに特化されていく。まるで彼自身が一振りの刃になるように。
ルナリアは少し距離を取りながら、わずかに目を細めた。
(――久々に彼の本気が見られそうです)
近衛兵たちとの戦い、刺客との戦い、ルナリアやレイラとの手合わせ――。
そのいずれも彼は一切本気を出していなかった。辺りに目を配り、軽口すら叩く余裕すらあったのだ。だが、今の彼はそれを全て捨て去っている。
目の前の魔族を討ち果たす――それに全力を注ごうとしているのだ。
「ハハハ、一人デ戦オウトイウノカ、蛮勇ヨナ!」
そのことに気づかず、異形と化した王は地面を踏み鳴らしながら目に進み出た。その巨躯はマーク以上――見上げなければならないほどの巨体になっている。
だが、アヤトには動揺はない。
当然だ。この状態になった彼の思考の曇りはなくなる。例え敵が魔王だろうが、神だろうが、敵と見定めた相手を斬り伏せるまで止まらない。
(――そして蛮勇なのは、どちらでしょうね)
ルナリアが目を細めた瞬間、シグバードは前に進み出ると同時に腕を突き出した。その腕が蠢いたかと思えば、直後、肉の触手が無数に飛び出した。
それが四方から一斉にアヤトに飛び掛かり――瞬間、彼の剣が一閃した。
それだけで無数の触手が弾かれたように斬り飛ばされた。
「――ナ、ニ?」
その光景にシグバードは瞠目する。その中でアヤトは軽く剣を血振りするように一閃し、冷めた視線を異形に向ける。
そんなものか、と見下した眼差し。それに異形の王は怒りに吼える。
「舐メルナ――!」
今度は両腕を突き出し、さらに密度を増やしながら肉腫の波状攻撃を仕掛ける。それをアヤトは見据えながら地を蹴って動いた。
立ち位置を変えるだけで迫り来る肉腫を回避しながら、その動きに合わせて刃を振るって肉腫を次々と斬り落とす。その動きに淀みがなく、肉腫が彼の身体に一本たりとも触れることはない。
(あの人がどれだけの魔族と斬り合ってきたか、ご存知ないのでしょうね。陛下は)
その数は百、二百では下らない。当然、凄まじいほどの異形とも戦ったことがある。それに比べれば、今のシグバードは魔族以下の存在――。
どんな質量、どんな熱量を以てしても、彼を圧倒できるはずがない。
(むしろ、彼からすればこんな手間をかけずに一刀両断できるのでしょうが)
アヤトは向かってくる肉腫を全て叩き斬ることに専念。その姿にシグバードが微かに焦って表情を歪めた瞬間、アヤトは地を蹴った。
肉腫の連続攻撃の切れ目。その間隙に一瞬にして距離を詰める。
向かってくる肉腫を閃いた刃が斬り落とすと同時に、身体を低くして加速――瞬時にシグバードの懐に飛び込み、その勢いのままに飛び蹴りを放った。
衝撃音と共に後ろによろめくシグバード。だが、すぐに体勢を立て直すと咆吼と共に地を蹴り、アヤトへ襲い掛かる。
(遠距離では埒が明かないと踏みましたね。でも――)
そこは、剣の間合いだ。
アヤトの爪先に力が込められた直後、彼は地を蹴りながら身体を低くする。その急な動きに一瞬にしてシグバードの視界から消える。
その間に彼は彼の側面を取っていた。跳ね上げた刃が彼の脇腹をしたたかに引き裂く。
「グ、オオオオオオオッ!」
振り返り様、丸太のような腕を薙ぎ払う。だが、そこにはすでに彼の姿はなく、真後ろに回り込んで袈裟懸けに斬りつける。
一撃一撃が重く、深い。血飛沫が舞い上がり、シグバードは濁った呻きをこぼす。
だが、その身体はすぐに肉が盛り上がり、傷が塞がっていく。
(自然治癒能力は高いですが――)
ルナリアもただ黙ってその光景を見ているだけではない。魔力を集中させ、シグバードの周囲を探り――流れ込んでいる魔力の流れを突き止める。
そして、魔術式を密かに組みながら視線をアヤトに向ける。
アヤトの気迫はさらに増し、動きは目にも留まらなくなっていた。側面に回り込んで斬った、かと思えば、背後から突きを放ち、振り返る頃には姿を消す。
それに苛立ってシグバードは闇雲に暴れるが、その瞬間には距離を取って真空刃で中距離から容赦なく叩く。彼の狙いは一貫して血管や関節部――。
回復されても、回復されても、ひたすらに叩いていく。
その一方的な戦いの幕切れは、一瞬で訪れた。
「オオオ、オ、オ――ッ?」
アヤトが馳せ違い様に足の腱を斬った瞬間、シグバードの身体ががくんと沈み込んだ。踏ん張ろうとするが、そのまま膝をつく。その表情に浮かぶのは困惑だ。
その隙をアヤトが逃すはずがない。
再びアヤトは地を蹴ると、今一度馳せ違う。直後、シグバードの全身に斬線が迸り、血飛沫が舞い上がった。
「グ、オオオオオオ――ッ!?」
断末魔の絶叫――傷口は塞がらず、痛みに異形の王が悶絶する。肉は千切れ、腕も千切れかかっている。もはや戦闘継続は不可能だ。
その姿にアヤトは吐息をこぼすと、緩やかに剣の切っ先を下げた。
気迫を解き、静かに告げる。
「その無茶な回復が、いつまで続くはずもない――よく頑張られましたが、もう限界でしょう。どうやら、どなたかが援助していたようですが、その力も尽きたようですし」
アヤトはそう言いながらルナリアを見る。ルナリアは一つ頷きながら、杖を掲げて魔力を解き放つ。準備していた魔術式が起動し、光の鎖が空中から迸り。
虚空の一か所に集中――直後、悲鳴と共に何かを縛り上げた。
「ぁ、ああぁぁっ、何故、ここが――っ」
「分かって当たり前でしょう。あれだけ魔力を垂れ流せば」
最初、アヤトが真空刃の連撃を放ったのは、シグバードを痛めつけるためではない。どこまで回復するかを見極めるためだった。
シグバードが魔術式で魔族化したとしても、元はただの人間。
回復に費やせる魔力量はたかが知れているはず。だが、彼の回復の様子が衰える様子はなかった。つまり、彼の回復を手助けしている存在がいるのは明白だった。
だからこそ、それを炙り出すために、アヤトはシグバードを斬り刻んだ。
回復のために送り込まれる魔力の出処を突き止めるために。
「そうでなければ、こんな雑魚相手に時間をかけたりしません。時間の無駄です」
「――雑魚、ダト……っ、コノ王ニ向カッテ――」
「ええ、雑魚ですし、愚王ですよ。魔族と取引して醜くなった陛下」
ため息を一つつき、ルナリアは半眼を向ける。そして、これまでの鬱憤を晴らすように、彼女は言葉を続けた。
「臣下に耳を傾けず、都合のいいことだけ耳を傾けた末路です。アヤトさんは本当に国を憂い、国を救うために戦い続けたというのに」
「それくらいにしておけ。ルナ――」
アヤトの言葉は、乾ききっていた。視線を向ければ、彼は何の感情を込めずにただ淡々と王を見据えながら剣を構えている。
(確かに、そうですね――時間が勿体ない)
ルナリアが場所を空けると、代わりにアヤトが前に進み出た。ゆらりと剣を頭上で構えた姿に、初めて王の目に恐怖が浮かぶ。
「ルナ、生かす意味は?」
「ありません。どうぞ」
淡白な二人のやり取りに、王は引きつった声をこぼした。
「マ、待テ、我ハ王ゾ――」
アヤトは耳をもはや傾けず、ただ刃を一閃させた。
直後、どさり、と音を立てて魔族の身体が崩れ落ちた。
「あ、あ、貴方、自国の、王を――っ!」
その光景に光の鎖で拘束された虚空から悲鳴がこぼれた。ルナリアは眉を寄せながら軽く指を弾けば、虚空が歪んで一人の女が姿を現した。
漆黒の翼を持つ、魔族の女だ。その女は震える声で叫んだ。
「貴方、何をしでかしたか――」
「魔族を、斬ったまでだ」
アヤトの声はあまりにも落ち着き払っていた。凍てついた眼差しで魔族の女を見上げ、低い声で言葉を続ける。
「それが王であろうと、誰であろうと変わりはない――この人は敵だった」
「敵であれば、情けをかける余裕はありませんね。あったら、死にますから」
この魔族も、シグバード王も、戦場で戦った者たちを侮り過ぎだ。ルナリアはそう言葉を続けながら、魔力を込める。瞬間、光の鎖が魔族を締め上げる。
それに息を詰まらせた魔族の女は次の瞬間、意識を失ってぐったりとなった。
「――生かすのか? ルナ」
「はい、こちらはまだ使い道が。逃げられないように厳重に拘束します」
「ん、了解した」
アヤトはそう言うと軽く血振りをし、剣を鞘に納めてから目を細める。
「なら、後始末をして早く帰ろう――戦いは、もう終わりだ」
そう告げた彼の雰囲気には柔和な物腰が戻っていた。
先ほどまでの冷静さや淡白さ――刃のような鋭さはない。その眼差しに自然とルナリアは吐息をこぼし、はい、と頷いて微笑む。
そして、ルナリアはアヤトと共に玉座の間を後にする――。
後に残されたのは、血だまりに倒れる異形の王の姿だけだった。




