第60話
玉座の間は静まり返っていた。
背後で響き渡る喧騒が遠くに聞こえるほどの静寂。その最奥には一人の男が玉座に座って待ち受けている。その気配は人間とは思えないほど魔力を感じさせる。
アヤトとルナリアは軽く頷き合うと、ゆっくりと前に進んでいく。
やがて、その玉座まで充分近づくと、尊大な声が発せられた。
「控えよ。王の面前であるぞ」
その言葉にアヤトとルナリアは足を止めて玉座を見据える。そこにいたのは紛れもなく、この国の統治者であるシグバード王だ。
まだ顔つきは若く、その瞳には荒々しい光があり、二人を睨みつけている。
他の近衛兵とは明らかに様子が違う――ただ、洗脳されたわけではなさそうだ。
だが、アヤトは臆することなく、堂々と顔を上げる。
「陛下に謹んで申し上げます。何故、このような蛮行を」
「貴様たちという売国奴を誅するためである」
「――売国奴、ですか?」
たまらずルナリアは怪訝な声を上げる。そうだ、と陛下は憎しみを込めた言葉を続ける。
「おかしいと思っていた。貴様たちの戦果はあまりにも目覚ましすぎる。一方で近年は魔王軍との戦いを避けて拮抗――これが示すのは、明白よ」
彼は拳を玉座のひじ掛けに叩きつけ、吼えるように続ける。
「貴様たちは魔王軍と取引し、この茶番を繰り広げたのだ! ありもしない戦いを捏造し、戦果を過大に申し立てて、恩賞や称号を得るために!」
「――はぁ?」
思わずアヤトは低い声がこぼれる。不敬だとは思ったが止められなかった。ルナリアも呆れ返ったように吐息をこぼし、半眼を王に向ける。
「陛下、軍監の報告はお聞きになってなられないのでしょうか」
「白々しい。その軍監を買収し、虚偽の報告をさせたのはお前たちであろう」
「各軍からも報告があります。それを検証すれば、真実はお分かりいただけると思いますが」
「全て口裏を合わせていよう。そのような報告、聞く気にもなれん」
「……ダメですね、これは」
ルナリアはやれやれと首を振る。彼女も敬意を示すことを放棄したようだ。アヤトとルナリアは視線を交わし合ってから、アヤトは静かに前に進み出る。
「私どもをどのように表するかは、陛下のご一存。故に、そのようなお考えであれば、我々は王国から離れさせていただきます」
「罪人にそんな自由があると思っているのか」
(……罪人、と来たか)
ちなみにこの国で罪の是非を決めるのは、王ではない。きちんとした司法機関によって有罪か無罪かが決められるのだ。
その国の根幹すら見誤っている――ただ、それを指摘するのも無駄だろう。
だから、アヤトは剣を抜きながら静かに告げる。
「罪があるとすれば――それは陛下、貴方です」
「なん、だと……?」
「事情はどうあれ、民を守るはずの近衛兵たちは民に刃を向け、混乱を招いた。その責任は陛下が取らねばなりません。それでも、自身の責任を取られないのであれば」
アヤトは切っ先を王に突きつけ、はっきりと告げる。
「国に仕える者として――その道を正させていただく」
「それが陛下に対する最後の奉公になりそうですね」
ルナリアも杖を抜くと、魔力を迸らせる。その臨戦態勢にシグバードは睨みつけ続けていたが、やがて不気味な笑い声を響かせる。
「は、はは――ははハハはっ、よくも抜かしおる……っ!」
その言葉と共に、王の身体からどくんと不気味な魔力の波動が放たれた。魔族由来の不気味な波動と共に、ぼこり、ぼこりと王の身体が歪んでいく。
肉が盛り上がるような動きに、アヤトは驚いたのは一瞬。すぐに気を引き締める。
「自爆か――?」
「いえ、違います! 身体強化に近い術式――だけど、なんて禍々しい……っ」
「なら、術式が完成する前に――!」
アヤトとルナリアは瞬時に頷き合い、同時に動き出す。
アヤトは前に一歩踏み出しながら刃を振るい、ルナリアは練り上げた魔力を術式に載せて打ち出す。真空刃と閃光の槍が一瞬にして王に向かって叩きつけられ。
突如、黒い靄が湧き上がり、その攻撃が受け止められる。
「――っ、何者かの妨害ですっ!」
瞬時にルナリアは杖を構え直す。同時に周りに迸っていた魔力が切り替わり、別の術式を組み上げる。それに合わせてアヤトは再び真空刃を放った。
ルナリアの周囲から光の粒子を纏った一陣の風が吹き抜ける。
それが黒い靄の壁を一気にかき消す。その直後に真空刃は駆け抜け――。
不気味に肉が盛り上がった腕が、それを弾き飛ばしていた。
「不敬――不敬、で、アルゾ……アヤト・カンナギ……っ!」
黒い靄の残滓。その中からゆっくりと玉座から立ち上がったのは、異形だった。
身体中で赤黒い肉が盛り上がり、その足や腕はまるで歪な筋肉の塊のように膨れ上がっている。顔の半分も肉腫に覆われ、端正な顔立ちは見る影もない。
その姿にアヤトは目を眇めながら、さらに刃で宙を斬る。放たれた無数の真空刃がその身体を引き裂き、血飛沫を上げる。
だが、直後にはその肉腫が盛り上がって傷口が埋まっていく。それにシグバードは全能感に浸るように哄笑を上げていた。
「ふ、フハはハハッ! 弱イッ! 弱イゾ! 勇者――!」
アヤトはその声に何の反応も示さず、ひたすらに剣を振るって真空刃を放ち続ける。肉を断ち切り、血管を斬り、顔から足先まで攻撃――。
だが、異形と化したシグバードは動じない。
むしろ、自身の力を誇示するように立ち、笑い声を響かせている。
その様子にアヤトは小さく吐息をこぼした。
(こうなった以上はもう致し方ない、か)
人間なら生け捕りにする余地はあった。
だが、シグバードはすでに魔の領域に堕ちている――生かす道理は、ないのだ。アヤトは視線をルナリアに向ければ、小さく一つ頷いた。
「アヤトさん、お任せします」
その意図を正しく汲み取り、アヤトは前に進み出ながら剣をゆっくりと構える。
そして正眼に構えた瞬間――彼の心から一切の雑念が抜け落ちた。




