第62話
「――終わった、か」
アヤトはマーロック家の屋敷に戻り、部屋で一息ついていた。
視線を外に向ければ、夕暮れ――その中で王都の混乱は静まろうとしていた。テオドール将軍指揮下の元、完全に第七軍が王都の治安を安定させていた。
一連の騒動では王城は陥落し、政府機能を管轄するほとんどの人が洗脳された。
それだけに一時的に国としての機能は麻痺するだろう。だが、結果的に王都が魔族の手に落ち、破滅的な被害を受けることは避けられた。
王城のことは、テオドール将軍に全て任せた。後は彼がどうにかするだろう。
何となく気が抜け、アヤトはぼんやりしていると、ふと扉が叩かれた。
「ルナリアです。アヤトさん、今いいですか?」
「ん、ああ、もちろん」
応じると、ルナリアが部屋に入ってきて一礼する。簡単に身体を清めたのか、その顔つきはさっぱりし、衣服も改められている。
その服装はいつもの軍装ではなく、令嬢のような姿だ。
それに目を丸くしていると、ルナリアは少しだけ苦笑する。
「すみません、この後、然るお方とお会いせねばならないので。それのご相談に来たのですが――少し、お疲れですか?」
「いや、そういうわけではなくて――気が抜けたんだ」
アヤトは吐息を一つつきながら、ルナリアを見て小さく笑った。
「想定外の形とはいえ、終わった、わけだからな」
「――確かに、そうですね。これで一段落、です」
ルナリアは手頃な椅子に腰を下ろし、アヤトに向き合った。淡い化粧をした彼女の睫毛が揺れ、瞳が柔らかくアヤトを見つめる。
「想定していた落とし前の付け方とは異なりますが、王の行動に対して我々はきちんとツケを払わせました。そして、第七軍、兵士として王国を守るという責務を果たしました。後のことは政治家たちの仕事になりますね」
「で、あるか」
「で、あります」
テオドール将軍の口癖を真似れば、ルナリアはくすくす笑いながら頷いた。アヤトは吐息をこぼすと、視線を上げて目を細める。
「なら、これからのことを考えないといけないな」
「……ええ、そうなりますね」
これからのこと――それはつまり、アヤトが今後、どうするかだ。
第七軍の最前線に戻るのか、王城の政府機能の立て直しに協力するのか。
それとも――。
ルナリアはほんの少しだけ視線を逸らしていたが、すぐに視線を戻すと小さく咳払いする。
「アヤトさん――その前に一つだけ、まだつけないといけない落とし前があります」
「……それは?」
アヤトが促せば、ルナリアは少し躊躇ってから言葉を紡いだ。
「クラリッサ王女殿下が、お目覚めになられました」
その言葉にアヤトの思考がぴたりと止まった。それから深く吐息をこぼす。
「――そうか。だから、ルナはドレス姿で」
「はい、兄の代理としてご挨拶差し上げなければなりません。その後は王城に戻る段取りなどを、兄にお願いする予定ですが」
そこでルナリアは躊躇いながらも、上目遣いでアヤトを見ながら訊ねる。
「――いかがしますか? アヤトさん。お会いに、なられますか?」
「……そう、だな」
アヤトは目を閉じて思考をまとめる。
クラリッサ――アヤトの元婚約者で、婚約破棄した相手。その事実にアヤトは心から傷つき、半ば自棄になりかけた。そのことを思えば、顔を合わせる気にはならない。
(けど、今の状況だとな――)
数日前、キリルハイム公爵はクラリッサを女王に担ぎ上げ、そしてその後ろ盾を盤石にするためにアヤトとクラリッサを再び婚約させる考えを見せていた。
だが、アヤトとしては政略結婚させられるのは、二度と御免である。
(もし、婚約するならば――本当に信頼できる相手と)
頭の中に余計な考えがちらつき、軽くアヤトは首を振った。それから目を開けると、ルナリアが心配そうな眼差しで見ていた。
その目を見つめ返しながら、アヤトは訊ねる。
「――ルナも、一緒にいてくれるんだよな?」
「……同席して、よろしければ」
「むしろ、同席してくれ。妙な話になっても困る」
アヤトは手を振りながらそう言えば、ルナリアは目をぱちくりさせていたが、やがて安堵するように小さく吐息をこぼしてからはにかんだ。
「分かりました。話が本筋から逸れるようなら、お任せください」
◇
「――失礼します。クラリッサ殿下」
その部屋に入ると、淡い香の匂いが立ち込めていた。
アヤトは努めて事務的に拝礼してから顔を上げる。そこには椅子に腰かけるクラリッサの姿があった。その姿は相変わらず美しいが、どこか痩せたようにも見える。
その姿を見てアヤトはわずかに心が揺れ――だが、平静を保つ。
「ご尊顔を拝謁奉り――」
「口上は無用です。アヤト様」
静かな声がアヤトの言葉を遮った。口を噤むと、彼女の眼差しがこちらを見ていた。その目尻はほんの少しだけ申し訳なさそうに下がっている。
その表情に再び心が揺れる――思い出されるのは、婚約したての頃。
まだ幼くて感情を露わにしていた、クラリッサ殿下の姿。それにそっくりだ。彼女は形のいい唇から吐息をこぼすと、目の前の椅子を手で示した。
アヤトは少し戸惑ったが、すぐに頭を下げてその椅子に歩み寄って着座する。
ルナリアはアヤトの後ろに立つ。その姿にクラリッサは目を細める。
「ルナリアさんも、お掛けになってくださる?」
「いえ、私はここで」
はっきりとルナリアが断ると、クラリッサは強いて勧めずに一つ頷いた。それからアヤトに視線を戻すと、そっと言葉を続ける。
「――また、会いに来られるとは思っていませんでした。私は貴方のことをひどく傷つけてしまいましたから」
「自分も、同じ気持ちです。ですが――今後のことを考えれば、一度、お話しておくことが筋だと感じました」
「相変わらず、律儀な方」
クラリッサはわずかに口調に懐かしさを滲ませ、そっと胸元に手を当てる。そこには小さなペンダントが胸元を飾っていた。
(――あれは、確か)
目を細める。だが、アヤトもクラリッサもそれに言及しない。視線の交錯、静かな沈黙の後にクラリッサは口火を切った。
「大体のことは伺いました。兄上――王城が魔族の手に落ちていたこと。そして、アヤト様たちがその解放のために動かれた。ここにいるということは恐らく」
「はい、王城は解放しました。ですが、陛下は」
「そう、ですか。今の王城は、どのように?」
「第七軍のテオドール将軍が押さえています。本日中に混乱を完全に沈め、それから政府機能の復旧にあたると思います――その際に、今後の王位についてお話があるかと」
「なるほど、では王族として務めを果たさねばなりませんね」
クラリッサは目を伏せさせ、わずかに思考を巡らせてから頷いた。
「承知しました。その心づもりはしておきます。王族として約束します――王都の混乱をいち早く収めることを。そして、その上で陛下の起こしたことの責任は取ります」
そのはっきりとした宣言にアヤトは目を細めて頷いた。
「よろしくお願い致します。殿下」
「最善を尽くします――これにアヤト様が手を貸していただけるなら、非常に頼もしいのですけれどね」
クラリッサがさりげなく付け足した言葉に、ルナリアが身を固くする気配が伝わってくる。だが、アヤトは静かに首を振って苦笑する。
「まさか、私は一軍人にしか過ぎません。戦場にあってこそ、その本懐を遂げられるというもの――そして、その戦場ももうなくなる予定です」
「――戦場が、なくなる?」
クラリッサはその言葉を繰り返す。その瞳にはわずかに戸惑いが生じていた。アヤトはルナリアを振り返ると、彼女は静かに頷いて告げる。
「私から説明させていただきます――第七軍では先王陛下の遺勅を受け、魔王軍に対してさまざまな工作を仕掛け、ある目標を達成しようとしていました」
そこで言葉を切ると、ルナリアははっきりとした口調で告げる。
「その目標は――魔王軍との停戦、そして講和です」




