第54話
(容易いわね――本当にザコだわ。人間なんて)
王城の玉座の間――荘厳な雰囲気が満ちているその空間を、一人の妖艶な女――オーロラが支配していた。玉座に腰かけ、退屈そうに欠伸をこぼす。
その視界に映るのは、王都各地で暴れている従順な手駒たち――。
精強だと聞いていただけに、彼らをあっさり使役できたのは拍子抜けだった。
(ま、頭を押さえられたおかげなのだけど)
ちら、と横を見る。そこに無表情で立つのは、この国の王だ。
この王の寝室に辿り着くには確かに骨が折れた。オーロラが王都に来てからしばらくは全く隙がなく、勇者が王都に戻ったときは息を潜めるしかなかった。
だが、次第に勇者と国王が不和である、という話を聞き、オーロラは密かに情報収集を始めた。やがて飲み屋に出入りする不良の近衛から有力な情報を聞き出すことに成功する。
曰く、平民でありながら手柄を立て続ける勇者を王は憎んでいる。
曰く、王女は勇者と婚約していたが、それが破棄された。
曰く、王は勇者を殺そうと刺客を放ち、その報復に乳兄弟が捕らわれた。
などなど――その情報を耳にしながら、勇者の動きを避けて王城付近で隙を伺い続ける。そしてほんの数日前、ついに結界に綻びが生じたのを発見。
すぐさまオーロラはその隙から王城に侵入し、王の寝室に忍び込んだ。
情報通り、王は勇者の憎しみに囚われており、それに付け込んで魔力を流し込めばあっさりと王を傀儡化することに成功してしまう。そこを起点に次々と側近の兵士から末端に至るまで、支配を確立していった。
一方でその支配が及ばなかったのは、予想外にも王女のクラリッサだった。精神防御のレベルが高いわけでもないが、洗脳魔術が弾かれてしまう。婚約破棄を取っ掛かりに心を揺さぶっても、彼女の心が揺るがない。
それどころか王城の異変に気づき、周りの使用人の目を覚まそうとしてきた。仕方なくオーロラは洗脳を諦め、捕えようとしたのだが。
(詰めが甘かったわね。まさかネズミが入り込んでいたなんて――)
正直、女兵士を一人捕らえられなかった傀儡たちには腹が立って仕方がない。本当なら首を刎ねたいところだが、オーロラはぐっと堪えて思考を切り替えていた。
クラリッサを逃がしたということは、王城の異変は気づかれたと判断していい。これが勇者の耳に入れば、すぐさま王城に兵を入れてくるだろう。
ならば、その前に先手を取る。そう判断し、オーロラは王都に手駒を放っていた。全方位でゲリラ的に王都を荒らすことで、対応を後手に回す。そうなれば勇者たちはそちらの対応に追われる必要が出てくる。
(この場所を荒らし尽くせば、人間の軍隊は立て直しを余儀なくされる。そうすれば、魔王軍は再び進み、征服を再開できるはず――)
それが魔王軍工作部隊の部隊長である、オーロラの目的だった。
◇
オーロラは元々、前線の軍に所属しながら敵の戦力を削る工作部隊を率いていた。開戦直後は寝返り、洗脳などの工作が功を奏し、次々に領地を奪い取る。
軍が精強であることも加え、このままなら王国を完全に征服できる――そう当時は考えられてきた。
だが、一部の前線が停滞し始めたことをきっかけに、戦況は徐々に悪化し始める。諜報活動の結果、一部で目覚ましい戦果を上げている者たちが動き回り、戦局を覆しているという情報が得られた。
オーロラはそこに潜入、暗殺を試みるが、部隊の結束が強くて近寄ることができない。しかもその筆頭であるアヤト・カンナギは常に傍に一人の女兵士を傍に置き続けており、その女の探知範囲もずば抜けて広い。
オーロラが手を出しかねている間にも、アヤト・カンナギは戦功を立て続ける。それどころか潜入していた魔族ですら炙り出し、オーロラも殺される寸前だった。
気づけば、戦況は拮抗――王国軍と魔王軍は睨み合う状況になっていた。
そして――ブリッツ谷の戦いにて、魔王軍が大敗してからは趨勢が変わった。
魔族は人間に比べれば、身体能力が秀でている一方で、繁殖能力は低い。だからこそ、兵力の損耗が致命的になりつつあった。
魔王軍は守勢に回り、兵力の温存に回らざるを得なくなる。
その中でアヤト・カンナギはさらに猛威を振るい、攻勢に転じようとした魔王軍を撃退、それどころか魔王軍の支配地域に逆侵攻し始める始末。
それに魔王軍の中から弱気な意見が出始めていた。
これ以上、戦うのは利益がない。王国と交渉し、停戦すべきではないか――。
その議論のために魔王軍は進軍を完全に停止してしまった。裏では王国軍の一部将軍と交渉を始めているという。
(――そんなの、断じて認めるわけにはいかない)
オーロラはぎり、と奥歯を噛みしめる。
今、魔王軍が支配している地域は工作部隊がさまざまな手段を使って掠め取った地帯だ。無論、軍の力もある。だが、工作兵なくばこれだけの戦果は得られなかったはずだ。その証をみすみす取られるのは、度し難いことだった。
あそこで何十人の仲間が死んだか分からないというのに――。
そのオーロラに直属の将軍から密かに命が降った。王国領土深くに潜入し、内乱の工作をせよ――と。
『王国内が乱れれば、魔王陛下も和睦から主戦へとお考えを改められるはずだ。我ら魔王軍の威光を示すためにもやってはくれまいか』
『無論です。閣下』
その命令は渡りに綱。オーロラはわずかな手勢と共に、王都に潜入して工作を続け、こうしてようやく実が成ろうとしているのだ。
◇
(これをまたあの憎き勇者たちに阻止されるわけにはいかないわ――!)
執念を燃やし、オーロラは気を引き締めながら視界に映る光景を見る。
遠視術式により、王都内の至る所が映る。そこでは兵士たちが暴れ回り、住民たちを脅かし、放火や破壊を続けている。
それを阻止しようとする者は少ない――いや、いることにはいるが。
(また憲兵ね――それなら)
戸惑いながらも近衛の兵士を制止しようとする憲兵を見つけると、暴れている近衛兵を起点にオーロラは遠隔で術式を発動する。
『これは王命である――陛下のお言葉に逆らうのか』
『し、しかし――』
『これがその証である。陛下に仕える身なら、我らに加われ』
『陛下に、仕える身――』
忠誠心の高さが、仇となる。制止しようとしていた憲兵の目が虚ろになり、そして、近衛兵に加わって動き始める。あまりにも容易い洗脳にオーロラはほくそ笑む。
(この調子なら憲兵もこちらの手に映る。王都はもう、無法地帯ね)
絶対的優位な状況。こうなれば少数では止められない。
唯一懸念すべき点があるとすれば、迫り来る第七軍だが――。
「ねぇ、王様」
ちら、とオーロラはシグバードに声を掛けて訊ねる。
「第七軍はまだ来ないのよね」
「うむ、報告によれば、三日前に前線を離れたと聞く。この王都まではどんなに急いだとしても七日は掛かる距離――到着は不可能だろう」
「……そう。なら、手早く仕事をしてしまいましょう」
そう言われながらもオーロラは不安を拭えない。
何せ第七軍は寡兵で何度も魔王軍を打ち破ってきた。柔軟な兵の運用によって、こっちで戦ったかと思えば、あちら、という具合で巧みに軍を移動させるのだ。
その移動速度なら、想像より早く到着してもおかしくない。
(リミットはあと三日――いえ二日、と見ておきましょう)
慎重にオーロラは判断しつつ、一つ吐息をこぼして視界に映る光景を眺める。
(いずれにせよ、今は私たちのターン。さすがの勇者も動けないでしょう?)
何せ彼らは寡兵であり、それに対して守るべき場所は多い。恐らく要所を分担して固く守るのがやっと、ということになるはず。
仮に打って出たとしても、一つ一つ暴動を潰すのは時間がかかる。
そうしているなら、逆にその要所――例えばマーロック家の屋敷に兵力を集中させ、脅かしてしまえばいい。
(大事なものを燃やされたとき、あの勇者はどんな顔をするのかしら)
そうほくそ笑んでいたオーロラは視界を切り替え――ふと、気づく。
少し前まで暴れていた近衛兵。それがいつの間にか住民の手によって縛られ、タコ殴りにされている。目をぱちくりさせながら視界を移動。
だが、その区画で暴れていた者たちはすでに鎮圧されつつある。
(ここは、第七区だからかしら)
第七区は第七軍が駐屯している。彼らが兵を出したのかもしれない。
だが、そこも寡兵――収拾をつけるにはあまりにも早すぎる。
嫌な予感をする。オーロラは次々と視界を切り替えていき――。
やがて、目に入った光景に絶句する。
風のように一人の少女が駆け抜け、双剣で近衛を叩きつけて気絶させる姿。
烈火のように一人の巨漢が駆け、拳で近衛たちを殴り飛ばし、気絶させる姿。
静かに一人の少年が駆け抜け、背後に回り込んで近衛たちの首を絞め落とす姿。
数多の鳥たちを率いる一人の女性が、的確に仲間たちに指示を出す姿。
光の残滓を漂わせる一人の少女が、無数の魔法陣を展開し続ける姿。
そして、誰よりも早く駆け回り、次々と近衛を無力化する青年の姿――。
彼らの行動はまさに一瞬。暴動の現場に到達して数秒で、暴れていた近衛や憲兵たちを無力化し、住民たちに縛るように言いつけて離れる。
その動きも淀みがなく、虱潰し、だが的確に一つ一つの区画を制圧する。
その光景にオーロラは絶句するしかない。
(――ここまで、だったというの……勇者の実力は)




