第50話
「久しぶりに落ち着いていますね。アヤトさん」
「ん、そういえばそうだな」
そうルナリアが呟いたのは、お茶を飲み終えた頃だった。
会話もそこそこに途切れ、かといって、どこか気まずいわけでもない。二人が椅子に腰かけ、思い思いに昼下がりの時間を過ごしている。
アヤトは視線を上げれば、ルナリアは目尻を下げて穏やかに苦笑をこぼす。
「最近は本当に忙しかったですから。」
「そうだな。部隊を呼び寄せてからは、特に」
それからは軍の人たちと打ち合わせたり、貴族と会ったりとアヤトもルナリアも奔走されていた。大体、一緒にいた反面、こうしてゆっくりと茶を飲み交わす時間は少なかった。
「まぁ、その分、夜はご一緒させていただいているのですけどね」
「ああ、おかげさまで楽しくさせてもらっているよ」
ルナリアの悪戯っぽい言葉に、アヤトは肩を竦めて返す。
何のことはない、一緒の部屋で寝るのも習慣づいている。なんだかんだでルナリアと過ごす夜は会話が途切れず、浮いたことはしていないのに楽しい。
いつの間にか、悪夢を見ることはなくなり。
逆にルナリアのことをよく夢で見るようになりつつある。
(――だからまぁ、そろそろ潮時か)
アヤトはルナリアを見つめながら一つ吐息をこぼし、目を細める。
「ただまぁ――もう一緒の部屋で寝るのは、止めた方がいいだろうな」
その言葉にルナリアは目を見開いた。なんで、とばかりに視線が泳ぎ。
やがて、その表情が見る間に曇っていき、視線が伏せられる。彼女はどこからか取り出した扇で顔を隠しながら、わざとらしく悲しげな口調で告げる。
「悲しいです。あれだけ熱い夜を過ごしているのに、冷めたら用済みなんて――」
「人聞きが悪いことを言うな、ルナ。何もしていないだろう」
「夜通し、白熱したプレイを――」
「まぁ、盤上遊戯に熱中した夜もあったが」
「同じベッドでくんずほぐれつ――」
「ルナがふざけて組み手を仕掛けてきたからだろ」
「まぁ、そうなんですけどね」
扇を下げてけろっとした顔を見せるルナリア。それから彼女は扇を畳みながら背筋を伸ばし、少しだけ眉尻を下げた。
「もしかして、私のことを気にしているなら、気遣いは不要ですよ? 戦友同士、一緒に過ごすのは当然のことですし」
「うん、そう言ってくれるのは嬉しいし、理解するんだがな」
小さく吐息をこぼし、アヤトは腕組みしながら答える。
「ただ、傍から見れば、俺は勇者で、ルナは未婚の貴族令嬢だ。そのルナが連日、俺の部屋に通い詰める――あまり外聞がいい話ではないだろ?」
現にメリッサなどは初めて会ったときに、アヤトとルナリアの関係を疑っていた。もっと突っ込んでしまえば、アヤトとクラリッサの婚約破棄が公表されていない以上、アヤトとルナリアが不貞状態である、と思われても仕方ないのだ。
(今までそんな噂が立たなかったのは、周りのいる人たちがいい人だったから――)
軍も、辺境伯たちも、アヤトやルナリアを始めとした戦友の絆を重々承知している。そのような噂は口が裂けても口にしないし、口にさせない。
だからこそ、アヤトは表向き、婚約中の身分でルナリアの元に寄宿できている。
「――それにこれ以上、一緒にいたら既成事実ができそうだからな」
「そ、そんなことはないと思いますが」
露骨に視線を逸らすルナリア。どうやら、それも狙っていたらしい。アヤトは苦笑を一つこぼしながら、少しだけ目を細める。
(それも悪くない気はするのだけど――けじめはきちんとつけないとな)
一息ついてから、アヤトは穏やかに言葉を続けた。
「俺自身、ルナのおかげで精神的に安定した。であれば、お互いのためにもそろそろ夜を一緒に過ごすのは止めてもいいとは思う」
「私としては外聞なんてどうでもいいんですが――」
そう言いながら無念そうに吐息をこぼすルナリアだったが、やがて一つ頷いた。
「分かりました。アヤトさんがそう仰るなら」
「悪いな、ルナ」
素直に受け入れてくれたルナリアに、アヤトは安堵の吐息をこぼす。
(――素直に受け入れてくれて良かった)
ルナリアは思い込みが激しく、暴走して手段を選ばなくなるときがある。もしかしたら動揺したルナリアがそういう手段に及ぶ可能性も危惧していたが――。
「その代わり――アヤトさん、一つだけよろしいですか?」
さりげなく切り出された言葉。それに嫌な予感を感じながらアヤトは視線を上げると、にこにこと笑うルナリアと目が合う。その目に光るのは、肉食獣のような貪欲な光――。
「今日から止めるのは少し寂しいですし、今日の夜だけは最後に――」
「それでなし崩し的にまた関係性を構築しようとしている、とか」
アヤトが半眼になりながら指摘すると、ルナリアは視線をゆっくりと逸らした。どうやら正解だったようだ。思わず額を押さえると、唇を尖らせた彼女は座ったまま、駄々っ子のように足踏みした。
「いいじゃないですか、どうせ最後ならお情けをくれても……っ! 私としてはずっとお預けを食らって我慢させられている状態なんですから……っ!」
「お預けって」
「だってそうでしょう……! 好きな人が傍で無防備に寝ているのに手を出せないなんて……! 何度襲おうかと思ったことか……!」
ふーっ、ふーっ、と息を荒くして涙目で訴えるルナリアに、アヤトはどうどうと手で宥めながら諭すように告げる。
「落ち着け。良くない癖だぞ。焦って性急な策を講じるのは。急いては事を仕損じるというし――」
「充分、待ったつもりなんですけどね、私は……っ!」
ルナリアは立ち上がり、にじり寄ってくる。その様子にアヤトはひっそりと吐息をこぼしながら手をそっと伸ばす。
(――全く、仕方がないな)
そして、彼女の手を取ると、そっと彼女の身体を引き寄せた。そのまま彼女の身体を腕の中に収め、抱きしめる。
「――あ、え?」
「ほら、落ち着く。冷静に話ができないだろ?」
突然の抱擁に戸惑うルナリアの耳元でアヤトは声を掛けながら、背中を優しく叩いた。腕の中で柔らかく温かく――そして想像よりも小さな身体が震える。
(こうして抱きしめると、ルナは女の子なんだよな――)
しみじみと実感しながら、ルナリアが落ち着いたタイミングでアヤトは身体を離した。彼女はぽかんと呆けたような表情で、涙目の名残が残る瞳で見つめてくる。
その目を見つめ、アヤトは頬を撫でながらそっと告げる。
「一緒の部屋で寝るのを止めるのには、もう一つ理由があってな」
「――もう一つの、理由?」
ああ、とアヤトは頷き、少し気恥ずかしさを感じながら告げる。
「俺も我慢できそうになるんだ。ルナが傍で寝ていると」
その言葉にルナリアの目が今までにないくらい大きく見開かれた。それから徐々に顔が赤くなり、動揺するように瞳が揺れていく。
アヤトは気恥ずかしくて視線を逸らしながら、小さく吐息をこぼす。
(正直、よく耐えている方だと思うのだが)
何せ、アヤトとルナリアは夜を含めて、ほとんど一緒の時間を過ごしているのだ。それが意味するところは――アヤトが性欲を解消する暇がないということ。
無論、戦場では禁欲することがほとんど。慣れていることではある。
だが、ここは戦場ではなく、臨戦態勢ではないところで、無防備なルナリアが傍で寝ているのである――可憐で、アヤトを一途に慕ってくれている美少女が。
脳裏に過ぎるのは、アヤトとルナリアが連れ込み宿で過ごした夜。
それを思い出してしまうと、悶々とするのは避けられないのだ。
(ルナリアじゃないが、何度手を出そうと思ったことか――)
その内心を知ってか知らずか、時折、冗談めかして迫ってくるルナリア。
風呂上がりのラフな姿で、胸元や太ももを無意識に見せてくるルナリア。
髪を乾かして、と駄々をこねて密着し、身体を凝りつけてくるルナリア。
無防備に寝息を立てて、寝言でアヤトの名を呼ぶルナリア。
そして――極めつけは真夜中にもぞもぞと布団を被ったかと思えば、その中で吐息を乱しながら一人で何かをし始めたときだ。
それをされたときは気まずいことこの上なく、ひたすら平常心を保つしかなかった。
ルナリアは視線を泳がせていたが、やがてぼそりと小さく呟く。
「手を出せばいいでしょうに」
「悪いが、そういう中途半端にする趣味はない。きちんとけじめをつけてから――」
「なら――いつ、そのけじめをつけてくれるんですか?」
ルナリアはそう言いながらじっとアヤトの瞳を見つめてくる。
上気した頬、拗ねたように、だけど少し期待を込めたような眼差しで見つめてくるルナリア。その瞳から視線を逸らせず、自然とアヤトの心が、覚悟が決まっていく。
そして、ゆっくりと口を開き――。
――鋭い笛の音が、外から響き渡る。
「――っ」
二人は一瞬に表情が引き締まった。緊急事態の呼び笛。二人はすぐさま頷き合うと、速やかに動き、互いに剣や杖を身に着け始める。
「全く、空気が読めませんね。いいところだったのに――」
「お預けはさせないつもりだ。ルナ」
「その言葉、忘れないでくださいね……っ!」
軽口を叩き合いながらものの数秒で装備をつけ終わる。それから二人で部屋に出ると、走ってくる一人の使用人が目に入った。
「何があった――?」
「正門にミレーヌ殿が……っ!」
「――っ」
その言葉だけで充分だった。アヤトとルナリアはすぐさま廊下を駆け出していた。
ミレーヌは王城の見張りを担当していた。その彼女が定時連絡でもなく、緊急で戻ってきたとあれば、何か異変があったと考えるべきだ。
階段を駆け下りて玄関ホールに向かうと、丁度、そのミレーヌがギリアスと共に屋敷内に入ってきていた。汗を流し、苦々しい表情を浮かべたミレーヌは何かを負ぶさっており、その姿にはギリアスが珍しく戸惑った表情を見せている。
ミレーヌはアヤトを見ると、すぐに眉尻を下げて小さく告げる。
「アヤト隊長――予め謝るわ。ごめんなさい。でも、こうするしかなかった」
「どういう意味ですか、ミレーヌ。というか、誰を負ぶさって――」
ルナリアがミレーヌの元に駆けつけ、その背に背負った人を下ろそうとする。瞬間、そのフードから燦然とした金髪がこぼれ出た。
そして露わになった顔に、アヤトとルナリアは思わず絶句する。
(おいおい、おいおいおいおい――)
「嘘、ですよね――なんで、どうして――」
あまりにも想定外過ぎて、揃って疑問符しか出てこない。その中でミレーヌは吐息をこぼしながら、その彼女の身体をゆっくりと下ろした。
この国の王女にて、アヤトの元婚約者――。
クラリッサ王女殿下の身体を。




