第49話
「戻りました。アヤトさん」
マーロック家の屋敷の、アヤトの部屋。
長いこと逗留し過ぎて、馴染んできた部屋にルナリアがごく自然に入ってくる。窓の外を眺めていたアヤトは視線を戻すと、目を細めて頷いた。
「ああ、おかえり、ルナ。書状は出せたかな」
「はい、アヤトさんに書いていただいたものをしっかりと。ついでに第七軍の宿舎から兵が来ていたので定時報告を受け取っていました」
「そうだったか。第七軍の動きについてか?」
将軍に軍の移動を願い出てから、すでに五日が経過している。一昨日には前線から先発隊が出立したという連絡が来たばかりだ。
アヤトの問いにルナリアは頷き、淀みなく答える。
「はい、順調に行軍を続けているとのことです。将軍はもうそちらに合流を目指したとのこと。混乱を避けるために各軍と連携しています」
「貴族の妨害は、なさそうかな」
辺境から王都へ行軍するにあたり、障害になるのは王都周辺に領地を持つ中央貴族たちだ。彼らは爵位も高く名門も多い。それ故にシグバード王に擦り寄り、取り入ろうという姿勢を見せ続けていた。
だが、今回の騒動で王の権威は失墜し、彼らは心中に迷いが生じている。そこに付け込み、アヤトとルナリアは一計を案じていた。
はたしてルナリアは満面の笑みで嬉しそうに頷いてみせる。
「計画通りです。アヤトさんの書状がよく効いています」
「そうか。あんな書状がなぁ――」
アヤトは首を傾げながら苦笑をこぼす。
何せ、彼が書いているのは、ただの挨拶状だ。いずれはご挨拶をさせていただきたい――その旨をひたすら書いていろんな貴族に送っている。
だが、それをどう読み解いたのか、中央貴族たちは沈黙を保ち続けている。
ルナリアは肩を竦めながら言う。
「彼らは判断に困っている現状です。そこで勇者様が直々に『挨拶したい』という書状を送って来たなら、それに希望を見出したくもなるでしょう」
「それもそうか――まぁ、上手く行ったのなら何よりだ」
アヤトは一つ頷いていると、ルナリアは彼の目の前に歩み寄って踵を揃えた。
「ちなみに一部の貴族は忙しなく屋敷を訪ねてきて、兄上はその対応に追われています。そのため、サーシャやレイラもそちらに掛かりきりです。一応、そちらが襲われる可能性もあるので、マークとクルスを引き続き護衛とします」
そう告げる彼女は副官時代のように淀みのない口調で、背筋を伸ばしてはきはきと応対する。その様子に思わずアヤトは苦笑し、崩すように手で振る。
はっ、と彼女は後ろ手を組みながら応じ――ふと照れくさそうに笑った。
「――すみません、昔みたいな対応を」
「いや、構わない。というか、ルナがいてくれると本当にしっくり来るな」
しみじみと思う。ルナリアがいない頃は基本的に、クルスかニムエが副官を務めてくれていたが、二人とも物足りないところがあった。
クルスは細かい部分まで気を配り過ぎることが多く、逆にニムエはかなり大雑把であるためにアヤトが確認せざるを得ない部分もあった。
(やっぱりルナリアの報告を受けているときは一番、不安がなくていい)
それを噛みしめていると、ルナリアは微笑みながら軽く首を傾げる。
「お茶でも用意しましょうか」
「ああ、頼んでもいいか?」
「もちろんです」
彼女は嬉しそうに頷き、一本に結った髪を揺らしながら部屋の隅の机に行く。そこには使い込まれた軍用の湯沸かし器――ルナリアがよく使っていたものだ。
それに水差しから水を入れ、魔力を掌から送り込んで起動。
ゆっくりと発熱し、湯を沸かしていく。その後ろ姿を眺めながら懐かしさに浸る。
ルナリアも懐かしいのか目を細めながら振り返り、軽く悪戯っぽく告げる。
「アヤトさんはこういうとき、熱めのお茶が好きでしたよね」
「ああ、冷めるのを待ちながらゆっくりするのが好きでな」
「任せてください――もちろん、渋くはしないので」
「渋くても構わないぞ。それもまた、懐かしい」
彼女が軍に入った頃は、まだ茶を煎れるのが下手で、よく渋いお茶を煮出していたものだ。それを思い出して笑っていると、彼女は拗ねたように唇を尖らせる。
だが、その目は笑っていて、心からこの時間を楽しんでいるのが分かる。
「はい、お待たせしました。アヤト隊長」
「ん、ありがとう。ルナ」
昔の思い出をなぞるように軽口を交わし、二人で向かい合って座って茶を口に運ぶ。熱いお茶が肚に染み渡り、じんわりと身体が温まっていく。
アヤトは吐息をこぼし――ふと何気なく視線を窓の方に向ける。
そこから見えるのは王城。その様子を眺めていると、ふとルナリアが控えめに訊ねる。
「――アヤトさん、何か気になることでも?」
「ん、いや、そういうわけではないけど――」
「ですが、今日はしきりに窓の外を気にしているように見えます」
言われてみて気づく。今日は何度も視線が窓の外――というか、王城の方に引き寄せられるのだ。何かが思考のどこかで引っ掛かっているかのように。
アヤトは少し考えてから、そういえば、とふと思う。
「昨日の夜、妙な気配がしたような――」
「妙な気配、ですか?」
「ああ、すぐに消えたから気のせいだと思って寝直したんだが」
もしかしたらそれが気に掛かっているのかもしれない。アヤトは首を捻りながらルナリアを見て訊ねる。
「ちなみにミレーヌは王城の方に張り付いているんだよな。何か聞いているか?」
「いえ、特には。ただ、聞いているのはやたらと静かということくらいでしょうか。ミレーヌも少し気にしていましたね」
「――そうか」
王城が静かなのは無理もないだろう。城を守る近衛の半数近くが王城から逃げ出しているのだから。だが、わずかに引っ掛かるものがある。
「まぁ、ミレーヌが張り付いていれば、余程なことはないと思うが」
きっと何かあれば鳥を飛ばして知らせてくれるはずだ。アヤトの言葉にルナリアは頷き、表情を引き締めながら告げる。
「アヤトさんの予感は結構当たりますから、私も気に掛けるようにします。ただ――第七軍が来てしまえば、もはや王家は何もできません」
「ああ、そうだな――ここはどっしりと構えておくべきか」
すでにマーロック家の屋敷はギリアスによって徹底的に防衛網が敷かれており、第七軍を始めとした協力者たちも警戒を深めている。
ここに至れば、逆に小細工を弄するよりも構えておいた方が良いだろう。
アヤトは腕組みを解いて吐息をこぼし、お茶を口に運んだ。




