第48話
シグバード視点
第七軍、王都へ行軍――。
その動きは早馬で王都に情報がもたらされ、激震が走った。
すでにその頃には王都中に勇者と王族との不和は貴族のネットワークを中心にして充分に王都内に情報が出回っていた。そして、第七軍の宿舎への襲撃が近衛の仕業であることも王都全体に広まっている。
そして、その第七軍の知らせは当然ながら、王城にも届いていた。
(馬鹿な……っ、あり得ん……っ!)
王城の最奥――国王の私室。
そこに籠るシグバードは身震いし続けていた。威厳に満ち溢れていた彼の顔は今や何かに怯えるように引きつり、血の気も引いている。
側近のドリウスが捕らえられたときから、シグバードは冷静を保てなくなっていた。所かまわず当たり散らし、周りにはどうにかしろ、と感情任せに怒鳴るばかり。
結果、功を焦った近衛の一部が暴走――勇者と第七軍を襲撃してしまい、逆に生け捕りにされてしまうという失態を冒している。
それが明白なきっかけになったのだろう、近衛を始め、王城から人が一気に減り始めた。病と称して出仕しなくなった者、家の都合で休暇を取った者、視察と称して王城から離れた者――理由は様々だが、王家から求心力が失われているのが事実。
辛うじて譜代の臣や忠誠心の厚い者は残っているが、もはやそれだけ。
そこに追い打ちをかけたのが、この第七軍による行軍の知らせ。
それにシグバードの心は打ちのめされ、もはや威厳を保つことすらできなくなっていた。
(あり得ん、あり得ん、あり得ん――っ!)
第七軍は魔王軍と前線で向き合っている軍だ。その全軍が王都に向かっているということは、前線が手薄になっていることを指し示す。
テオドール・ギュネス将軍も血迷ったとしか思いようがない。
(もしくは――もうこの国を滅ぼそうとしているのか……っ)
背筋が凍りそうになる。何せ近衛の兵たちが束になっても、第七軍の留守居部隊に敵わなかったのである。その本体が攻め寄せてくる。
そうなれば、まず間違いなく王城は守り切れず、攻め落とされる。残っている近衛がいくら精強とはいえ、耐えられるはずがないだろう。
そうなればシグバードは虜囚の身――。
「王もいよいよ年貢の納め時かしらねぇ」
「ひ……っ!」
不意に部屋に響き渡った声にシグバードは情けない声を出してしまう。弾かれたように振り返れば、窓際には一人の女が立っていた。黒いドレスを身に纏い、妖艶な微笑みを浮かべる女性は紅い目を光らせている。
「き、貴様、どうやってここに――」
「どうやって、って普通に窓からよ?」
くすりと笑いながら窓の外を指さす。見れば、いつの間にか窓が開いており、微かにカーテンが揺れている。ばかな、とシグバードは口を動かした。
ここは王城の最奥――防御が一番固く、魔術による結界まで張り巡らされている。それにここは上階。飛べない限り、侵入は不可能だというのに――。
「ふふ、生憎だけど私は飛べるの」
そう告げた彼女は軽く背伸びをする――瞬間、その背からばさりと漆黒の翼が飛び出した。それと同時に漂った妖気に息を呑む。
「まさか――貴様、魔族」
「ご明察。さすが国王陛下」
にやりと目の前で笑う人類の敵。それに身震いを隠せず、シグバードはじり、と後退りながら必死に助けを呼ぶ手立てを考える。
だが、彼女はくすりと笑いながら真紅の瞳を光らせて告げる。
「国王様、そこまで怖がらないで。私は貴方と敵対しに来たんじゃない――むしろ、逆よ。貴方の助けになりに来た」
「助け、だと?」
「聞いているわ。貴方、勇者に困らされているそうじゃない」
「……それは」
シグバードの動きが止まる。魔族の女を見つめ返せば、彼女は肩を竦めて告げる。
「私たちも彼には煮え湯を呑まされてきたわ。貴方も苦労しているのはよく伝わってくるわ――あの男、本当に化け物よね」
「魔族から見ても、そうなのか」
「当たり前よ。何人仲間が殺されてきたか――私の姉妹も」
憎しみをその表情に滲ませる魔族。その表情にシグバードは恐ろしさよりも、どこか親近感を抱く――シグバードもまた、乳兄弟のドリウスを勇者に奪われた。
魔族の女は頭を振ると、真っ直ぐな瞳でシグバードを見る。
「貴方も勇者を排除したいと思っているはず。だけど、勇者は何枚も上手ね。まさか、前線の魔王軍を無視して、全軍を王都に向かわせるなんて。まぁ、それだけ貴方を殺したくてうずうずしているのでしょうけど」
「……っ、何故だ、何故この好機に魔王軍は動かない……っ!」
シグバードは迫る勇者の恐怖を振り払うように、魔族の女に声を荒げる。彼女はそれに対して肩を竦めて答えた。
「私だって動きたいわ。だけど言ったでしょう。勇者は何枚も上手だって」
「……どういう意味だ」
「つまりね」
魔族の女が妖艶に唇を歪め、憎しみをこぼすように吐き捨てる。
「勇者は魔王軍と取引したのよ――国土を売り渡すことで、一時の平穏を得ている」
「――っ! 下郎め……っ!」
その言葉にシグバードの頭に激しく血が上った。
(何の権限があって、そのようなことを――!)
だが、その言葉に今までの謎が腑に落ちていく。
あの男が戦果を上げていたのは、魔王軍と取引をしていたから。それで戦ったふりをすることで戦果を捏造していたのだ。だからこそ、あんな無茶な戦果が成り立つのだ。
無論、第七軍が前線から離れても動かないのも、それが理由の一つ。
もしかしたら、これを機に国を乗っ取ろうと画策しているかもしれない――。
そう思考を巡らせた瞬間、魔族の女がそっと歩み寄り、目の前で傅いた。まるで、臣下が王を敬うかのように。
「申し上げるわ。国王様――我々の利害は、一致しているの」
その声は不思議なほどシグバードの思考に染み渡るように響いてくる。その瞳に魅入られるようにシグバードは見つめると、彼女は静かに微笑みかける。
「私は姉として仇を討ちたい。貴方は王として国を守りたい――寛大で聡明な国王様ならば分かるでしょう? 我々は協力できること」
「う、む――確かに」
「我々は強い。貴方にない戦力を提供できる。そうすれば、貴方は誰にも負けない」
「誰、でも、負けない――」
負けない力があれば、いけ好かない勇者も殺せる。
不服従な軍も、及び腰な近衛も、日和見の貴族も、全部――。
全部、全部、全ブ、ゼンブ――。
コロ、セル。
思考が、染め上げられていく。
怒りと、憎しみと――力の誘惑に。
それに抗うことはできない。甘美な誘惑に溺れ、シグバードは瞳の光を失っていく。その様子に魔族の女は不敵に笑い、その頬を撫でた。
「さぁ――私の陛下、始めましょうか。私たちの復讐譚を」




