第37話
「答えろ、キリルハイム公爵――貴様たちは王国に離反する気か」
その日、王城では召喚されたキリルハイム公爵が若き王に詰問されていた。
何故、詰問されているか――それはマーロック家の茶会にキリルハイム公爵家のメリッサが出席したことにある。シグバード王はそれを咎め、難詰しているのだ。
それに対し、キリルハイム公爵は終始無言だった。
その心中にあるのは、多大な呆れである。
(先代に比較すると、何とも暗愚な君主であることよ――先代の唯一の欠点は、子煩悩であったことか)
「答えぬか、キリルハイム公爵!」
その無言と眼差しが癇に障ったのか、シグバード王はさらに声を荒げる。キリルハイム公爵は吐息を一つこぼすと、穏やかな口調で訊ねる。
「弁明することは何一つございませぬ」
「なんだと……っ!」
「では、陛下、愚なる臣下に一つ教えていただきたいことがございます」
キリルハイム公爵は顎髭を撫でつけながら、とぼけた口調で訊ねる。
「何故、孫娘がマーロック家の茶会に赴いたことで、咎められねばならんのですか」
「かの茶会には勇者がいた! 任地を離れ、好き勝手振る舞う勇者が――」
「ええ、認知しておりますとも。ただ――勇者が好き勝手振る舞っている、というのは初耳にございますな」
子供でも分かるように、キリルハイム公爵は滔々と諭すように続ける。
「勇者殿はきちんと休暇を得て任地から離れており、孫娘から聞いたところ、同僚の元に身を寄せて旧交を温めているだけ、とのこと。それを以て、好き勝手に振る舞っていると断ずるには些か無理があるのでは」
「――っ」
「それに我が家としても予め主催されているマーロック家の茶会には出席予定でした。ですが、急遽、陛下は夜会を催されたがために、私自身老骨を鞭打って馳せ参じ、代わりにマーロック家には孫娘を行かせた次第。この対応について何故、咎められねばならんのです」
堂々とした反論に繋げると、シグバード王は顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。その様子にキリルハイム公爵は内心でため息をこぼした。
(全く先代はなんて子を次代に据えた――いや思えば、先代も懸念はしていたか)
五年前のことを思い出す。先代が存命であるものの、病に徐々に体を蝕まれつつある時期だった。そのとき、先代は公爵家を含めた重臣を集め、諮っていた。
議題は、次期王位継承者について。
こぞって全員がシグバードを推す中、王は微かに浮かない顔をしていた。
やがて、一つの不安を口にしていた。
『未だ魔王軍の脅威がある中、シグバードには王座は荷が重く、不幸にしてしまうのではないかと感じておる。その点は、どうだろうか』
その言葉に対しても、その場にいる全員はシグバードを推した。
至らない部分があれば、我々で補佐いたします故、どうぞ心配はいりません――と。
無論、キリルハイム公爵もまた同じ言葉を口にした一人だ。彼自身も先代と同じく、シグバード王子には不安を感じていた。だが同時に、王の発言は不穏分子を炙り出すためのものだとも感じていたのである。
(あのとき、仮に言葉を翻して別の王子を推していたら、野心ある者として判断され、左遷された可能性もあった故な――)
それに多少、暗愚な方が取り入りやすい、という打算もあったのだが。
今に来て、まさかその判断を悔いることになるとは。
(とはいえ、王家を支える者として、ここで見過ごすわけにもいかんか――)
キリルハイム公爵は進まない気を奮い起こし、静かに声を掛ける。
「陛下、もし万が一にも勇者を排そうとしているならば、お考え直しを。彼は懸命に魔王軍と戦い、そして国を支えようとしている者。そんな健気な者を警戒するのは、上に立つ者としてはあってはならないこと。重く取り立てるのが上策と考えます」
その言葉にシグバードは激情に駆られたように表情を変える。その憤怒が口をついて出てくる前に、キリルハイム公爵は静かに続ける。
「逆に勇者を軽んじ、万が一、彼の心が王国から離れることがあれば――恐らく、陛下が想像するよりも多くの者が彼を支持するでしょう」
その言葉にシグバードの表情がぴたりと固まった。その表情を見てわずかにキリルハイム公爵は眉を寄せた――まさか、想像していなかったのだろうか。
「言うまでもない事実ですが――第四軍、第五軍、第六軍、第七軍。魔王軍を始めとした、王国周辺を取り巻く環境に対する軍たちは勇者を支持しています。彼らは勇者に何度も命を救われております。もし彼に不遇な待遇、対応をすれば、まず先に抗議の声を上げるのは彼らでしょう」
というよりも、すでに声は上がっている。シグバードが新任した大将軍は彼らの意見を封殺しているものの、不満を抑え込むことはできない。
茶会では彼らは姿を見せ、しかも襲撃の場にも居合わせたという。
もう彼らは勇者を支持していると考えていいだろう。
「加えて辺境に封じられている貴族たちです。彼らは昔より魔王軍と戦ってきた関係上、軍とは関係が深い。そして、彼らが攻められたときに動いたのはやはり、勇者です。また彼らは援軍を寄越さない中央貴族たちに不満を寄せている、とか」
その辺境貴族のまとめ役であるユニウス辺境伯は現状、勇者が襲われたという事実に憤り、全面的な協力を申し出ている。それに日和見だった一部の辺境貴族も勇者側に立つことを決めつつある情報が入っている。
「つまり、勇者を敵に回せば、王国の盾、剣、それらを失うことになります。どうか賢明なご判断をされることを具申いたします」
キリルハイム公爵が伏して口にすれば、やがて響き渡ったのは低い笑い声だ。訝しみながら視線を上げれば、悠然とシグバードが膝を組むところが目に入った。
ひじ掛けに肘をつき、尊大な態度を見せながら、ふん、と鼻を鳴らす。
「キリルハイム公爵ともあろう者が、見誤っているぞ。耄碌したか」
あからさまな侮蔑の言葉に眉を寄せつつも、公爵は頭を再び下げる。
「では、この耄碌した爺にどうか教えてくださいませ。何が見誤っているのでしょうか」
「良かろう。名門公爵が頭を下げるであれば、教えてやろう」
シグバードはそう言うと、偉そうな口ぶりで続ける。
「第一に、軍が動くには物資が必要不可欠にある。それを手配しているのは王都にいる兵站部隊だ。もし叛意を示したとあれば、それを止めれば自ずと干上がるというものだ。仮にそれを支援する者がいれば、反乱軍を支援している者として討てば良い」
その言葉を聞きながらキリルハイム公爵は訝しむ。
(――王都が送っている物資が充分ではないことを知らぬのだろうか、陛下は)
記録によれば年間の軍事費はかなりのものだ。だが一方で、前線からは物資不足、人員不足が訴えられ続けている。恐らくはどこかで中抜きされている部分があるのだろう。
ただ、その状況でも前線の軍は物資を持たせてきた。
それはつまり、独自に入手するルートを備えているのだろう。
「第二に、連中は魔王軍を相手にしている。その状況で我らに叛意を持てば、後ろから連中に突かれる。迂闊なことを考えれば、逆に自分の首を絞めるのだ。つまり、この二点から軍は大々的に動くことはできまい」
(――であれば、我々が恐れなければならないのは、軍の全面撤退、だというに)
魔王軍の存在は軍の迂闊な行動を抑制するが、そもそも軍が魔王軍と戦い続けているのは王国のためだ。その王国に愛想を尽かせば、軍が戦う理由がない。
そうなれば全面撤退――魔王軍を遮るものがなくなり、国内に連中がなだれ込んでくる。王家はそれを避けねばならないというのに――。
(シグバード陛下は、魔王軍の存在を都合よく解釈し過ぎな気がする――)
現にシグバードはしたり顔で、魔王軍の動きを推測し始めている。
「現在、報告によれば魔王軍は戦いを避け、力を温存しているという。その敵を前に、兵力を王都に割くなど不可能――その予兆があれば、それを口実に軍権を取り上げれば良いことよ。小賢しい猿知恵など、我々には聞かぬ」
(敵に都合のいい思惑を押し付けるのは、軍では下策だというのに――)
それにキリルハイム公爵は魔王軍の動きを別の見方をしている。
前線の子飼いの兵からの報告によれば、魔王軍は一切の動きを停止し、整然と前線に兵を並べて沈黙。それに対して王国軍も動きを完全に止めている。
つまり、示し合わせたように全く戦闘していない――。
(まさかとは思うが、テオドール・ギュネス――)
常識はずれな動きにキリルハイム公爵は第七軍に別の意味での警戒を強めている。だが、王はそれらの動きを勝手に決めつけ、過小評価して悦に浸っている。
「むしろ動かせてやっても良いだろう。それを口実に金食い虫の軍の財政にメスを入れれば、内政を一気に潤すことができる故な」
「――なるほど、陛下のお考えは充分に理解いたしました」
キリルハイム公爵は頭を垂れると、シグバードは上機嫌そうに頷いた。
「罷り間違っても王家に歯向かうでないぞ、公爵――勇者も軍も、いずれは不要になる存在なのだからな」
下がれ、と合図を受けて、キリルハイム公爵は静かにその場から辞する。そして、廊下に出ると早足に移動を始めた。
(陛下はあまりにも物事を悠長に考えられている――)
その考え方は前線の人間――こと、勇者たちに対して抱くのは危険だった。
勇者たちが魔王軍を圧倒できたのは、その武力のおかげではない。真に恐ろしいのは、その行動力、そして機動力なのだ。
普通の軍ならば救援する場合、情報に接して援軍を組織、兵站を用意して移動開始――と、軍の行動には段取りや時間がかかる。
だが、彼らはそれがない。兵站も必要としない。
即時に決断、行動、そして迅速に駆け抜けてあっという間に助けに向かう。
それが王都で発揮されたらどうなるか――考えたくもない。
(とはいえ、その場合を想定し、我らも動かねばな――)
王国を存続させるため、ではない。
公爵家を存続させるために、どのような選択肢を執るべきか。キリルハイム公爵は本腰を入れてそれを考え始めていた。




