第34話
ルナリア視点
(――これは夢、でしょうか)
ルナリアは戸惑っていた。
大人しくしながら視線を横に向ければ、そこではぎこちない手つきでアヤトがルナリアの髪を櫛で梳いている。その傍ではサーシャが丁寧に指導している。
「そうです、絡まっているところは軽く手櫛で解しながら丁寧に櫛を通して」
「なるほど、手入れが大変だな」
「女の人の髪の毛ですからね」
彼の指先が髪の毛を梳く。その感触が心地良く思わず吐息をこぼすと、アヤトはルナリアの様子を見ながら首を傾げる。
「ルナ、どうだ? 痛くないか?」
「……とても気持ちいいですけど」
「けど?」
「アヤトさん、妙に優しくないですか……?」
恐る恐る訊ねれば、アヤトは不思議そうに首を傾げてみせた。
「そんなことはないと思うが――」
「でも、今までこんなことをしてもらったことは……」
「確かに、ないな。だから目新しい体験だ。えっとサーシャ、香油は――」
「これをお使いいただければ。お嬢様のお気に入りです」
「ああ、確かにこれはルナリアの香りだな――いい匂いだ」
何気なく告げられた言葉にルナリアの胸が高鳴る。その高鳴りが収まらないうちに彼は優しい手つきで髪を梳く。その感触にも骨抜きにされそうだ。
(ううう……このままだと、心臓が破裂しそうです……っ)
動揺を押し殺しながら、ルナリアは深呼吸を一つする。
彼の妙な優しさは今日に始まったことではなかった。傷ついて安静を命じられてから、彼は付きっきりで傍にいてくれているのである。
それどころかルナリアが暇を持て余していれば、アヤトが声を掛けてくるのだ。
『折角だから、茶でも煎れようか』
『ソファーで寝るなら、膝枕するぞ?』
『寝たままだと身体が固まるぞ。ほら、マッサージしてやる』
その突然の誘いに固まっていれば、強引にアヤトが手を引いて甘やかしてくる。今日も髪結いも同様で、戸惑っている間にアヤトとサーシャが始めてしまったのだ。
「やっぱり髪を結ったルナもいいな」
「ですよね、いつもざっくばらんに結っているのですけど」
「元々軍人だからな。まぁ、そういうところもいいんだけど」
ルナリアの胸中を知ってか知らずか、アヤトはルナリアのことを褒める。その言葉に頬が熱くなり、身悶えしそうになる。それでも必死に耐えていると、彼の大きな掌がぽんと頭の上に載せられた。
「よし、できたぞ。ルナ――ちょっと不格好だが」
「……ありがとう、ございます……」
小さな声で礼を言えば、サーシャはおかしそうにくすりと笑って立ち上がった。
「では、お茶をご用意していますので、勇者様はお嬢様のご機嫌取りでも」
「ん、承知した。ルナ、他にして欲しいことはあるか?」
サーシャが出て行ったのを確かめてから、ルナリアはアヤトに言葉を小さく返した。
「もう大丈夫です。充分すぎます。供給過多です――」
「そうなのか? 俺としてはまだまだし足りないところがあるが」
「……アヤトさんは私を悶え死にさせたいんですか……」
恨みがましい口調で言えば、アヤトは苦笑交じりにルナリアの正面に腰を下ろした。
「そういうつもりはないが……そうか、少しやり過ぎたか」
「……ちなみに、どんな心境の変化が……?」
「心境の変化など、全くないが」
アヤトは穏やかな口調と共に真っ直ぐな視線を向けてくる。その眼差しはいつもの揺るぎない彼の眼差しだ。ただ、いつもよりもどこか温もりがある気がする。
それに少し戸惑っていると、彼は小さく笑って告げる。
「俺としては、ルナにしてもらったことをそのまま返しているだけだぞ」
「……あ……」
そう言われて気づく。
一緒の部屋で寝るのも、膝枕も、髪を整えるのも、全部ルナリアがアヤトにしてあげたことだ。無論、それはルナリアがしたいからしたことなのだが――。
「俺は、それが嬉しかったから。だから、俺もルナにしてあげたい」
その言葉にルナリアは大きく目を見開いた。アヤトはほんの少しだけ困ったように首を傾げ、遠慮がちに言葉を続ける。
「ただ、これが迷惑なら差し控えるが――」
「迷惑なんてことはないです……っ」
その言葉にルナリアは慌てて声を上げていた。想像以上に大きな声が出て、思わずルナリアは口を噤み――だが、アヤトの顔を見てすぐに彼女は言葉を押し出した。
「その……嬉し、かったです。嬉しすぎて困ってしまうくらいに……」
(ううぅ、恥ずかし……)
自分の気持ちを口にするのがこんなに恥ずかしいなんて。
だけど、アヤトに誤解させたまま、というのは絶対に嫌だった。正直に言えば、もっと膝枕もして欲しいし、髪も結って欲しい。頭も撫でて欲しい。
そんな欲望がふつふつと湧き出してくるくらいなのだ。
アヤトは目を丸くしていたが、やがて安堵したように表情を緩めて吐息をこぼす。
「なら、遠慮なくいろいろさせてもらおうか」
「……いや、それは程々に――」
「どっちだよ、全く」
アヤトは仕方なさそうに笑い、釣られてルナリアは笑みをこぼす。そして何気なく頭を傾ければ、察したアヤトは手を伸ばして頭を撫でてくれる。
その感触に思わず吐息をこぼしながら、ルナリアは頬を染める。
(絶対安静、というのも悪くありませんね――)
今だけは、この肩の傷が治らなければいい。そんな邪な考えを抱きながら、ルナリアは椅子を少しだけ近づける。
アヤトとの距離も、どこか縮まっているように感じられた。




