第33話
「お嬢様の傷はこの通り、大丈夫そうですねー」
サーシャはおっとりとした口調で告げながら、ルナリアの肩に丁寧に包帯を巻いていく。塞がった傷跡はその包帯ですぐに隠れていく。
それを見届けながら、アヤトはサーシャに訊ねる。
「弾は残っていないか?」
「一部の破片は残っていましたが、専属の癒し手が全て摘出しました。その上で傷口を塞いだ状況です。尤も、まだ完全に回復したわけではないですけど」
「そうか――良かった」
心から吐息をこぼせば、サーシャは包帯をきちんと結びながら言葉を続ける。
「ひとまず、しばらくは安静にする必要があります。なので、勇者様にはしばらくお嬢様のことを見守っていただけますと」
「別にもう支障はありませんけどね。通常通りでも――あいたっ」
口を差し挟んだルナリアに対し、サーシャは容赦なく包帯の上から傷口を軽く叩いた。
「お嬢様、無理はいけません。まだ損傷した内部の組織は完全に回復していません。傷を叩いて痛むのがその証左でしょう?」
「……っ、そうですけど、わざわざ叩かなくても」
恨みがましい視線で振り返るルナリアに対し、サーシャは涼しい顔でにこりと笑う。
「……覚えておきなさいよ。治ったら仕返ししてあげる」
「じゃあ、そのときはサーシャ、俺に相談してくれ」
ルナリアの言葉にアヤトがさらりと付け加えれば、ルナリアはショックを受けたような顔で振り返った。
「あ、アヤトさん、なんでですかっ!」
「基本的にはルナの味方だが、道理が通らない仕返しはダメだ」
「なら、後から道理を通せば――」
「そういう問題じゃないだろう。あと服、服」
アヤトは手を振りながらさりげなく目を逸らす。意識から遠ざけようとしていたが、今の彼女は手当のために服を脱いでいるのだ。
そのため、振り返った拍子に何も隠していない胸が露わになってしまっている。
「――っ!」
ルナリアはその指摘に真っ赤になり、慌てて両腕で胸を隠す。その拍子に柔らかい胸が軽く形を変え、どこか強調するような形になる。
アヤトは吐息をこぼしながら、視線をサーシャに向ける。彼女は表情を緩めながら、軽く一礼してみせた。
「ありがとうございます。その際はご相談しますねー?」
「ああ、ルナはやり過ぎるのが悪い癖だからな」
「ふふ、お嬢様を抑えられるのはもはや勇者様だけですね」
そう言いながら、では、とサーシャは頭を下げて部屋を出ようとする。その前にアヤトは軽く手を挙げて呼び止めた。
「悪い、サーシャ。頼みがある」
「はい、何でしょうか?」
「洗濯をお願いしていたあれを、持ってきて欲しいんだけど」
その言葉にサーシャは目を丸くしていたが、やがてにんまりと笑って頷いてみせた。それから、承知しました、と口にして部屋を辞する。
それを見送っていると、アヤトの背後でルナリアがもぞもぞと動き、衣擦れの音が響く。
「――大丈夫です」
「ん、ああ」
振り返ると、ルナリアは丁度シャツを羽織ったところだった。前は留めず、素肌を垣間見せながら彼女はアヤトに向き直った。
「それで――襲撃者は捕えたんですね?」
「当然。拠点も抑えた」
すでにルナリアにはここについた時点で状況は報告していた。アヤトは頷きながら手頃な椅子を引き寄せて腰を下ろす。
「今、将軍たちが調査を進めているはずだ。ただ状況証拠から察するに、高位の貴族、あるいは豪商などが関与している可能性が大だ」
「なるほど、まぁ、状況的にあの方々でしょうが」
ルナリアもすでに犯人の目星をつけていたのだろう、言葉を濁しながら額に手を当て、小さく嘆息をこぼした。
「――本当に、救いようがない方々です」
「本当に。身内で相争っている場合でもないだろうに」
ルナリアはその言葉に頷き、視線を伏せさせる。やがて彼女はゆっくりと顔を上げ、アヤトの顔を見つめた。
「直接的な敵対でなければ、穏便な対応もできました。ですが、暗殺者を寄越してきた以上、もはや決別は避けられません――」
ルナリアはゆっくりと、一言一言刻むように言葉を口にした。
それはまるでアヤトの覚悟を確かめるように。
アヤトもまた揺るがない視線でルナリアを見つめて、その瞳を見る。その瞳は真っ直ぐにアヤトを見つめて逸らすことはない。
やがて、ルナリアは目を細めると苦笑交じりに告げた。
「覚悟を問うのは、愚問ですかね?」
「当然だ――連中は傷つけてはならない相手を傷つけた」
アヤトは低い声で言いながら、ルナリアに手を伸ばしてその肩にそっと触れる。彼女はその手の上に掌を載せ、睫毛を微かに揺らす。
それからそっと小さな声で確かめるように訊ねる。
「それは、私を……戦友を、傷つけられたから、ですよね」
「無論。大事な戦友を傷つけられて、黙っていられるはずがない」
アヤトの迷いのない声――その言葉にルナリアは小さく吐息をこぼして微笑んだ。その微笑みにはわずかな寂しさや切なさが滲み出ていた。
「ですよね。戦友が傷つけられれば、アヤトさんは毅然と立ち上がって落とし前をつけようとするでしょう。私以外の、戦友でも」
「それも、無論だな」
アヤトは即答しながら、内心で少しだけ苦笑した。
(――悪いな、ルナ)
何となく彼女の気持ちは分かる――だが、アヤトは自身の気持ちに嘘はつけない。そうしてしまえば、今まで戦ってきた戦友たちの裏切りになる。
アヤトは目を細めながら頬を軽く撫でれば、彼女は視線を上げて唇を尖らせる。
「不器用な人です。アヤトさんは」
「知っている」
「少しくらい、自分をごまかせれば生きやすいと思いますよ」
「それも、分かっている。けど――できないものは、できないんだ」
ずっとそうして生きてきたのだ。今更曲げられるはずもない。
アヤトの言葉にルナリアは仕方なさそうにくすりと笑い、頬を染めながら囁いた。
「そうですよね。そういう貴方を、私は好きになったのですから」
彼女はさらりと好意を口にすると、自分から身を引いた。頬に触れていた手が離れ、彼女はベッドの上に軽く寝転ぶ。
「じゃあ、アヤトさんの言う通り、今日のところは安静にしますか」
「今日だけじゃなくて、しばらくの間、だな」
「身体が鈍ってしまいそうです」
「我慢しろ――といっても、大人しく聞く奴じゃないか」
アヤトは苦笑をこぼしていると、ふと扉が叩かれた。ルナリアは身体を起こして眉を寄せ、扉に声を掛ける。
「誰ですか?」
「サーシャです。勇者様、お持ちしました」
「ああ、ありがとう。運び込んでくれ」
アヤトが答えると扉が開いてサーシャが姿を現す。その両手に抱えられているのは、一抱えの布団だ。彼女は慣れた手つきでてきぱきとルナリアのベッドの横に敷き始める。
「ここでいいですよね?」
「ああ、ルナを見張れる位置じゃないとな」
「はい、了解しました」
ルナリアが戸惑う間に、アヤトとサーシャは手早く布団を敷き終える。サーシャはそれからすぐに一礼して、おやすみなさい、と口にして立ち去る。
アヤトは布団の上に腰を下ろすと、ベッドに肘を載せて笑いかける。
「きちんと安静にするよう、ここで見張らせてもらうぞ。ルナ」
「え、ぇっと……つまり、アヤトさんもここで寝る、と?」
「無論。いつもルナがやっていることだろう?」
いつもはアヤトの寝室にルナリアが勝手に布団を敷いて寝ていたが。
今回は全く逆だ。視点が違ってなかなか面白い。アヤトがルナリアの表情を眺めていると、彼女は落ち着かなさそうに視線を泳がせる。
「いや、そう、なんですけど……えっと」
「ああ、それともう一つ」
そわそわするルナリアを見つめながら、アヤトは本心を口にする。
「俺は戦友たちのためなら、どこまでも戦う覚悟はある。けど」
一息つき、ルナリアの瞳を見つめて微笑んだ。
「こうして共にいたいと思うのは――きっと、ルナだけだろうな」
「――え」
ぴたり、とルナリアの身動きが止まる。固まった顔が徐々に朱に染まっていくのに目を細めると、アヤトは布団の上に寝転んだ。
「さ、寝るぞ。ルナ――全く今日は疲れた」
「え、あ、アヤトさん、今、なんて――」
ルナリアが慌てて声をかけてくるのを華麗に受け流し、アヤトは目を閉じる。
軍人たる者、いつでも眠り、いつでも目を覚ませなければならない。彼は疲労に身を任せるようにして吐息を落ち着かせれば、眠気が包み込んでくる。
「ぁ、ああぁっ、アヤトさん、寝ないでくださいってっ! このまま放置されていたら、気になり過ぎて眠れなくなります――っ!」
ルナリアの声が遠ざかっていく感覚を覚えながら、アヤトは眠りに落ちていった。




