第32話
アヤトは剣を一振りしてから、鞘に納めて吐息をこぼした。
それでも身体を巡る血潮は収まらない。鎮めるには、深呼吸を二つする必要があった。完全に冷静になったと自覚してから、アヤトは辺りを見渡す。
(――随分なあばら家だが)
血や鉄、脂の臭いが充分に染み付いている。ここが暗殺者の根城で間違いないだろう。そして、部屋の主はアヤトの目の前で倒れている。
テオドールはその男の様子を確かめ、目を細めた。
「よく自制したな。アヤト。ちゃんと息がある」
「雇い主を確かめないといけませんからね」
ルナリアを傷つけた男だ。本当なら八つ裂きにしたいところだ。
だが、ここは戦場ではない――そしてこの男は明確に雇われだ。ならば、ここで殺したところで解決するはずがない。
「だから、泳がせたんですよね。将軍」
「無論。でなければ、すぐに追いついている」
「彼は俺たちのことを侮り過ぎましたね」
モリスト領大返しに比べれば、彼との追いかけっこは児戯に等しい。テオドール将軍は一つ苦笑しながら頷き、男の身の周りを調べる。
「――当然だが、身分を示すものはなさそうか」
「でしょうね。その手の者でしょうし。ただ、ここがこいつの家なら何かしらの手掛かりが残っているはず――」
アヤトは軽く鼻を鳴らし、臭いを辿る。部屋の中を何歩か歩くと、ぎし、と床板が軋む感触があった。床に手をやり、その床板が動くことを確かめる。
彼は素早く剣を抜くと、床板の隙間に突き刺して持ち上げた。
ばき、めき、と音を立てて床板がめくれる。ほう、とテオドールは目を丸くする。
「地下室、であるか」
「ええ、武器の臭いがたんまり」
「調べ甲斐があるな」
二人で頷き合うと、その地下室に飛び降りた。
空間は意外と広く、生活できるスペースだけはある。それと同時に空気の流れも感じるところを見ると、どこかに通じる抜け穴もあるのだろう。
(つくづく、早めに決着をつけられて良かった)
もう一度臭いを嗅ぎ、視線を地下室の隅に向ける。そこには木箱が置かれており、開けた蓋からは並べられた短刀や鉄の筒がある。
「魔導銃――こんなに」
「ふむ、見たところ刻印はなし。恐らく自家製であるな」
テオドールはその箱の中を検分した後、脇の木の箱を開く。その中に黒い砂を指で触れて彼は目を細めた。
「――黒色火薬。品質がまちまちなのを見ると、これも自家製であるか」
「なるほど、ただ妙に量がありますね」
「そうだな。これだけの量を揃えるには、かなり金が掛かりそうだが」
金だけじゃない。黒色火薬を作るのに必要なのは炭、硫黄、硝石――硝石は洞窟のような獣のねぐらや家畜小屋の土で手に入れることもできるが、硫黄は限られた鉱山でしか手に入らず、それ故に国による専売制になっている。
そして、同じく専売制の対象になっているのは塩と、鉄――。
アヤトとテオドールは視線を交わし合い、意図を共有。それから二人で同時に他の場所を改めていく。やがて、棚の一つからいくつかの紙が出てくる。
「将軍、これは――」
「ふむ、書状であるな」
テオドールは部屋の隅からランプを見つけ出し、灯りをつける。その灯りを頼りに書状に目を通すが、支離滅裂な文字列があるばかり――。
「――暗号、でしょうか」
「であるな。解読には些か難しそうだが」
テオドールはそう言いつつ、紙の顔を近づけて鼻を鳴らす――何かを嗅いでいるようだが。アヤトが見守っていると、彼は顔を上げて目を細める。
「微かに花のような香りがあるな」
「ん――確かに」
言われてみて嗅げば、ほのかに淡い香りがする。普通のインクはどちらかというと、油に似た匂いがするのだが。
「市井や軍で使われるインクは鉱物油を利用した粗悪な品だ。べたべたでなかなか書きづらいが、それに対して貴族が使うのは黒花の蜜と炭を合わせたものを使っている」
「だから、花のような匂いが」
「まぁ、証拠にはならないだろうが――」
状況証拠が示し始めていた。暗殺者を雇った者の背後にいる者の存在を。
アヤトは深く吐息をこぼし、テオドールは沈痛そうな表情を見せる。だが、二人はほとんど同時に顔を上げ、意図を共有させる。
「ここは我らで確保する。第一軍にも何も言わせん」
「お願いします。調査も、そちらで?」
「うむ、草根をかき分けてでも証拠を見つけてみせる」
「了解しました。あと、お願いが」
「聞かせてくれ」
そう言うテオドールの目は鋭く輝いている。アヤトが何を望んでいるか、すでに分かっているのだろう。彼は目を細めて、はっきりと告げる。
「俺の部隊を王都に呼んでください」
「本気でやる、ということだね?」
「無論です――この男の雇い主は、俺たちの仲間を傷つけました」
そう言いながらアヤトは拳をぐっと握りしめた。テオドールもしっかりと頷き、同意を口にする。
「私も同感だ。誰であれ、落とし前はつけさせねばなるまい」
「では、呼んでいただけますね?」
「ああ、すぐに手配しよう」
将軍の言葉に安堵する――彼らは今も前線で魔王軍と睨み合っている精鋭だ。それを呼び寄せるには、将軍の同意は必要不可欠になってくる。
一方で王家もまた何か言ってくる可能性はあるが、それを構うつもりはなかった。
状況証拠を踏まえれば、王家もまた容疑者の可能性が高いのだから。
(むしろ、王家が関与していない可能性の方が低い――)
アヤトが思考を巡らせていると、外の方から足音が聞こえてきた。アヤトとテオドールが地下室から出て外を見れば、そこには見慣れた顔の兵たちが駆けつけていた。第七軍所属、将軍の側近の兵たちだ。
「将軍、アヤト隊長――遅れてすみません!」
「いや、構わない。それよりここの封鎖を頼む」
アヤトの言葉に将軍も頷けば、兵士たちは頷いて素早く言葉を交わし合って封鎖の段取りを固め始める。テオドールはそれを見ながらアヤトの肩を叩いた。
「アヤトは戻ると良い。お嬢のことが心配だろう?」
「お言葉に甘えます。将軍」
アヤトは頷くとすぐにあばら家の外に飛び出す。
マーロック家の護衛はもちろん、他の将軍たちもルナリアの傍にいるのだ。無事だとは思うが――それでも心配してしまう。
彼は急く気持ちを抑えながら、夜の王都を駆け抜けていった。




